2016 再開祭 | 天界顛末記・拾肆

 

 

「王様。迂達赤チェ・ヨン、参りました」
康安殿、王の私室前。低く名乗った声に直ぐに内から声が返る。
「入りなさい」

同時に開かれた目前の扉から、チェ・ヨンは大股で部屋へ踏み込む。
「如何した。そなたからとは珍しい」
王は執務机前に立ち上がり、入室したチェ・ヨンの姿を目で追いつつ階を降りて迎え入れる。

階下の長卓の前、王が腰を据えるのを待ち、前置きなしにチェ・ヨンが口を開く。
「徳成府院君が消えました」
「聞き及んでおる。典医寺に無断で押し入り、医仙へ手を掛けん勢いで詰め寄ったそうだな」
「は」
「後を追った副隊長とチャン侍医も消息が途絶えたと。座りなさい」

チェ・ヨンは椅子へ腰を降ろすと、先刻鳩の運んだ飛文を懐から取り出し卓上を滑らせた。
「北方の国境隊よりの急書です」
「・・・副隊長が、天門で消えたということか」

文を受け取り目を走らせた王がチェ・ヨンへ問う。
「は」
「では府院君も、そして副隊長も侍医も」
「恐らくは天界へ」

そこまで伝えて背を正し、チェ・ヨンは王へ真直ぐに向き合う。
「王様」
「・・・そなたも行くのか」
「お許し頂けますか」
「医仙への守りが、薄くはならぬか」
「否めませぬ。但し奇轍も居りませぬ」
「医仙は」
「迂達赤精鋭は全て皇宮へ残します。守りはその兵らに」
「お連れせぬのか」
「お返ししても宜しいですか」

王は瞬時惑うように口を閉ざす。
「お返しすれば、最大の切り札を失う事になる」
「は」
「府院君が再びこの世に戻る事があれば、医仙は絶対に必要だ」
「は」
「府院君が天界で何を手に入れてくるか判らぬ。医仙の天の知識はこの後も暫し、絶対に必要なのだ」

そう言うだろうと予測はしていたと、チェ・ヨンは胸裡で息を吐く。
こうして医仙を残さざるを得ぬ。誓いを守る絶好の機会を目の前に。

「・・・お命じ下さい」
「天界を知る者は、そなたしかおらぬ。此度はひとまずそなただけで参れ、チェ・ヨン。
徳成府院君を捕縛し、副隊長と侍医を無事連れて戻れ」
「王命、承りました」

それ以上の言葉はなく、チェ・ヨンは深く一礼すると椅子を立つ。
振り返らず入ってきた時のよう大股で部屋を出るチェ・ヨンの背を、王はじっと見つめた。

 

*****

 

「医仙」
典医寺の部屋へと踏み込みながら声を掛けると、そこにいたウンスが目を上げてチェ・ヨンの姿を確かめる。
「チャン先生、見つかったの?!」

駆け寄るウンスに向け、チェ・ヨンは視線を逸らし首を振った。
「心当たりを探します」
「だって、あんな風に突然強引にここに押し入って来たキチョルを追いかけてったのよ?無事なの?」
「探し出します」
「探すって、だからどこを!」

正直に全て告白したい。チェ・ヨンは唇を噛み咽喉元の声を殺す。
侍医は天界に居るであろう事。これから自分が天門をくぐる事。
共に連れ出せれば誓い通りウンスを天界へ帰せるかも知れぬ事。

しかし許されない。王命だ。
天門が今開いている事、天界へ行く事、何も伝えてやる事は出来ない。何一つ。
「暫し留守に致します。その間は迂達赤が守ります」
「・・・留守って、どこ行くの?チェ・ヨンさん」
「奇轍の居そうな心当たりを」
「だから心当たりってどこ!!」
「医仙」

言い出したら聞かない人だと困ったチェ・ヨンは息を継ぎ、当たり障りない言葉を探す。
嘘は吐きたくない。たとえ真実を告げられずとも。
嘘も方便と判っていても、この女人に嘘は吐きたくない。

「北から探します。元の国境に近い故」
苦し紛れのチェ・ヨンの方便に、すかさずウンスの声が返る。
「北?天門の近く?」

いつも鈍いくせにこんな時だけ勘が良い。その声にひやりとしつつチェ・ヨンは無言で頷いた。
「そんな遠くまで行くの?」
「はい」
「危なくないの?大丈夫なの?」
「恐らく」
「私は一緒に行けないわよね。またキチョルに襲われるかも知れないんだし」
「・・・はい」
「絶対に無茶しないで。ケガしないでね?主治医が一緒にいないんだから」
「はい」

そんな目をして見るなと、再びチェ・ヨンはウンスから視線を逸らす。
嘘を吐き、あなたを帰す誓いより王命を優先させる己。
そんな風に心配される価値はない。そんな資格もない。

「じゃあ、待ってる。早く帰って来てね、チェ・ヨンさん」
「・・・はい」
「絶対無事で帰って来て。あなたも、チャン先生も」
その声に頭を下げて、チェ・ヨンは無言で踵を返す。

先刻王の前で、失望の余り無言で康安殿を出た時とは違う。
口を開けば叫びそうだ。天門をくぐる、だから共に来いと。

許されぬ事が判っているのに、王命に背いてしまいそうだ。
手を掴み走り出してしまいそうだ。だからこそ口を開けない。

必ず無事で此処に帰る。奇轍を捕縛し、チュンソクとチャン・ビンと共に。
いつの日か再び天門が開いた時、その時こそ何もかも捨てウンスを必ず天界へ帰す為に。

無言のまま重い足で部屋内の扉前へ進む。
最後に肩越しに投げたチェ・ヨンの視線を受けて、ウンスは微笑んで両手を振った。

済まない。本当に、本当に済まない。

口に出せぬ詫びの言葉を胸に、チェ・ヨンは部屋の扉からゆっくりと表へ踏み出た。

 

 

 

 

3 件のコメント

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    さらんさん
    いよいよ、チェ・ヨンも行きますか!天界へ!
    またまたお話が膨らみますね~~。期待も膨らみます!

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    エッ…!
    ヨンも、天界へ行くのですか。
    それも、ウンスに話さず…。
    王命は、絶対ですよね。
    ヨンが天界へ行ったとしても、チャンビン侍医やチュンソクさんに会えるのでしょうか。
    あの、阿呆なキチョルと良師を捕まえられるのでしょうか。
    ヨンが無事に任務を果たし、他の皆と高麗に帰ってこられることを祈っています。

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