2016 再開祭 | 釣月耕雲・捌

 

 

「ヨニョルたちが連れて来てくれたのかい、こんなにたくさん」
酒幕の酒母らしき女は嬉し気に、店の生垣の外を十重二十重に囲む女たちに手招きをする。
「お姉さんたちも飲んでお行きよ、この良い男衆の隣の席で」

酒母が誘い水を向けると、生垣の周囲の女たちがくすくす笑う。
女の下心をずしりと含み、漣のように押し寄せる濡れた笑い声。
チェ・ヨンは既に後悔の泥水に顎までどっぷり浸かり、うんざりした顔で息を吐く。

「侍医」
「・・・はい」
ヨンと同様後悔に蒼褪めたチャン・ビンが、言葉少なに頷き返す。
「言い出したのはお前だ」
「冗談でしたから。どなたかが余りに素直でないので」
「理由はどうあれお前だろ」
「まさか本当に出掛けるとおっしゃるなど」
「責任は取れ」
「此処は・・・連帯責任で」
「二人とも煩いな。酒が不味くなる」

一人顔色も変えぬまま、ヨニョルが手にした盃を大きく煽る。
「呑んで騒いで、良い女を見つける。それが今夜の目的なんだろう」

違うとヨンが怒鳴り返す前に、ヨニョルが片目をぱちりと瞑ってみせる。
こいつは判って言っている。生垣の向こうの女達に聞かせる為に。
それが証拠にヨニョルはその後に声を落とし
「俺達がここに居据わる。女たちが俺達目当てに出入りする。それに釣られて男客が入って来る。
店は儲かる。誰も損しない。良いだろ」

そう言った後にまた声を張り
「酒母、酒をくれ。今夜はここで潰れるまで呑むから。良い女も山程いてくれるしな」
ヨニョルの宣言に、押し寄せる漣が一段と甘く高くなる。

女達が入れ代わり立ち代わり、ヨンら三人が腰を据える縁台の周囲に腰を下ろしては囁き合い笑い合う。
場末の酒幕の一角が、俄に妓楼のような賑やかしい空気を纏う。

妓女とは金を得る為の手段だ。
なのにこの素人の女達が、何故妓女より妓女らしい振舞いをするのだろう。
ヨンは周囲を見渡す。
金も得ずに媚を売るなど愚かしい真似を。
しかし周囲の女達にそんな損得勘定の気配は微塵も無い。

ヨニョルの揶揄い声に高く笑う女達。
無言のチャン・ビンにしきりに秋波を送る女達。
照りつける夕陽、女達の白粉の匂い、初夏の緑の揺れる音。
店に立つ女人一人を探すのに此処まで騒々しい事になっているなど、天界の女人は知らぬに違いない。

考えれば酒が不味くなるのを知っていながら考えずに居られぬヨンは、空の盃を満たそうと酒瓶を握る。
その握った手の甲が、白い指先で制される。

必要以上に力を籠め握った所為で高く盛り上がった拳の関節。
触れる寸前で止められた指先は、なまじ直に触れられるより熱を伝える。
その指先を凝視してから視線で辿れば、最後に辿り着いた女の目がヨンに微笑み返す。

突然の宴席への闖入者にチャン・ビンは目を眇め、ヨニョルは満足げに唇の両端を持ち上げる。
「手酌など」
女は諭すよう静かに言うと、ヨンの酒瓶を握る拳へ目を移す。
「いけません。私がお注ぎします」

先刻顎まで浸かっていた後悔の泥水は、髪の先まで水嵩を増す。
いっそその水で溺れ死ぬも良いか。こんな馬鹿げた遣り取りなど。
開京一の美女とやらを見つけ恩を売り、祭の間店に立つと約束さえ取り付けられれば。
放って置けと怒鳴りたいのを堪え、ヨンは自棄な気分で酒瓶を握る拳から力を抜いた。

 

女と言うのは何故どの顔も同じに見えるのだろう。
頭を痛ませるのは酒か、それとも己の悪心か、白粉の匂いか。
それすら判らずヨンは心で繰り返す。
女と言うのは何故どの顔も同じに見えるのだろう。
店先に並ぶ茄子や瓜に差がない程、どの顔も同じに見える。
媚の滲む瞳も、必要以上の笑みを浮かべる唇も、美しいと思っているだろう首の傾け方も。

夕闇が濃くなる程に、周囲の白粉の匂いも濃くなる。
緑の木々の葉が闇に影絵のように沈む頃、女達の気配は強くなる。
酔いを言い訳に距離を縮めている訳か。
ヨンは他人事のように、周囲の景色を俯瞰する。

馬鹿げている。此処までして祭の売り子を探すなど。
適当な女を一人拾い上げ、口の巧そうなヨニョルが口説き落とせばそれで良い。
チャン・ビンにそんな芸当は無理だろうし、己は祭には行かぬのだ。
ヨンは縁台の正面に腰掛けるヨニョルに眸を向ける。

視線に気付いたヨニョルが女人らに向けていた目を戻す。
どうしたと問うように見開かれた目に
「いたか」
ヨンそれだけを短い声で尋ねる。
「決めるのはあんたらだろう」
ヨニョルが呆れたように言い返す。
「誰でも良い」

さっさと決め、さっさと帰りたい。
本心の滲む声にヨニョルはにやりと笑む。
「俺の審美眼なら」

顎で指したのは先刻ヨンの手を制した女。
周囲の他の女達とは違う。
嬌声を上げるでも秋波を送るでも無く、さりとて飲み食いするでも無く。
無言で其処へ座っている女に向けて、ヨニョルは目を動かした。
「あんたはどう思う」
「知る者か」
「いや、俺は初めて見る顔だ」

二人の話に気付いたチャン・ビンは口を挟まず耳を傾けている。
背を伸ばし端然と腰掛ける女の横顔に、ヨンの黒い眸が当たる。
「どうだ」

チャン・ビンは視線でその女をちらりと確認すると
「宜しいかと。何れにしろ・・・あの方は私が守ります」
医仙とは名指しせずに濁す言葉尻に、ヨンの眉が寄った。

あの方は私が守ります。

苛りとする事など無い。守ってもらえば良い。
そして己は別の方向から誓いを守れば良い。
奇轍を近づけず誰にも指一本触れさせず、出来るだけ早く無事に天界へ返す約束。
それを守れば良いだけだ。
「頼む」

何を頼んでいるのかヨン自身にも判らない。
女を口説けとヨニョルに頼んだのか、天人を守れとチャン・ビンに頼んだのか。
「酒母、勘定だ」

結局最後まで判らぬままで、ヨンはそう言って縁台を立った。

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です