2016 再開祭 | 神技・前篇

 

 

「これは」

先生から見れば、そこに並んでるのは全部ただの透明な水だろう。
この時代何より貴重な透明なガラスの器に、用意した硝酸銀水溶液を薬匙で入れる。

そこにアンモニア。最初の少量で、お皿の中身がベージュに濁る。

横で様子を見ていたキム先生や医官のみんなが、驚いたみたいに息を止める。

そうよね、透明の水と水を混ぜてこの色になれば不思議よね。

「ウンス殿」
「ウンス様、これは」
「ああ、いいのいいの。これをもうちょっと入れると」

たらたらっと過剰アンモニアを加えると、あっという間にお皿の中がもう一度透明になる。
みんなから起きたざわめきに、思わず少し笑ってしまう。
確かにこれだけ見たら、まるで手品よねぇ。

さて、ここからは確実に。
「ごめんね、ちょっと明るいところで確かめたいから」
みんなの興味はわかるけど、私の作業する台の上のお皿を中心に円陣がどんどん狭まって来てる。
手元が暗くなったら、微細反応を身落とすかもしれない。

横の薬缶と、そして食塩水を確かめてから。
まずあの人の尿を加えてそのお皿をピンセット代わりの大きな鉗子で挟んで、静かにお湯の上に浮かべる。
中に余計な水分が混ざったら意味がない。

鉗子ごとそっと引き上げると、ガラス皿の中の水溶液は茶色に反応してる。
尿内のブドウ糖はわずかだから、銀鏡反応なんてもちろん出ないけど。
「決まり」
「・・・何がでしょう」

みんなの目が、その茶色く変わったお皿の中身に集中する。
みんなの疑問の声を代表するみたいに、キム先生が聞いた。

「あの人の尿が反応したってことは、尿にブドウ糖が出てるってこと。
腎炎よ。ただし先生が言う通り、肝臓と並行して治療が必要だと思う。
茵陳五苓散で行かない?」

私の示したお皿の色、そして下した薬湯の処方に、キム先生はこれ以上ないくらい満足そうな顔で頷いた。
こうやって何か一歩進むたびに、必要だなって思うものが出て来るわ。
今回は試験管。毎回お皿じゃ時間がかかるし、液面が広い分周りの色が反射して正確な色反応が見にくい。

王様と媽媽にお願いするしかない、わよね。必要経費だもの。
私は確認の終わった試液に、念のため濃く作った食塩水を入れる。

「じゃあ先生、処方箋を出して薬湯をお願い。あと、あの人。もうちょっとだけ見ててくれる?
まずは尿量が安定して、ブドウ糖反応がなくなるまでは絶対安静。トイ・・・厠も最初は一人で行かせられない。
尿はしばらく毎日検査するから」

お願いすると先生が驚いた様に、目を丸くする。
「病が判ったのなら、もうウンス殿が」
「ううん、私はあともう一仕事あるの」

食塩水で無効化した試液を木桶に流し込んで、外に捨てようと私は扉に向かう。
「それならば私が捨てて参ります」
先生が木桶に伸ばした手に首を振って、私は笑った。
「ありがと。でもあの人の食事のこともあるから、相談してきたいの」

桶を抱えて外に出ながら、次のステップを考える。

腎臓に塩分は禁物。かといってこの夏に向かう時期、熱もある。
全く塩分を取らないわけにもいかない。
塩化ナトリウムの代用調味料になるのはお酢、それに柑橘系の果汁。
減塩なら天然の塩麹を作ってみる?
塩分は調整できるし、麹は天然の点滴って言われるくらい、確実にブドウ糖が摂取できる。
今の時期なら1週間くらいで出来るし、あの人の病状が回復した頃にぴったりよね。

無効化したとはいえ化学薬品。地面に直接流したくない。
診察棟から離れた水路への道を歩きながら、夜の空を見上げてようやくほっと息を吐く。

あとは薬湯治療。肝臓と一緒に治療する必要がある。
急性腎炎なら、排出される蛋白質とブドウ糖の補給。
理想的なのはサムケジュクかな。鶏肉なら・・・我が家の裏庭の鶏に手を合わせるわ。
鶏肉の蛋白質とお米のブドウ糖。すり潰してるから消化吸収もいいし。

もうすっかり夜の庭。真っ暗を通り越して、闇が重たいくらい黒い。
だいぶ慣れたつもりだったけど、典医寺から離れた水道に行こうとすると足元がおぼつかない。

あの人がいないと、まだまだ出来ない事が多くて情けない。
それでも私が出来ることを1つずつ。

今回は慢性化させない事が一番大切。
慢性腎炎どころか透析まで必要な腎不全まで悪化したら、手の施しようがなくなる。

ああ、透析で思い出す。点滴針も欲しいなあ。
容器ならガラス瓶で代用できる。チューブは無理なら静脈注射でもいい。
少量づつ、輸液が確実に静脈に入れば良いんだもの。せめて針だけ。
巴巽村の鍛冶さんに、どうにかお願いできないかしら。

暗い庭の中を流れる、水路の水音が近づいてくる。
こうして暮らすようになってから、いろんなものに敏感になってる。
匂い、音、何かの気配。もちろんあの人には全然かなわないけど。

武人として鍛えられた後天的なものなのか、先天的に勘が鋭かったのか。
だったら今、私がどれだけ心配してるか分かってるはずよね?
私は今、あなたが心配してくれてるって分かるくらいだもの。

でもごめん。
眠ってるあなたのとこに戻るには、あともうちょっとだけ時間がかかるの。
すぐ戻って来るから分かってね。

おとなしくぐっすり寝て、待っててヨンア。

離れてちらちら見える典医寺の窓の明かりを一瞬だけ確かめて。
手にしてた木桶の中身を水路の端に流し終えて、新しい水で桶をすすいで片付けて。

立ち上がった私は、次の場所に向けて暗い庭を精一杯早足で歩き始める。

 

 

 

 

5 件のコメント

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    さらんさん、こんにちは!
    仕組みも分かってるからできる事なんでしょうがウンスって本当に努力家ですよね。
    医療器具が揃っていないこの時代、必要なもの、揃えたい物は山ほどあるでしょう
    まずは毎日の尿検査かぁ 食事にも気を使うものね。
    透析何て事になったら本当に大変だ
    ドキドキしたがら見守っています!

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    あらためて ウンスさん 賢いわ。
    医者だから…それ以上に 博識じゃないとね
    すごいわ~
    なにせ 患者が愛しい人ならば
    頭の知識を絞り出しててでも 頑張るわね~
    足元気をつけて~ ヨンに余計な心配かけちゃダメ~

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    さらんさん、凄いです!!
    理科系がお得意だったのですか?
    英語も堪能だし、韓国語もかなりご理解なさっていらっしゃるのに、理数系だったのかな…と。
    ヨンの大切なウンスに戻します………
    ウンス、さすが韓国センター試験で最優秀と言われた頭脳ですね!!
    何も揃わない高麗の時代に、知識を駆使して調べあげる…。ソウルで、外科医までしていた力を、ヨンのために発揮している姿は、惚れ惚れします。
    ヨン、腎炎だったのですね。
    本当に、慢性化したら大変!!
    ウンスの医学の力を信じて、治しましょうね。
    高麗の武神として、これからも戦地へ赴き、大勢の兵士の先頭にたつ男です。
    完全に治療しておきましょう!!
    ウンスは、薬や食事など、もう少しヨンへの対応策ができたら、寝台に戻ってきてくれますよ。
    そうしたら、たくさん甘えてくださいね。

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    ウンスさん
    知る限りの知識を
    ふる回転させて頑張ってますね(^^)
    ヨンが知ったら、ますます愛しくなることでしょう❤
    そして、もう二度と病に倒れないって
    自分自身に誓うんじゃないかなぁ(^^)

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    更新は数日お休みされると言っていたので、今日訪問したら週末も更新されてる~
    ヨンが病気になっちゃうお話しですね^^
    いつも思いますが、医療知識にしても、今回の試薬にしても、さらんさん確か以前文系って言ってましたが、理系女子の様ですね ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
    下調べ等沢山されるんでしょうね。
    私は理科は生物以外は化学も物理も苦手だったので、尊敬します。
    ウンスの知識を総動員しての看病、今後の展開も楽しみにしています(o^-')b

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