2016 再開祭 ｜ 紫羅欄花・序章

【 紫羅欄花 】

きっかけはいつでも些細な事だ。
どんな風に始まったかすら、今となっては思い出せぬ程。

淋しそうな笑顔が、心の隅に棘のように刺さった。
しかし日々の忙しさに紛れ、尋ねる事すら忘れた。

尋ねられる事は無かった。何故それ程忙しいかと。
ねだられる事も無かった。自分の事を見てくれと。

丸くすべらかな器の端が、ある日ほんの小さく欠ける。
どれ程見つめても気付かず、唇で触れても判らぬ程に。

耳には届かずとも、音はした筈だ。
確かに欠けているのだから、其処に理由があった筈だ。

しかし気付く事は無かった。
取り返しのつかぬ罅が伸び、其処から水が漏れ出すまで。

此処より落ちる事は無い。
そう唱え何処まで離れるのだろう。
雨の向うにあの笑顔が見えないか。
ただ願いながら眸を凝らす事を、俺はいつ止めるのだろう。

一人きりの部屋、窓外の雨音の中に甘く高い声を聞く。
一人きりの寝台、伸ばす指先に柔らかく細い髪を探す。

広すぎる部屋の彼方此方に、小さな欠片が落ちている。
小さな走り書きの丸い文字。鏡台の前の柘植の櫛。
衣文掛けに掛かったままの、菖蒲色の地紋の胸帯。
雨に乗り漂って来る、胸が苦しい程の花の残り香。

一人きりにいつかは慣れて、聞こえなくなるだろうか。
独りが当然になった時には、探さなくなるのだろうか。

残された欠片を見つけても、平然と懐かしむだろうか。
あの時のように。

二人でいる事が倖せで、いつしか温もりに慣れきって、横にある小さな息遣いは己のものだと信じ切っていた。
互いの心の音が絡まって双の区別がつかなくなるまで、その鼓動は互いの為にだけ打つのだと思い込んでいた。

ならば溶け合っていた筈の心の臓に繋がる金の輪は、何故今二つ並んで、この手の中に残されているのだろう。
俺の指に嵌っていた輪と、あの細い指を飾っていた輪と。

これ程容易く外せる程なら、何故あの時拵えたのだろう。
これ程容易く離れる程なら、何故あの時待ったのだろう。

これ程容易く終わる程なら、何故あの時始めたのだろう。
何故俺は独り、答の無い問いを繰り返しているのだろう。

眠れぬ夜は一体いつまで続くだろう。
止まぬ雨は一体いつまで降るだろう。

俺達は一体いつ、最後の答を出すのだろう。

これ程苦しいくらいなら、いっそ潔く全て捨てるか。
端から無かったものと思えれば、未練すら湧かない。

見つけた事も、過ごした刻も、待った時間も、再会の後も。
総て夢だと思えるならば、いつかまた笑えるかもしれない。

昼見る夢は鮮やかすぎて、夜見る夢より心を冒す。
夢に侵され倦んだ心で、今夜も独り答を捜す。
どれ程逃げたい答としても、眸を逸らし続けるわけにはいかない。

ねえ、そこにいる？

あなたは今も、そう問いかけて下さるだろうか。

此処に居ります。

俺は今も、そう応えてやれるのだろうか。

雨の窓際、小さな手が最後に挿した、瓶の中の紫羅欄花が揺れる。

互いに大切なのに 小さなことの積み重ねで
気持ちがすれ違い 距離をおくことに
しかし 互いなしでは
生きていけるはずもなく 改めてヨンが
ウンスにプロポーズ （yon0716さま）