2016 再開祭 | 釣月耕雲・廿壱

 

 

「この人の事じゃなく、他の男のことだろ。
あんたの昔の男だか何だか知らないけど、この人に随分失礼じゃないか。
屑なのは捨てられたあんたじゃなくて、その男だ。そんな屑とこの人を一緒にするなよ」
「ヨニョル。お前良い事言うなぁ!!」

チェ・ヨンが口を開くより先に、トルベが嬉し気にヨニョルの肩を音を立てて叩く。

「こいつの言う通りです。俺の隊長はそんな屑じゃない。一緒にはしないで下さい。
必ず理由があるんです、例え口にはしなくても」
そのままトルベがウンスを見、そう言って小さく頷いた。

「隊長の事を判っているのは皆同じ筈です。他の無礼な男と比べるのは間違っている。
隊長が今迄一度でもそんな失礼を犯しましたか。口先だけの偽りをおっしゃいましたか。
そう出来る程に器用な方なら、寧ろ安心です」
とどめのようにチャン・ビンが、ヨンへ視線を向けてみせる。

どいつもこいつも勝手放題だと、ヨンが呆れた息を吐く。
しかしこれ以上部外者に内々の恥を晒す気も、秘密を漏らす気も無い。
ヨンが突然始まった筋違いの口論に毒気を抜かれた女達を顎で示すと、トルベが頷いて平等に二人の女の肩を抱き、店外に連れて出る。
そして往来に二人の女を並べ、長身の膝を折り、それぞれの女を平等に見遣った。

「今日は帰れ、良いな」
「だって、トルベ」
「殴りたかったら別の日に殴ってくれ。今日はもう店仕舞いだ」
「殴りたいわけじゃ・・・」
「そうそう。女人は素直が一番良いぞ。おまけに二人が仲直りしたら俺は最高に嬉しいがなあ」
「あんたが誰かを選んだと思ったから」
「まだ判ってないな。俺は綺麗な女人は」

無邪気で罪作りな男は、西日の影が伸びる往来で天真爛漫に笑った。

「みーんな好きなんだよ。分け隔てなく。誰か一人を選ぶなんて、死ぬまで絶対出来ないね」

 

*****

 

陽の落ちた市の、最後の宵。
昨日まで座っていたチャンイの席は空いたまま、代わりにトルベが長卓へ収まる。
しかし先刻の言い争いが尾を引いて、既に品も捌け殺風景になった店中は空気が淀んだままだ。

「・・・えーっと、売り上げなんだけどね?」
ウンスも公衆の面前でヨンを責めた事に気が引けているのか、どうして良いか戸惑うように重い口をようやく開く。

その声を聞きながらヨンは肚裡で呟く。
売り上げなど糞喰らえ。商いという戦を支えたこいつらへの労い。
今日知ったチャンイの正体。共に働いたこいつらは知るべきだ。
そして意味も判らず責められた己の面子は取り戻す。

誰か一人を決して選べぬ男もいれば、一人の女しか選べぬ男もいる。
一人の女に心を渡せぬ男もいれば、一人の女にしか渡せぬ男もいる。
屑のよう捨てる男もいれば、捨てられても追い掛け続ける男もいる。

この心が選んだのは。この心を渡したのは。この心が追い掛けるのは。

言い淀むウンスを余所に、壁に凭れたヨンが口火を切った。
「ご苦労だったな」
その声に長卓の男達が姿勢を正し、それぞれに頷き返す。
「チャンイ、あの女は手裏房だ」

続くヨンの呟きに、居並ぶ口から驚きの声が漏れる。
「隊長、手裏房って」
「・・・あの有名な、裏の情報屋ですか」
「嘘だろ」
「ヨニョルも知っているか」
「そりゃあ開京で商いやってりゃ知ってるさ。噂だけだが」

ヨニョルは妙に感心したようにしきりに頷きながらヨンへ尋ねた。
「こんな近くにいるもんなんだな。灯台下暗しって奴か。全然気がつかなかった。あんたはいつ知ったんだ」
「今日の夕だ」
「成程な。それであの女は消えたってわけか」
「裏で動く奴だ。面が割れて面倒を避けたって事ですか、隊長」
トルベも納得したようにヨニョルの声を継ぐ。

そうとも限らぬと、ヨンは小さく首を捻る。
あの女は言った。号牌を持って来い。追って来い。
自分たちは味方だ、力になると。

面が割れて姿を消したのではない。時期でないから消えたのだ。
時期。叔母上が俺に号牌を渡す時期。
謎かけのように残された言葉が棘になり、チェ・ヨンの心の隅に刺さる。

何の時期だ。あの言葉がすべて正しいとすれば。
叔母上もマンボ達も一体何の時期を待っている。
判ったのはその号牌とやらが無くば、二度と手裏房に会えぬ事。

あの頃。死んだように眠る為だけに居ついた手裏房の隠家の離れ。

眠り続けて目を醒ませば口では罵りながら、マンボは舌が灼ける程熱いクッパの椀を必ず出した。
己とて長い付き合いの赤月隊の面々を亡くした辛さは変わらぬのに。
師叔は何を問う事もなく赤黒い酒灼けの顔の中、酔いに淀んだ目でただ心配そうに俺を見ていた。
己とて兄弟子として慕ったあの師父を亡くした痛みは変わらんのに。

あの手裏房の隠家を引き払い、行方を晦ませ七年近く。
完全に途絶えたその足跡を追い内心舌を巻いたものだ。

こうまで完全に消えるなど誰にでも出来る事では無い。
手裏房の名は伊達では無い。
確かに奴らはどんな情報も手に入れ、そして消す事も出来るのだと。

今度こそ会いたい。会って聞きたい事がある。
何故俺が再びあの時のようになると思うのだ。
俺はもう誰とも刻を分け合わない。誰とも心を繋がない。
思い出を積み重ねる事も、声にならぬ想いを積もらせる事もしない。

マンボ、師叔。お前らが今握る俺に関する情報は何だ。
俺の知らぬ俺について、お前らは何を知っているのだ。

「ね、ねえ」
その時恐る恐る掛かるウンスの声に、男達の目が当たる。
「チャンイさん・・・その、スリバンって、何?」
「ああ、面倒な人だな!」

苛立ちを隠しもせずに、ヨニョルはそう言ってヨンを指す。
「あんたはあの人について頓珍漢な事言って責めたけど、あの女は表を堂々と歩くには厄介な女だったんだよ。
それがばれて逃げた。つまりあの人は少しも悪くなかったって事だ。分かるか」
「ヨニョル」
「隊長。申し訳ないが今回は、俺もヨニョルに賛成だ」
「トルベ」
「隊長、お二人は少々極論とは思いますが・・・隊長が説明する前に公衆の面前で責め立てたのは、確かに些か行き過ぎかと」
「煩い」

ヨンは凭れていた壁から身を起こし、責めるような男達の視線から肩を落とすウンスを庇うよう、その間に割って入る。
「俺は構わん」
「隊長!副隊長からも言われたんですよ、隊長の面子を潰すなと」
「お前がだろ」
「誰が潰そうと同じでしょう!」
「悪いが」

ヨンのひと睨みにトルベは口を閉ざす。
面子が潰れるのは困る。確かに困るが、この方ならば仕方ない。
己が選んで連れて来た。何が起きようと総て己の責。
どのような形でもこの方の事は全て己が引き受ける。

「全く違う」

俺が勝手に追い駆ける。あの約束の成就の為だろうと何だろうと。
ただ無事に帰したい。その日まで俺が護る。
面子が潰れようと誰を傷つけようとこの方が無事ならそれで良い。
他の誰が俺の何を知ろうと裏で如何な策を巡らせようと関係無い。
災いの許の口は何としてでも塞ぐ。危地に陥れば身を挺して護る。

俺以外の他の者がこの方を責める事は決して赦さない。
声を交わし思い出を積み重ねる、そんな夢は望まない。

この方だけは最後まで護る。この先に何が起きようと。

 

 

 

 

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