2016 再開祭 | 木香薔薇・廿捌

 

 

「いらっしゃい!」

木香薔薇の揺れる庭、俺の横から明るい声が響いた。
縁側で腰を上げ、其処に据えた鬼剣を掴む。

丹田から息を整え己に向け言い聞かせる。
素人相手にいつもの速さで抜かぬように。
今現れるのは敵ではない。既に戦意はないはずだ。
鍛錬を付けるだけだ。間違っても斬るな。

貴族の子息であれば当然連れていると思った伴も付けず、男は一人コムに先導されて庭先へ現れると、此方に向けて深く頭を下げた。
「初めまして、チェ・ヨン大護軍様。西京玉家、澤演と申します」

痛めた足を引き摺るような様子はない。
門からの径を近寄る足音にも妙な処はなかった。
確りと両足に等しく重みが乗り、一歩ずつ確実に寄って来た。

天界の医術の恩恵に与り、捻挫は思うより軽く済んだか。
ならば鍛錬以外に妙に気を廻す必要もない。
握った鬼剣の鞘先を、逆掌の上で弄ぶ。
鞘の中の冷たい音に横のこの方が気付き、此方をそっと盗み見る。

「ヨンア?」
「はい」
「無理はダメ。まだ完治したわけじゃないの。まずは足首を柔」
「承知」

この方の声を遮る事などまずない。余程の無体を押し付けられぬ限り。
そしてその数える程の、滅多にないうちの一度は此度。

此処に押しかける勢いの男達を止めただけで感謝して欲しい。
いきり立った手裏房、そしてトクマンを宥めた俺の身になれ。

一昨夜の手裏房の酒楼での大騒ぎを思い出し、未だに痛む蟀谷を覆いたい気持ちで、太く大きな息を吐く。

其処にこびりついているのは酒ではない。あの男達の怒鳴り声。

 

*****

 

「旦那、調べたぞ!」
一人で来いと呼び出された酒楼。
頼んでもいない声を掛けられ、事の次第が呑み込めぬ俺は無言でシウルの顔を見た。

「旦那と天女絡みじゃなきゃ、こんなただ働きしねぇけどな」
その横で不服気に口を尖らせたチホが、続いて俺に寄って来る。
珍しく同席する師叔はヒドと並び、無言で肩を竦めると手にした盃を卓へと置いた。
「まあ座れや、ヨンア」

師叔が指先で卓を弾く音に導かれ、卓へ近寄る俺に
「大護軍、お呼び立てして申し訳ありません」
一拍遅れて席を立ち、トクマンが深く頭を下げた。

「お邸にとも思いましたが、医仙がいらっしゃるので」
「・・・ああ」
昼の内に手配したのだろう。邸に訪れた使者はテマンだった。

「大護軍、酒楼までって呼び出しが」
いきなり現れた庭先で、そう言って俺とあの方へ頭を下げる。
「え、私は?」
あの方の声に、テマンは大きく首を振る。
「大護軍だけです。留守の間は、俺が」

忠義な男が断りなく動いた。酒楼に呼び出すなら相手は手裏房。
それでも迷いのない表情を見る限り、奴の義には反していない。

徳興君、奇轍、元の断事官、王妃媽媽。
手裏房絡みでこの処碌な事はなかった。
それでも此方が頼んだからこそ動いてくれたと知っている。

本来ならばただ働きをするような、無能で安い情報屋ではない。
此度は頼んですらいない。あの方に危険が迫る気配もないのに。

春の宵が好きだ。
長い日の終わりに、始まる夜の最初に、あの方と逢えるならば。
しかしあの方抜きでこいつらと膝を突き合わせるのは、然程嬉しいとは思えん。
嫌っている訳ではなく、其処にはいつもきな臭さが漂うからだ。
まして己が頼んだ訳ではなく、奴らが独断で動いたともならば。

日暮れは一日毎に長くなる。
呼び出しを受けた酒楼の西空は、未だに昼の明るさを残した春の色。
夏の濃い碧とも、秋の高く抜ける青とも、冬の凍てつく蒼とも違う。
その空の許に集うに相応しいとは到底思えぬ、居並ぶ男達の険しい顔。

シウル、チホ、トクマン、ヒド、師叔。
まず確かめるなら首領であり、最年長の師叔だろう。
「一体何だ」
「何だじゃねえよ」

苛立った声で即座に切り返され、向いの酒に灼けた赤ら顔を見る。
先ず考えたのは己の、若しくはあの方の落ち度。
酒さえあれば機嫌の良い師叔に、わざわざ杯を置かせるような失態を犯したのか。

考えても思い当たらん。
第一この処己は昼夜を問わぬ鍛錬に、あの方は胸糞悪い治療にと、互いに慌ただしく過ごしていた。
手裏房絡みの大事は起きておらぬし、奴らの手を借りねばならぬ面倒を起こした憶えもない。

「師叔」
「ああ、判んねぇだろうよ、おめぇには」
師叔は手持無沙汰に太い指で杯を握り、それでも口に運ぶのを堪えぶつぶつと不服そうに呟いた。

「こっちのでかいのが俺らに知らせるまで、だんまりを決め込んだぐらいだからな」
その赤く淀んだ目がでかいの、と言う処でトクマンを捕え、他の面々が黙って頷く。
驚いたのは師叔の声に、名指しされたトクマン本人も頷いた事だ。
俺に黙って手裏房に何かを頼み、それをのうのうと認めている。

「トクマニ」
「はい、大護軍」
「勘違いするな。手裏房は使い走りでは」
俺の不機嫌な声に次に反旗を翻したのは、長い付き合いの若衆二人。
「別にトクマンに言われたせいじゃねえぞ」
「そうだよ、旦那」

どういう事だ。
今まで幾度追い払おうとも仔犬の如く尾を振って、後をついて廻って来たこいつらまで。

「トクマンが槍の鍛錬に来てよ、あんまり様子がおかしいから俺が無理に訊き出したんだ」
チホの不満げな声に、シウルが横から頷いた。
「そうだぞ、無茶苦茶に槍を振ったと思えば急にワーって叫ぶし。
体がでかいから、声もその分でかいし。こっちまでびっくりした」

こいつらにまで反感を買う事をしたろうか。
何故こんな責めるような目で俺を見るのか。
未だ一言も発さぬヒドに視線を移せば、奴は眼を閉じてしまう。

孤立無援という訳か。 絶対に裏切らぬと信じた者らに囲まれて。

「西京のオク家。表通りに別宅があんだってな。息子は国子監に入学。探すまでもねえ、それだけですぐ見っかった」
師叔は若衆の言葉を代弁するように、そう言って頬杖を突いた。

「何でも父親が西京監営のお偉いさんで、さんざ蔭叙を勧めたのを蹴って家を飛び出たらしいぞ。国子監入学前に。
市井じゃみんな噂してたってよ。妾と庶子を引張りこむような家じゃ、正妻の子がいたくないのも当然だって。
テギョンって息子だろ。天女に懸想したって言うじゃねえか」

一息に捲し立てられ、無言で聞くしかない。
あの若造、テギョンとやらの出自は判ったが、その一体何がこんな不興を招いているかが判らん。
「師叔、それは」
「・・・やはりな」

無言のままの俺に、今まで眼を閉じていたヒドがぼつりと言ってそれを開いた。
まだ顔は上げない。それでも声音から腹を立てているのは判る。

「随分物分かりが良くなったものだ」

俺に言うでも、周囲の他の面々に聞かせたいでもなさそうに、ただ独り言のように。
そして珍しく咽喉の奥で笑うような音を立て、その視線がゆっくり上がる。

夕とはいえ、陽の許にいるこいつを見るのは久々な気がする。
見詰める俺を卓向いから上げた眼で確りと見据え、ヒドは明らかに冷笑を浮かべると低い声で言い放った。

「腰抜けが」

 

 

 

 

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6 件のコメント

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    あら?テギョンさんのお父さんって、
    なんでそんな常識外のことをしたんだっけ?
    単なる女好き?^^;読み直さなくちゃ?w
    それにしても、どうしてマンボ、ヒドは
    こんなにお怒りで?いや、少しはわかるけどw
    屋敷で鍛錬するから?(-ω-; ムム…
    うーん。もっと何かあるのかなあ。
    テギョンさんがすごいストレス抱えてるのは
    わかったけど、、、ここまで丁寧に描くお話
    なんだから、もっときっと大事があるのか。。
    と、期待したりして?(*≧艸≦) ウフフ

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    それにしても、一目見ただけでテギョンさんの抱えているストレスを見抜いたウンスって、やっぱりすごいわ~。
    周りが「医仙に懸想とは!」とヤキモキしていても、
    初めから「承認欲求」だってヨンに言ってたし…。
    テギョンさんって、今まで地位も名前も関係なく、一人の人として扱ってもらったことがなかったんだろうね。
    ウンスとヨンに出会ったから、きっと成長できると思うわ。

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    私の想像を越えた展開にびっくりです
    流石ウンス!サスペンスの犯人探しばりにテギョンさんの身体の不調を見抜いたようですね
    ラブコメ的要素も盛りだくさんでヨンと侍医の会話とか吹き出しちゃいます
    2人の大切な庭でヨンがどんな鍛錬するのかなぁ~
    そしてヒドの「腰抜けが」の一言が気になる~

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    若様の初恋と捻挫が
    こんなに大事になっちゃって…
    ヒド兄さんー
    自己中心的なウンスと
    ウンスを甘やかし過ぎなヨンに
    お説教してくださいませ(^^;

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