2016 再開祭 | 金蓮花・柒

 

 

テマンと落ち合う手筈の手裏房の店先。
思い切り短く落とし、秋風に揺れる軽くなった髪が気に掛かる。
その毛先に指で触れつつあの方を待つ無聊を慰める耳が、先に捉える。

あの息遣い、背後から寄る気配。
振り向けばテマンに連れられたあの方が俺を見つけ、安堵したよう瞳で微笑む。

決して離れはせん。離しもせん。天門からあなたを無事に帰す迄。
「テマナ」

捨てねばならなかったものの大きさと重さ。
それでもそれと引換にこの方を公開処刑など、絶対に赦さぬ。

王様。徳興君。奇轍。断事官。要は何処だ。
四つの要の何処を抑えれば、最小限の被害で喰い止められるのか。

王様には迂達赤が付く。奴らが手を抜くとは考えられない。
断事官は事を起こすにしても、一旦は元への帰国が必要だ。
徳興君は所詮元の手駒。断事官抜きで一人では何も出来ん。

徳興君を動かすのは断事官。元に最も顔が利くのは。
そもそもこの盤の上に徳興君という駒を乗せたのは。
王様を王として扱わぬ断事官と対等に渡り合うのは。

何よりこの方を失わぬ為に追い駆けて来るとすれば、奇轍。

しかしその男は俺の謹慎と言う王命で足を縛られている。
動くのは誰だ。何処を抑えれば最も効果的に足が止まる。

呼び声に駆け寄るテマンの耳元で低く伝える。
「奇轍。迎賓館。手裏房と張れ」
俺の囁き声にテマンが深く頷き返した。

その時の俺には思いもよらぬことだった。
敵は一枚岩となり王様へ攻勢をかけるべく、準備を整えていると信じ込んでいた。
敵の内部もまた乱れているなどとは、考えもしなかった。

 

*****

 

「どうです。甥は了承しましたか」
「ええ、なさいました」
皇宮での都堂会議から征東行省へ戻り、卓前へと腰かけて書状を開く断事官が平然と頷いた。

「医仙を処刑し、元の玉璽を使うと言ったのか」
そんな筈がない。どちらもあの目障りな甥の手中には無いはずだ。

チェ・ヨンには匿名で書状を送った。
元の断事官が医仙を狙っている、遠くへ逃げろと。
皇宮の中をうろつかれ、万一元の望み通りにあの弱腰の甥が医仙を差出しでもすれば、己が王になる事は出来ぬ。
ましてその内乱の隙を突き徳成府院君が医仙を手に入れたりすれば、私という駒のいる意味がなくなる。

そして大切な医仙に解毒剤のない毒を打ったと露見した暁には、徳成府院君は一片の迷いもなく私を殺す。
あの女が此処に居座り続ける限り、私に得など何一つない。

どこへなり誰となりと、勝手に消えれば良いのだ。それでこそこの目先の厄介な石が一つ消える。
この手を汚し医仙を殺す事は出来ぬ。そんな事をすれば徳成府院君がどれ程激昂するか想像もつかぬ。

その企みを知ってか知らずか、断事官が穏やかな声を続けた。
「確かにおっしゃいました」
「・・・それは見物だ」
己の手中にない二つの駒。玉璽、そして医仙。
既に盗み出された以前の玉璽をどう使い、既に皇宮を抜けて逃げている筈の医仙をどう処刑するのか。

薄笑いを浮かべた私に向けて、断事官は何処までも心の読めぬ無表情で、書状から目も上げずに言った。
「手下に用事を申し付けて、動かしましたね」
それは問い掛けではない。すでに知られている。
「医仙と名乗る女に、親書を」
「送りました」
「逃げよと書いた。王が処刑したくとも出来ぬように」
「そう言うな」

ここを乗り切るにはどうすれば良い。一先ず乾いた笑いを浮かべ、断事官の卓前から離れる。
「一度は妻にと望んだ女人が処刑されては、忍びないのでな」
そう言いつつ離れた席へと腰かける背から、断事官の声が容赦なく追い掛けて来る。
「女の護衛は、チェ・ヨンと言いましたか」

その名を聞くだけで怖気が走る。
医仙に毒を盛った私を酒楼でしたたか殴りつけ、腕を折らんばかりに捩じり上げ、首に刀を突き付けた男。
王族である私を蹴り上げ、床に膝を着かせ毒まで煽らせたあの男。
断事官はこの腹の中を知るか知らぬか、淡々と事実を論う。

「あの男も王から離したいのですか」
「つまらぬ男です」
誰も彼もがあの男に一目置くのが、心の底から気に入らぬ。
しかし武芸で敵う訳もない。弱点を見つけ、自滅へ追い込むしかない。

「王の近衛であり護軍でもある高官が、非情にもその主君と部下を見捨てて逃げ出した。
この国の王はその男に縋りつくような、時勢を見る目のない愚かな方だ。新王の勅令を発し終止符を」

そうだ。目障りな者は排除する。出来ぬ者には自滅してもらう。
早い処この国を手中に収め、そして翌日には早々に元へと明け渡す。
己の身の安全を確保し厄介事とは手を切り、行省の丞相に収まれればそれで良い。
あとは好きな本を好きなだけ読む、悠々自適の暮らしが待っておる。誰に命を狙われる事もない。
徳成府院君からも王からも、何よりあの目障りなチェ・ヨンからも。

「此度の王は、無理強いすれば戦も辞さぬ構えです」
断事官の声は続く。まるで此方を軽んじ侮るが如く。
粘られて面倒なのは、断事官の方であろうに。
「あの甥はそんな腕も度胸も知恵も、持ち合わせておらぬ」

何の為に小細工までしてあのチェ・ヨンを引き離したと思う。
奴が側を守ってはあの甥が勢いづくからに決まっておろうが。
断事官は相変わらず感情の読めぬ目で、手にしていた筆を硯へ戻す。
「私は官僚です。対価を最小限に止め最大限の利益を生ずるが役目。
今回の任務は犠牲を最小限に留め、高麗を元の行省へ組み込む事。
徳興君媽媽の余計な口出しは無用です」

つまり元の皇帝からの勅書という勝ち札は断事官の手に握られ、それを開くか開かぬかはこの男の判断次第という事だ。
発令されなければ元の皇帝の勅書と云えども、只の紙片。
全く厄介だ。それでは私も危険を冒し、次の安全札を確かめに行かざるを得ぬではないか。

 

 

 

 

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