2016 再開祭 | 釣月耕雲・柒

 

 

「言わねば伝わりません。どれ程木陰から黙って見守っても」

何処までも。

よくよく他人の様子は見えているらしいと、チャン・ビンの声に肯定も否定もせずにおく。
肯定するのは気まず過ぎる。否定すれば嘘になる。
声の返らぬのは予想のうちか、チャン・ビンはチェ・ヨンに声を重ねる。
「特に医仙は、言葉の裏や心の裡を読む事が苦手のようですし」
「そうだな」

読めるなら周囲が気を揉む振舞いはとうに止めているだろう。
大人しく典医寺に引込み息を潜め天界に帰る日を俟つだろう。

チャン・ビンの言葉に頷いたヨンは、初夏の窓の外を見た。

明るい空の下、何の心配も無く外に出たがる気持ちは判る。
だからこそ腹が立つ。その誓いを叶えてやれず唯引き延ばす己も。
しかしその誓いに縛られて、皇宮から一歩も身動きできぬ己にも。

「隊長がせめて医仙を自由にと願っているかと思いました。寧ろ逆効果でしたか」

チャン・ビンの声にいつもの穏やかさが戻る。
同情されているのだろうか。柔らかい声にヨンはふと思う。

攫った罪悪感。影から守るだけの不甲斐無さ。顔を合せれば口論か、さもなくば無視するしかない。
そんな繰り返しに目の前のこの男は同情しているのだろうか。

それでもこの男のようにあの天界の女人と分け合える共通点は無い。
医の道に興味は無く、我儘を許せる度量も無く、向き合って腹を割った話をするつもりも無い。

そんな風に時を重ね、一から誰かと思い出を積み重ねる気は無い。
声を交わし合い、声にならぬ想いを積もらせる気は二度と無い。
世界に陽射しと彩が戻っても、凍った湖が溶けても変わらない。

出来るのはせめてあの誓いを絶対に破らぬ事。
どれ程面倒でも、逃げたい程厄介でも、それだけは必ず叶える事。
まずはとヨンはチャン・ビンを見つめ返す。
「今宵は開京だな」

言い出した本人が、仰天したようにヨンの声に息を呑む。
女の子が必要なんだってば。耳の奥でウンスの声が木霊する。

探してやる。開京城下で一番の美女を売り子として必ず連れて来る。

 

*****

 

夕暮れの町、往来を行く男三人は言葉少なに並んで歩く。

人波は何故か進む三人の目前、海を行く船が舳先で波を割るように左右へ割れる。

橙色の夕陽に染まる道の上、足許に三つの長い影を曳き。

「・・・隊長が共にいると、歩き易くて良いですね」
今宵は見慣れた医官服を脱ぎ長衣の胡服を纏うチャン・ビンが、懐手でヨンを見遣る。
「開京一の美女か」
ヨニョルが呆れたようにヨンを横目に呟いた。
「必ず見つける」

言葉少なに言い捨て、ヨンは二人へ眸を投げる。
「何だよ」
「どうされました、隊長」
ヨンの視線に他の二人が顔を見合わせる。

「何処に居る」
「え」
「何処にとは」
「美女は」
「・・・知るかよ!」
ヨンの問い掛けにヨニョルが声を張り上げた。

「市井の事なら、お前が一番詳しい」
「自慢じゃないけど口説かれたり、見初められた事はあっても、自分から探すほど女に困った事はないんだよ!」
「侍医」
「・・・はい、隊長」
「何処だ」
「さあ・・・私は町には殆ど出ませんから。酒も嗜みませんし」
「どいつも使えん」
「あんたに言われたくない!その面は宝の持ち腐れかよ!!」
「面」
「そこらの女よりよっぽど綺麗な顔して、女の集まる場所も知らないのかよ。勿体無いな」

ヨニョルの無遠慮な大声に、チャン・ビンが堪え切れぬ様子で口許を拳で隠す。
その後周囲を見渡して困ったように切れ長の目を伏せるのを、敏いヨンが眸の端で捉える。
「何だ」

低い声で確かめつつ鬼剣を握り直すヨンに、チャン・ビンが小さく首を振る。
「敵ではなく・・・いえ、敵の方がましですが」
歯切れ悪く狼狽える声に、ヨンも周囲を素早く視線で探る。

そして気付く。周囲の人垣の中に男が居ない。

いや、よくよく見れば居るには居る。
但し白粉の匂いの人垣に押し退けられた、またその外に。
チャン・ビンが目を伏せる気持ちが判る。
分厚い人垣を走って突破したい気持ちを抑え、ヨンは拳を握り込む。

一番物慣れた様子のヨニョルが低く笑いながら
「兄さん達、齢はいってそうなのに初心だな。気付くのが遅い」
平然と言いながら歩調を変える事も無く、余裕綽々で周囲を見渡す。

「俺達が三人で出歩くならこうなって当然だろ。そもそもそれが目的じゃなかったのか、あんた」

そしてその腕がヨンの肩へ伸びた。
馴れ馴れしく肩を抱き、そのまま耳へ口を寄せ
「あんたの斜め後ろ。黒の胸紐を結んだの。良い女だぞ。先生の左側。藍色のテンギの女も良い」

嬉し気に声を落とすヨニョルに、ヨンとチャン・ビン両人の目が当たる。
これ程瞬時に敵を見分けられれば、さぞ有能な兵になれる。
いっそ迂達赤に誘うか。ヨンは瞬時真顔で考えを巡らせた。

 

 

 

 

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