2016 再開祭 | 銀砂・中篇

 

 

「ようこそ、チャン先生」
相変わらず店中に漂う薬草の芳香の中で、薬房の店主は店に入る私を見付け、微笑みながら頭を下げた。
「何かお探し物ですか」

求める人の気配のない事に落胆の色が顔に出ぬよう注意しながら、私は頭を下げ返す。
あの人を見つけるには、この薬房以外の手掛かりはない。
碧瀾渡と云えども礼成江に沿い、大層栄えている港町だ。裏道の一本一本まで調べて回るなどきりがない。

「最近はよくお顔を出して頂き、楽しみが増えました。余程大切なものをお探しなのですね」
「・・・ええ」

医仙だけでなくこの店主にも心を見透かされそうな気まずさから、買う必要もない薬棚を吟味するよう穏やかさを装って目を移す。
店主は苦笑いを浮かべると、それでも商人らしく
「申し訳ありません。新しい薬草は特に入っておらず・・・先生にはもうお持ちの物ばかりです」
と、場を和ませるように言った。

ここにいらっしゃらないならば、何処においでか見当もつかない。今日は諦めるかと小さな息を吐くと、
「そう言えば、先日のリディア殿を覚えておいでですか」
奥で茶を淹れている店主がふと手を止めると、思い出したようにさり気なくこちらを振り向いて尋ねた。

「ええ」
「あの方が、市の大食国元締のお屋敷に御滞在だと伺いました」
「・・・元締のお屋敷ですか」

どの国であれ、異国で同胞の結束が強くなるのはままある事だ。
習慣の違い、食事や言葉の違いの中で神経をすり減らし、無言のうちに理解し合える同胞と寄り集まる。
しかし元締ともなれば、同胞の気安さで近寄れるような立場ではないだろう。ましてその屋敷に滞在など。

そしてそもそもあの人との出会いとなった、裏通りでの男らとの刀を振り回すほど穏やかならぬ押し問答。
どうやらあの人には私の知らぬ顔があるのかもしれない。
湯気を立てる茶碗を運ぶ店主に礼を返しながら、店先の扉の外、通り向こうの礼成江の川面を見る。

川面を乱して小さな漣を立てる風と同じものが、この心中にも一陣吹抜けたようだった。
腰を据えて飲む気にもなれぬ、湯気を立てた茶碗を手に受ける。
この後訪ねるべき場所の目星はついた。
一刻も早く席を立てるよう、けれどいつでも融通を利かせてくれる店主に失礼のないように、舌を焼く程熱い茶を涼しい顔で一口含む。

あの時におっしゃった言葉を覚えている。
ここにいる間は、力になれれば。
だから今、あのひとに尋ねたい事がある。

知りたい事がある。答を聞かせて欲しい。
隊長ほど強くも確かでもなくとも、少なくとも馬を駆りこうして碧瀾渡を訪れたくなる位の気持ちはある。
茶碗の中になみなみと注がれた親切という名の茶を飲み干して、
「結構なお点前でした」

一礼した私に、店主が頭を下げ返す。
「お粗末でした」

これ以上痛くもない腹を探られぬよう、そこですかさず立つと
「また伺います。新しい薬草が入ればお知らせ下さい」
そう言って店の出入り口へ向かう私の背から、笑みを含んだ店主の声が追って来る。
「チャン先生、元締のお屋敷は港の東側です。迷われませんよう」

判りやすい方だと、隊長を微笑ましく思っている場合ではない。私自身も他から見れば、相当判りやすいのかもしれない。
行かないといえば嘘になる。けれど素直に礼を言う気にもなれず、一先ず思い遣りの声に頭を下げ、私は急いで店を出た。

 

*****

 

例え元国の侵略を許しても、我が国には銀の砂漠があり、青い海がある。
隊列を組んだ駱駝が揺れる陽炎の中を進み、浜には釣り上げられたたくさんの魚が並ぶ。

深山があり、悠久の川があり、豊かな金がある。何より偉大な神に守られた美しい心が。
太陽は時に過酷な程に果てしない砂漠を熱く灼き、風は時に砂を巻き上げて吹き荒れる。
その中に点在するオアシスで、民は緑も水も奪い合う事なく、静かに暮らしている。

しかしそんな愛する祖国で、女の地位は限りなく低い。
そして夜の砂漠の杭に繋がれる駱駝のように、掟という名の杭に固く繋がれている。
神は確かに男女を平等に創られ、法はその平等を謳っているのに。

どれ程優秀でも決して家督を継げず、ましてスルターンの娘ともなれば、産まれた時に未来という焼き印を押されるも同然。
その焼き印には婚約者の名前が、十三、四での結婚が、そして夫が迎える幾人もの妻の長妻として、彼女らを束ねる責任が。
そうやって束ねるために習得すべき砂漠の民の規と則が、事細かく刻まれている。

私にもそんな焼き印があった。砂漠の熱と陽射しから身を守る長く薄い衣で隠しても。
異母兄である皇太子殿下は既に妻を四人娶り、そして他の九人の兄弟らも同じようなものだった。
ただ一人同じ母を持つ兄上は、始終国の外へ出ていた。
そして戻って来ては私の元へと真先に顔を出して下さった。

「リディア」
その日もそんな風に呼ばれた私は、宮殿の庭の隅にいた。
父上から授かった自分専用の薬草園の中を近付いて来る兄上に向かって駆けた。
「兄上、帰られたのですね」

家族の前でだけ取るのを許される面紗を下げ、本当に久々の兄上に向かい合う。
兄上は頷くと、お留守の間にまた大きくなった庭を眺めた。
「父上は本当にお前が可愛いのだな。目に入れても痛くない程」

そう言った兄上の目が、庭に引いた水路を示し
「いくらこのオアシスが豊かな水を誇るとも、あんな贅沢な水路を引くほどだ」
「無駄には使っておりません。下流には駱駝場があります」
むきになって反論する私を宥めるように、兄上は優しく私の肩を抱くと、宮殿の方へ歩き出す。

「判っている。リディアは賢い娘だからな」
「それで、今回はどこにいらしたのです」
「高麗の碧瀾渡という場所だ」
「高麗」

帰って来たばかりの兄上は、もう懐かしそうな目で砂漠の上の空を見上げた。
「我等と同じように元を宗主国に持っている。国王が碌でもない男だそうだ」
「そうですか」
「ああ。だが民がとても自由だった。少なくとも碧瀾渡の民はな」
「自由とは」
「例えば、碧瀾渡には大きな川が流れているが」
「はい」
「女が男と一緒に水浴びをする。半裸で」
「・・・え」

私が声に詰まると、兄上は失言したと思ったか
「済まなかった。妹だとて、うら若き乙女には刺激が強いな」
「ああ・・・いえ、そうでは・・・」
そこに驚いたのではない。その習慣に驚いたのだ。
そしてそんな習慣が許される、高麗という国に。

「離縁をする時も、男に落ち度があれば一方的に妻を追い出す事は出来ぬ。
家長が亡くなり家に男子がない時は、娘が喪主を務めるということらしい」
「・・・そんな国があるのですね」
「そうだ」
「兄上」

真剣な声に、並んだ兄上が横の私を見た。
「いつか私も、高麗に行けますか」
「無理だな」
承知の上だった。それでも行きたい。どうしても行きたい。
男女を平等に扱うそんな国を、どうしてもこの目で見てみたい。

「行くにはどうすれば良いですか」
「女が外国に、まして皇女がとなれば方法はない。嫁ぐまでは父上に、嫁げば夫に従い家を纏めるのが女の役目だ」

そして兄上は言った。その後の私の道を決めるとも知らず。
「行けるとすれば、大食国から荷を運ぶ時だ。皇女が商人になる事は出来ぬから、駱駝を育てて獣医になって運ぶか。
それともこの庭で薬草でも育てて、医員になって運ぶか」

─── 皇女様。

兄上にしてみれば年の離れた妹を諫めるお積りだったろう。
「皇女様」

その軽い気持ちの一言が、こんな事になるとも思われずに。
「リディア様」

部屋の外からの呼び掛けに、砂漠の民の習慣である午睡の床で目を開ける。
部屋の窓外の空、その下を流れる川は今も見慣れぬ高麗の色。
それでも来たばかりの頃よりまだ良い。私は乱れた髪を整え
「何だ」
と扉に声を掛ける。

「お客様がお見えです。如何致しましょう」

外の見慣れぬ景色以上に、訪ねる客など思い当たらない。
「誰だ」
「高麗人で、チャン・ビンといえば皇女様はお判りだと・・・」
その取次の声に目を剥いて、私は寝台を飛び降りた。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    チャン侍店主にも見透かされてましたね(笑)
    リディア様も
    侍医と同じ想いだったんでしょうね❤「神は確かに男女を平等に創られ、法はその平等を謳っているのに。」
    最近の我が国は???です(–;)

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