2016 再開祭 | 神技・結参

 

 

「ガラス試験官が欲しいの。王様と媽媽にお願いしてもいい?」
「しけんかん」

飯が終わり運ばれた薬を飲めば、もう他にする事は無い。
診察部屋の中、隣の寝台とを区切る目隠しの薄黒の紗の布を降ろし、この方がゆっくり訊いた。

寝て治せと言い張る俺の主治医は、歩哨さながら寝台の横に張り付いている。
俺の声に細い親指と人差し指で円を作り、この方は眸の前に示して見せた。
「これくらいの太さで、透明なガラスで作るのよ。今回、あったら便利だなーと思って。それから」

いつもより舌足らずの口調は、疲れたのか眠いのか。
まるで己を奮い立たせるように、この方は声を繋ぐ。
昨夜も寝台の脇、椅子に腰掛けたまま碌に眠っておらぬのだろう。
時折本当に眠たげに瞳を瞬かせながら。

「注射針。あのね、鳥の羽根の軸」
「はい」
「あの羽根の軸って空洞なの、だから鳥は飛べるのよ。知ってる?」

深く考えた事もなかった。
しかし確かに射落とした鳥の羽根を毟る時、風切羽の根元の白く細い骨は空洞だ。

「あんな風に空洞でね、あれよりもっと細くて・・・そうね。鍼治療の一番細い毫鍼より、もっとほそーいのが欲しい。
ヨンアが治ったら、巴巽村の鍛冶さんに相談したいの」
「判りました」

半ば眠りに落ちるかのよう瞳を閉じて、この方は俺の手を握る。
そのまま握った手に頬を寄せ、まだ欲張りなその口は閉じない。
「それからスプーン。大きい杓文字もいいけど、大きすぎて食べにくい事もあるし。作ってくれる?」
「はい」
「それからねえ。硝石丘を作りたいの。これは覚悟がいるけど・・・」

ようやく止まった声が言い淀むのを、眸で促す。
「何ですか」
「高麗末期には国内で火薬が完成するはずなの。原料に必要な硝石。硝石を作るには硝石丘が必要」
「硝石丘」
「うん。トイレの土を掘り起こして積み上げて、藁とか木の葉とか土と混ぜて定期的に屎尿をかけて発酵させるの。
硝石が取れるまで何年かかかるけど、代わりに相当な量が取れるのよ。
それに硝石丘を作っておけば、アンモニアの採取も楽になるしね。ただ匂いがすごいわ。
皇宮の端で木がたくさん生えてて、雨が防げて風通しのいい、周囲に建物が何もない所に小屋を建ててもらう必要があるけど」

随分と尾篭な話になって来た。
しかし火薬に必要、何よりこの方に入用となれば。
「何れ王様にご説明を。俺からもお伝えします」
医にも火薬にも有効となれば、王様が却下されるわけもない。
その声に
「・・・うん」
頷いたのか舟を漕いだかよく判らぬ仕草で、この方はこくりと頷く。

「少し寝て下さい」
「ダメ。そしたらヨンア寝ないでしょ。ちょっと良くなったからって」
慌てたように強く頭を振り、この方が無理に瞳を大きく開く。

この方を寝かせたい。俺も息を整えたい。
結跏趺坐を組むのは無理でも、せめて調息をしたい。
あとはゆっくり眠れば、体毒は数日で完全に抑える事が出来るだろう。

そうすればこの方の欲しいものを手配できる。治りが早ければ早い程。
しかし碌に寝もせぬこの方を前に、眠るのは無理だ。
腕が抜ける程の重い桶を抱えて、危なかしい足取りで歩く姿を眸にしながら。
こうしてあらゆる可能性を探す声を耳にして、一人で寝られる訳など無い。

まして疲れ故に食材を間違えるなど、俺ですら内心驚いた。
この方らしくない。俺よりも余程心配なのはこの方だ。

「判りました」
俺の声に、この方が眸を見つめ返す。
「ならば、部屋を移して下さい」

 

*****
 

「離して」
「厭です」
「離してってば!」
診察室に集まったみんなが手を貸してあなたを移してくれた先。

典医寺の私の部屋のベッドの上。
夏用の薄いブランケットにくるまってもがく私を後ろからがっちり抱き締めて、あなたが満足そうに笑う。

「俺は何処にも行かぬ。お望み通りでしょう」
「あのねえ、絶対安静って意味はね、1人でおとなしく」

抗議の声に頷きながら私の髪に鼻先を埋めて、耳元で低い声が言う。
「ならば大人しく。それなら俺も暴れずに済む」
「だからそもそも、2人で並んで横になることないでしょ?!」
「その方がよく眠れるので」

その平然とした態度に呆れ返ってベッドの中で反転したら、あなたの高い鼻とおでこがニアミスしそうになる。
勢いあまって高い鼻にヘッドバットしなかっただけラッキーよ。

「ねえヨンア。どれだけ体調が良くなっても、脈が戻っても、まだ安静にしておかなきゃいけないの。
急性腎炎だったのは間違いないんだから」
「殆ど治ったと」
「ほとんどっていうのと完治っていうのは、意味が全然違うのよ!」

確かに百歩譲って、乏尿期はほぼ24時間だったのかもしれない。
浮腫もない、脈も戻っている、症状が治まってる以上、普通ならそう診断を下すべきよね。
急性腎炎の臨床経過は患者によって違う。短期間で消退する人もいる。
敗血症の時ですらあれ程の回復力を見せたし、不思議ではないのかもしれないけど。

チャン先生もあの頃言ってた。
隊長は飛び抜けて内功に優れた方故、殆どの傷は縫わずに治りました。
外傷が縫わずに自然治癒できるなんて半信半疑だったけど、この回復力があれば確かに頷ける。

だけど私の部屋のベッドの上で、まるで大きな子供みたいに幸せそうなあなた。
黒い瞳を細めてゴロゴロしてる姿はもう、全く病人って感じじゃない。
ただのわがままいっぱいの甘えん坊だわ。そんな私の目の前で、珍しいあなたのわがままが続く。

「故に、寝ましょう」
「ヨンア、寝るのはあなたよ。私はやらなきゃいけない事が」
その声にあなたのご機嫌な顔が、突然曇る。
「俺の主治医が、俺の事以外に何を」
「・・・それは、だから」

言い訳なんて考えてなかったから、とっさには出て来ない。
あなたはおでこを突き合わせるくらいの至近距離から、怒ったみたいに私をじいっと見る。
「王妃媽媽の往診は、キム侍医が引き受けた筈です」
「それは・・・そうだけど」
「他に診たい患者が居りますか」
「え?」
「俺以外に」
「それは、そんな患者はいないけど」
「では寝ましょう」

宣言するように言うと、あなたは私をきつく腕に抱いて目を閉じる。
そんな風に気持ち良さそうにされたら、私だって眠くなるじゃない。
確かに、ひとまず起きて出歩かれるよりはマシ。
回復期とはいえ、暴れられるよりはこうして静かにしててくれた方が良い。

腕枕は暖かいし、髪をなでられて気持ち良いし、急患もいないし。
だから、ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ。

あなたの襟元に鼻をすりよせて、私は目を閉じた。

 

 

 

 

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