2016 再開祭 | 釣月耕雲・拾肆

 

 

「で」

翌朝の店内。全員の顔が揃う朝の光の中、苦虫を噛み潰したような声が響く。
「お早うございます、隊長!昨日お帰りじゃなかったので、心配してましたよ。
副隊長もチュソクもトルベたちも、勿論テマンも」
チェ・ヨンの肚裡も知らず、能天気な大声が返る。

「・・・ああ」
「奇轍たちも都を離れてるので、王様の守りは自分たちで回すと。隊長は残り二日、心置きなく医」
そこで素早く飛ぶ長い脚に思い切り脛を蹴られ、トクマンが土床にしゃがみ込む。

「・・・心置きなく、店を、守って下さいと伝言が」
「何故来た」
「昨夜典医寺の見廻りに行ったら、チャン御医に頼まれて。今日一日店に立つようにと」
痛みに顔を顰め床から立ち上がり、トクマンはようやくヨンへ事の次第を告げた。

「侍医」
「偶さか本日は非番と伺ったので・・・」
鋭い視線に困り顔でチャン・ビンが言う。

だからと言って迂達赤を連れてくる馬鹿が何処に居る。
あの水や石鹸を扱うなら典医寺、茶屋の切り盛りなら近隣の女人を借りて来るのが順当。
そうでなくば勝手の判らぬでかい図体が店内で右往左往し、無駄に手間取る。
まだ判っておらんかと、トクマンの浅計に舌を打つ。

勝手の判る者が接客すれば回転が早まる。
回転が早まれば、その分だけ物が売れる。
延々と出す店ではない。残り二日が勝負。
勝ち戦以外はしないと決めている。
相手が敵だろうが客だろうが、負ける戦は絶対にせん。

まして昨夜の嬉し気な顔。売り上げを報せる得意げな声。
ヨンの眸はチャン・ビンとトクマンと共に立つウンスへ走る。

久々に見た、天界の光り動く絵の前で見た時の活き活きした笑顔。
久々に聞いた、自信と矜持に満ちた本当に明るい声。
この方に負け戦は似合わない。ましてあれ程勝ちを確信していた。
勝たせたい。それも逃げ切るような勝ち方でなく、圧勝したい。
思い出と言うならそんな思い出を持って帰って頂く。
一点の染みも曇りもない勝利の思い出のみが必要だ。

「策を変える」
唐突なヨンの声に皆の目が集まる。

「トクマニ」
「はい隊長!」
「何もするな。ただ売って売って売りまくれ」
「売りまくるって、何を」
「糸瓜水、石鹸、歯磨きの粉。店内を動かず角に立って売りまくれ。
但し糸瓜水の客には売る前に必ず聞け」
「何をですか」
「肘の内側を見せろと。赤ければ売るな。侍医の処へ廻せ。
見せない時は、昨日確かめたかと訊け」
「肘の内側の確認、赤ければ御医の処で、見せなければ訊くですね」
「ああ」

命令に従う速さは人一倍だ。死なぬ程度に鍛えた甲斐もある。
満足気に頷くヨンに、トクマンが大きく声を返す。
「判りました、お任せください!」

部屋角に走り、トクマンが姿勢を正して立ってヨンを振り向く。
頷く顎を確かめると嬉し気に笑い返しまるで歩哨の時のよう、その視線が真直ぐに店向こうの往来へ当たる。

「おいおい、凄いな。戦みたいだぞ」
ヨニョルが半ば呆れたように、トクマンの立ち姿を眺める。
みたいではなく立派な戦だ。
ヨンはそれには返さずに続いてチャン・ビンを見る。

「侍医」
「畏まりました。赤みや痒みのある患者が居れば、適宜診察を」
「悪評は困る」
この方にも店にも品にも疵がつく。
面倒は御免だと、ヨンは改めて確かめる。
その心裡は判っているのだろう、チャン・ビンは自信に満ちた目で頷き返した。

「ご安心下さい」
「チャンイはトクマンの補佐に付け。何しろ奴は値も知らん。客が増えれば侍医を助けてくれ」
「はい」
チャンイは頷き、頼もし気にヨンを見上げる。

「ちょ、ちょっと待って」
ウンスが慌ててヨンを見上げるチャンイの視線を遮るように、腕を振り回しながら立ち塞がった。
「じゃあカフェは?これじゃ人手が足りないのは、昨日と同じよ?」
「・・・俺が加勢します」

まさに乗り掛かった舟、目と鼻の先に翻る戦勝旗。
みすみす逃してなるものか。心を決めヨンは頷く。
トクマンに茶の中身の説明は出来ない。教え込むには暇が無い。
これ以上の手が望めぬ以上、他に方法は無い。

「なあ」
各々持ち場に散りながら、ヨニョルが未練がましくヨンへ声を掛ける。
「本気で商売替え、考えないか」
「戦専門でな」
ヨンはまだ人の少ない往来へと目を投げて、低く呟く。

相手が敵だろうと客だろうと、振るうのが刀だろうと品だろうと。
この方がしたい事なら、活き活きと笑えるなら。
自信に満ちて顔を上げられるなら、楽しいと言って頂けるなら遣り遂げる。

それを護る為だけに、自分は此処にいる。

 

*****

 

いらっしゃいませ。ありがとうございます。
その行き交う声を、昨日の倍は聞いた気がする。
「糸瓜水を下さい」
「こっちが先よ!」
「ああ、並んで下さいって!」
「昨日はお見かけしませんでしたけど」
「新しい店員さんですか」
「あの、まず順に並んで、肘の内側を見せて下さい!」

押し寄せる客に揉まれつつ、角から動くなと言う命を遂行しようと棒立ちで、腰の引けたトクマンが声を張り上げる。
チャンイもその列の整理やら、並べた端から売れる品の補充やら、チャン・ビンの補佐やらに店中を駆けずり回る。

そして昨日に引き続き目前に列を成す女人を前に、チャン・ビンはその肘内を拭き、様子を見ては
「一晩見て赤みも痒みも腫れも出ねば、明日お買い求め下さい」
そう言って客を帰す。

予想外だとヨンは眸を眇める。昨日あの方の言った噂というものか。

今日は昨日の客だけが戻った訳ではなかった。
噂を聞きつけ、欲しいと思った新たな客が、昨日以上に詰めかけている。
そして狙い通り、見目の良い俄商人たちを一目見ようという野次馬客が。

目下の心配事は在庫だと、典医寺から運んだ品数を頭で数え直す。
そろそろ足りなくなっても不思議ではない。
茶ならば良い。材料はまだ典医寺にあった。
古くして使えなくなるより、いっそ総て捌ければ都合が良いと、チャン・ビンもウンスも口を揃え言っていたのを思い出す。

石鹸も作った後に残してあるのを見た。
典医寺で使うから良いわ。
あの時ウンスは切り分けた石鹸を袋に詰めて、能天気に言った。
問題は糸瓜水だ。
すぐに補充するわけにはいかぬ品が切れた時どう対処するのか。

チャン・ビンに、ヨニョルに群がる女客。
新入りのトクマンの評判も、聞こえる声から察するに上々。
客は昨日の倍も押し寄せている感がある。

そして何より、決して認めたくはないが。

「すみません、お茶の追加を」
真横にヨニョルが立っておろうと、その女を怒鳴りたい。

「他にどんなものがありますか」
目前に漢字の品書きがあろうと、その顔に献立を投げたい。

「今日お店が終わったら何をされるんですか」
何の関係があると、伸びてきた腕を掴み外へ放り出したい。

「糸瓜水、試してないので塗って頂けますか」
其処で侍医が苦戦しておろうと、奴に向け頭を捩じりたい。

さっさと飲み食いを終え、隣で糸瓜水の一つも買って出て行け。
此処でそう叫んでやれればどれ程この心の靄が晴れるか知れん。
笑おうが怒ろうが無表情で居ようが、客達にはどうでも良いらしい。
無理に笑えば黄色い声を上げられ、眉を顰めれば頬を赤く染められ、無表情に歩けば視線が追い駆けてくる。

負ける訳にはいかぬ。戦勝旗を掴み取るまで。
ヨンは呼吸を整え、丹田に今一度気を籠めた。

 

 

 

 

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