2016 再開祭 | 金蓮花・拾柒

 

 

瞬きをしその顔を確かめても、あなたの表情が変わる事は無い。
どうやらそれは至極大切で、真剣なまじないであるらしい。

それは判ったつもりだが、俺にまでやれとは言わないで頂きたい。

「何もかもダメで落ち込んで、もう寝ちゃえ!って時にやってみて。こうやって。アジャ!」
俺の反応の無さに困ったように、甘い声で拗ねてまで見せる。
「やってみてよー、早くー」
小さな顔の脇、一つだけだった拳を二つに増やしあなたは改めてまじないを唱える。

「アジャ!」

どう返せと言うのだろう。
鬼剣と荷を地に放り出し、此方も両拳を握り、あじゃと唱えれば満足なのだろうか。
呆れ果て無言で歩き出せば、あなたが再び後をついて来る。

「ねえってば、ちょっとで良いから止まってよ!」
これではあなたの体が保たん。無駄に止まり走るのは消耗の元だ。
長い距離を歩くならば歩調を変えぬ事。このままでは今日の予定の邑まで辿り着けん。

秋の林の中諦めて歩を止め、一先ず納得するまで話を聞く事にする。
再び足が止まった途端、その口から勢い良く声が溢れる。

「ねえ、この世界は口約束が基本じゃない?あなたもよく言うでしょ。
”高麗武者の約束は命懸けです”でも、言うだけじゃなくこうやって」

再び握った拳、しかし此度は折れる程細い小指だけは立ててある。
あなたは俺の手を取り、強引にこの小指を立て、ご自身の小指を絡ませた。
絡んだ二本の小指。
この掌が気を変えて力を篭めれば、か細い指も小さな掌も粉々に砕けるに違いない。

それ程に頼りない温かい指で俺の指を捉え、何が楽しいかこの方は俺の手を持ち上げたまま
「こうして指切りゲンマンして、で親指で誓いのハンコを押すの」

そう言いながら、俺と御自身との親指の腹同士を張り付ける。
「これで約束は成立だけど、まだ不安ならこうやって」
離れた小指、しかしその小さな掌が開いたままのこの掌を撫でる。
「これでコピー」

その掌で撫でられた温かい掌を確かめるよう指を動かす。
天界というのは、どうやらやたらと手と手を触れ合わせるらしい。
「これなら、命を懸けなくても済むから」

あなたがこうして明るくはしゃぐのは構わない。
度々触れて下さるのは嬉しい。しかし疑問は残る。

今朝あの破屋を発つ時、秋の深い朝靄の中二つの屍を見た筈だ。
夜襲の斬り合いの勢いのまま、あの石段下に斃れた二つの骸を。

なのにあなたは何も言わず、斬ったと知っているこの腕に掴まるとその骸を避け、道に出ると何事も無いかのように歩き始めた。
どれ程歩かせても文句ひとつ言わず、ただ黙々と歩を進めた。
陽が高くなり山道が明るさを増し、風が温んだ途端にこの騒ぎだ。おかしいと思わぬ方がどうかしている。

「・・・憶えておきます」
「あ、まだあった。ハイファイブ」
何処までやれば気が済むのだろう。この胸の疑問は解けぬのに。
素気無い俺に痺れを切らしたか、この方はいよいよ地団駄を踏んだ。

「ねえ、やってよぉ。お願いしてる私の方が可哀想・・・」
可哀想が聞いて呆れる。
漏れる溜息を殺すのも忘れ、渋々この掌を上げてみせる。

ようやく満足したか、あなたはこの掌を確かめると
「言葉はいらないの。心で受け取って」
その声と共に、この掌に温かな掌を打ちつける。

「元気出せ、頑張ろう」

そう言うと二度目の小さな掌が打ち鳴らされる。

「王様ともやってね」

おかしい。先程から敢えて迂達赤だ、王様だと。
昨夜はっきりとお伝えした筈だ。もう戻れぬと。
この視線に気付いたか、向かい合うあなたが問い掛ける。

「なぁに?」
「・・・何か企んでおられるかと」
あなたは答えずに、三度目を打ち鳴らそうと掌を合わせに来る。
先刻の言葉通り。
この掌が気を変えれば、その小さな掌などひとたまりもない。

打ち合わせる音の半ばで小さな掌を握り締め、もう良かろうと細い肩を抱き、華奢な背を押すと陽射しの中を歩き始める。
離れない。無事に帰すまで離さない。護る為には周囲を跳ねられては困る。
「後ろより前の方が、確実に護れます」

小さな手を握ったままで、あなたを己の半歩前へ押す。
「え、まだあるのに」
「結構」
「じゃああと、もう1つだけ」
「十分です」

足許に落ちる乾いた葉を踏み鳴らし、それでも脚は止まらない。
逃げる。心で決めたなら急ぐのみ。

少しでも早く、少しでも遠くまで。

 

暫し歩いて山側の迂回路を失くし、まだ陽の高い邑へと入る。
安州の中央、両界軍の基地の関所の至近。
大きな戦でも起きぬ限り、兵以外は然程行き来のない邑。
侮った読みを嘲笑うかのように、其処は人々の気配で溢れ返っていた。

邑の通りで脇を歩むあなたが俺を仰ぎ
「この人たち・・・もしかして、私たちの追手なの?」
抑えた声でそう問うと、周囲を行き交う者らを見渡した。

考えてみればこの方は、皇宮以外を殆ど御存知ない。
迂達赤の纏う麒麟鎧や、禁軍の黒朱鎧以外は見慣れておらん。
「いえ。両界の兵です」

未だ充分に視界の利く昼の明るさの中、纏う兵の鎧を確かめる。
「武器も鎧も新しい。新たに募った兵らかと」
慕兵が掛かったとすれば、戦は近い。鍛錬の刻は残っているのか。
それとも人海戦術で、多少の犠牲はやむを得ぬと御決断されたか。

それならば泣くのは民だ。待つ者、待たされる者。
それでも帰れれば良い。帰れぬ時には恨となる。
民の恨が積もれば、やがて国をも動かし兼ねん。

違う。そうではない。そんな事を考える必要はないと心が呟く。
今更此処で考えようと、策を練ろうとどうにもならん。
選んだ筈だ。捨てるべき物と捨てられぬ者とを。
決めた筈だ。決して戻れぬと判っている道でも。

この方は周囲を全く見もせず脇の俺の顔を見上げ、周囲に眸を遣る俺の横から優しく明るい声を掛けた。
「ねえ、確かめて来れば?私は薬を買って来る」
薬との言葉に仰天し、思わずあなたを振り返る。
「何故です。もしや何か症状が」
不安げな声に微笑むと首を振り、
「ううん、薬の予備が欲しくて。あとで迎えに来て?」

それだけ残すと返答は待たぬまま、小さな体が通りを行き交う兵の雑踏を抜け目前の薬房へと駆け込んで行く。
止める間もなく薬房へ消える細い背。眸の前を行く兵。
太い惑いの息を吐き、俺は一先ず兵の向かう方角へ沓先を向けた。

 

 

 

 

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