2016 再開祭 | 釣月耕雲・伍

 

 

その背が足を止め、肩越しに黒い眸だけでヨニョルの顔を見る。
「格好悪いだろ、ただ助けられただけじゃ。俺にだって意地がある」

鋭い視線に言い訳するように、ヨニョルが決まり悪げに呟いた。
「・・・ああ」
「名前だけで良いから、教えてくれ」

黒い眸がほんの少し躊躇うように伏せられるのをヨニョルは見逃さず
「なら、本名じゃなくても良いから」
大声を上げた途端、未だに塞がりきらない唇の傷に顔を顰める。

「嘘など面倒だ」
黒い眸がヨニョルから外れ、蒼さを増す秋空に戻る。

この男はいつも空を見てるな。

視線の行先を追いヨニョルはふと思う。何も知らないのに。
男が何処の誰かも何をしているのかも、知りもしないのに。
なのに元締めを潰して自分を助けたのはこの男だと、何故確信を持てるのだろう。

「チェ・ヨンだ。こっちはテマン」
背の高い姿が厭々呟く声に、ヨニョルは頷く。
「チェ・ヨン、テマン」

あれは痛みの中の空耳だろうか。
テマンという小柄な男が月光の下で、背の高い影に二度呼び掛けた。

閊えた声で、隊長と聞こえた。

隊長と言えば武人だろう。私兵か、それとも皇宮の兵か。
ヨニョルは素早く頭で算盤を弾く。計算高さは商人の父親譲りだ。
自分が武人に返せる恩。
町で多少知られる暴れ者でも、滅法腕の立つこの二つの影に力で助太刀出来る訳も無い。

「何でもする」
ヨニョルは己の口から飛び出した言葉に驚きながら、もう一度言う。

「あんたのためなら一度だけ。何でもするよ」
「・・・義理堅いな」
「命を助けてもらったからな」
「娘婿を殺しはしなかったろう」

チェ・ヨンと名乗った大きな背中が、愉しそうに小さく揺れた。
「あの時はもう、断わってたからな。殺されたって不思議じゃなかった。
助けてもらった事には変わりない。だから何でもする」

真剣な声音に大きな姿が体ごと、もう一度ヨニョルへと向き直る。
「何かあれば頼む」
「判った。俺はいつでもここにいる。必要なら訪ねてくれ。あんたの居場所は教えてもらえそうもないから」
「・・・ああ」
「必ずだぞ、忘れるな」
「楽しみだ」

黒い眸がヨニョルの目を真直ぐ見つめて頷いた。

 

*****

 

「思い出したか」

柳葉と共に夏風に吹かれ、心地良さげな声でヨンが尋ねる。

「最初から忘れてないって。去年の秋だろ」
「何よりだ」
「だから俺は、あんたの為に何でもするって言っただけだ」
「俺の為だ」
「他人の店を見るのが、何であんたの為なんだよ」
「見るのは店ではない」

凭れた欄干から背を起こし、チェ・ヨンはふらりと往来に紛れる。
同時にテマンが欄干の石手摺から飛び降り、足早にその背に従く。

「厄介な女人の面倒を見ろ、俺の代わりに。他に二人見張りがいる」
「女一人に三人もか」
後ろから二人を追ってヨニョルが首を傾げる。
「どれだけ厄介なんだよ、その女」

お前にも俺にも、誰にも想像がつかぬ程。
チェ・ヨンは独り肚の中で毒づいた。
チャン・ビンの腕、迂達赤の武技。信用できる。しかし市井の事は詳しいとは言えない。
蛇の道は蛇、万一に備え市の隅々まで知る者が欲しい。

ましてあの天界の女人は抜け抜けと、見目の良い男が必要と言う。
適役はこの男しか居らぬ。
チェ・ヨンはついて来るヨニョルを視線で振り向き、片頬で笑った。

「期間は此度の祭の間。頼むぞ」

 

*****

 

「やだ。やだ、やだ、やだ」

外で顔合わせをしなかったのは正解だった。
女人が男を品定めするこれ程露骨な視線や態度など、見た事も無い。

典医寺の部屋内の光景に、チェ・ヨンは呆れて眸を剥いた。

そんな様子など一切気にする風も無い。
ウンスは棒立ちのヨニョルの周囲を回り、黒い髪の天辺から爪先までを視線で吟味していく。
「ここにも探せばいるのね、カッコイイ男の人って。このレベルならきっと女性に大人気よ」

品定めの視線に耐えながら、ヨニョルは困り果てた目で離れた処に立つヨンに問い掛ける。

何なんだよ、この女。

その視線に笑い出すのを堪え、ヨンは無言で首を振る。

何でもすると言った自分が悪いのだ。
端から果たせぬ約束なら口に出さぬに限る。

出したが最後その言の葉が、己の首を締める事になる。
肩の重荷となり、自由を奪う足枷となる。それが誓いであり約束。

厭なら全てを棄て、戻らぬ覚悟で尻尾を巻いて逃げ出せ。
周りを失望させようと、大切な者を傷つけようと。
総て知らぬと擲って、己一人で楽な処へ逃げれば良い。

「私はウンス。あなたは?」
目の前に差し出された白い手をじっと眺めた後、ヨニョルがどうすべきか惑うようウンスの顔を見つめる。

理由が判らない。何故こんなに腹が立つのか。
ウンスが平然と差し出す手にも、ヨニョルがその顔を眺めるのも。

ヨンは無言のまま大股でヨニョルの横まで進む。
「祭の間は、この者が店で手伝いを」

ウンスとヨニョルの間に立ちはだかって告げると、黒い眸で行けとヨニョルを促す。
ヨニョルはほっとしたように小さく頭を下げ、足早に扉を出て行く。
「門外まで案内しろ」
低く呟くヨンの声に、頷くテマンがその後を追う。

視線を遮られたウンスは名残惜し気に、目の前に立つヨンの向こう、振り向きもせず去って行くヨニョルに向けて
「当日ねー!待ってるから!!」
大きく笑って手を振った後、その瞳でヨンを睨み上げる。

「どういうこと?」
「・・・何がです」
いきなり向けられた怒気の意味も判らぬと、ヨンは眉を顰める。

判らない事ばかり。
有無を言わせず攫ったとはいえこの女人と出逢って以来、知らぬ事、判らぬ事が多すぎる。

 

 

 

 

1 個のコメント

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    厄介な女人 ウンス…
    どんだけ 厄介者なんでしょう。
    ま~ しゃべりだしたら 止まらないし~
    何言ってるかわかんないし~ 
    言うこときかないし~
    ヨンも 都合よく 約束思い出したわね
    うふふ 
    ウンスさん 何だか 不満おありのようで~
    テジャンもいないと ダメかしら?

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