2016 再開祭 | 天界顛末記・陸

 

 

「こんばんはー!」
大きな四角い家の中、せまい路地の左右に並ぶ店の一つに叔母殿は入って行った。
話の後、手早く店を閉めた叔母殿に連れられて訪れた一角。
「東大門ですよ、知ってますか?」
ソナ殿に振り返って問われ、副隊長と二人首を振る。

夜と言うのにその人通りは、祭か夜市のように激しい。
目の前を行く叔母殿や、ソナ殿の姿まで見失いそうだ。
紅い髪と揺れる黒い尾を見失わぬよう目で追い、人浪を抜ける。
先刻の店の周辺では目立ち過ぎた私達の衣に、目を止める者も居ない。
それどころかもっと奇抜な髪色、もっと珍奇な出で立ちの者も多い。
誰もが両腕に大きな袋を幾つも抱え、出鱈目な方向へ脇目も振らず歩き去って行く。

「どう?儲かってる?」
「ああ、久し振り!うーん、今観光客が減ってるからねえ」
「問屋に観光客は関係ないでしょ?」
「そうでもないのよ、9月までは中国のお客さんがたっくさん来てたのに」
「まあ仕方ないわ。今はよその国よりうちの大統領の方が問題よ」
「まあねえ、デモなんてされちゃうと人通りがガラッと変わるし」

早口で叔母殿と言葉を交わしながら、店の中に居た女人が声を切ると叔母殿とソナ殿の後ろに佇む私たちに目を当てる。
「誰?」
「ああ、ソナの・・・お兄さん?ね?」
「うん」
ソナ殿は事を荒立てる事もなく、その声に頷いた。

「そうなの?こんばんは、ようこそ!」
・・・違うと首を振って良いものだろうか。
困って副隊長と顔を見合わせ、否も応も答えずその声に頭を下げる。

「お兄さん達、またずいぶんなファッションセンスね。新しいかも」
「俳優なのよ。衣装のまんまで帰ってきちゃったの」
「成程ねー、さすが良い男ね」
「でしょ?だから取りあえず、服が欲しいの」
「もちろんよ、たくさん買ってね」
「買うから割引してよね?」
「量によるわよ」
「シッカリしてるわね、相変わらず」
女人同士の会話に、男は割り込まぬに限る。恐らく副隊長も同じ事をお考えなのだろう。
我々は無言のまま、店内に山ほど積まれた見慣れぬ衣を物色し始めた三人の女人の邪魔にならぬよう、店の入口脇に立った。

「これ、どうですか」
ソナ殿はそう言って、明るい生成色の柔らかそうな短上衣を掲げる。
「・・・はい」
私達が頷くと嬉し気に、その上衣を三人目の女人へ手渡す。

「ねえねえ、これは?」
叔母殿がそう言って、妙に細い濃紺の硬そうな下衣を掲げて見せる。
「・・・はい」
私達が再び頷くと叔母殿は手招きし、大声で店奥から叫ぶ。
「じゃあ、ウエストサイズと長さ合わせるから、こっちに来て」

覚悟を決め今にも雪崩を起こしそうな衣の積まれた棚の隙間を通り、店の奥まで辿り着く。
「はい、じゃあ二人とも・・・」
そう言ってそれぞれに二本ずつ、細い下衣を渡され
「そこで簡単に、ぱぱっと履いちゃって?」

そう言って示されたのは、薄い垂れ幕一枚で覆われた狭苦しい空間。
此処でどのようにこの細い下衣を身に付けろと言うのか。
不安に思いつつ私達はそれぞれ、その垂れ幕で区切られた空間へと踏み込んだ。

 

「ああ、ピッタリじゃない・・・っていうか・・・」

その細い下衣と、渡された上衣をそれぞれ身に付けて垂れ幕を引く。
幕のすぐ前で待ち構えていた叔母殿とソナ殿、そして店の女人の目が当たる。
仕切りの向こうの副隊長も身の置き所がなさそうな顔で、その視線をひたすら避けておられる。

「2人ともあの衣装で気が付かなかった。めちゃくちゃ脚長いのね」
「確かに。お直し不要ね、これじゃ。ぴったりだもん」
「いやあ、良い男が着ると問屋の服も高級に見えるわ」
「問屋のっていうのが余計よ」
「いいじゃない、これだけ似合うんだし」
「シャツ、セーター、ジーンズ、ジャケット。これで足りる?」
「はい。一週間くらいの間なので」
「また離れ離れなの?」

店の女人が気軽に口にした問い。その瞬間に叔母殿とソナ殿の顔色が変わる。
女人も言った途端に明らかに失言したという顔で額を押さえ、次に辛うじて作り笑いを浮かべてみせる。
「こんなにハンサムなお兄さんじゃ、ソナちゃんのブラコンも判る!一週間うーんと甘えるんだよ?」
「・・・はい」
女人の作り笑いに同じような笑顔を返そうとしてしくじったソナ殿は、泣くのをこらえるように唇を噛んで頷いた。

 

高麗の衣を袋に納め、ようやくの事で店を後にする。
続いて立寄った店で細々とした物を買い込み、最後の店を後にした頃には、私も副隊長もぐったりと肩を落とす。

女人が買い物好きというのは、古今東西変わらぬのだろうか。
何故買う気も無いものを、敢えて私たちに着せ掛けるのだろうか。
散々着せ替えられ、結局何も買わずに店を出る事も度々だった。

「だってこんなハンサムなんだもの、着るだけならタダだしねー」
叔母殿は嬉しそうに言いながら、細い通路の左右の店を片端から覗き込んでいた。
途中から気を揉むような顔で私達の表情を見詰めていたソナ殿が
「叔母さん、お腹空いちゃった。ご飯食べてもう帰ろう?」
そんな声で場を取り成して下さるまで。

ようやくその声に叔母殿が
「そうだ、晩ご飯まだでしょ?ごめんごめん、何食べる?
サムギョプサル、タッカンマリ、サムゲタン、カムジャタン?
あ、トッポッキでもプデチゲでも」
「・・・あれは」

町を歩き始めてすぐに目に飛び込んで来た橙色の光に足を止め、その光の先をじっと見つめる。
横の副隊長も腕に袋を幾つも下げ、同じ方向を凝視している。
「ああ、あれは興仁之門よ。初めて?」

叔母殿の声に無言で頷く。
視線の先には石で組んだ城壁の上、見事な二階建ての木組屋が載っている。

「ソウルに残ってる漢陽城址の門の中で、19世紀に作ったのはあの興仁之門だけなの。初めて見ると感動するでしょ?」
「・・・はい」
漢陽。十九世紀。おっしゃる事は判らない。
けれど高麗、開京には無かった木組屋。
見事な細工を施した軒の支柱や外壁が光に浮かび、息を呑むほど美しい。

私達の高麗がどれ程の時を経て、あのように美しい門を作れるようになるのか。
想像もつかないその時の流れを無言で伝えて来るような壮大な門を、私は副隊長と並んだままで見つめ続けた。

「ねえ、そろそろ2人とも名前を教えてよ。名前を知らなきゃ帰ろうって呼べないわ」
立ち尽くし痺れを切らしたような叔母殿に、そう声を掛けられるまで。

 

 

 

 

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