2016 再開祭 | 彷徨・結篇(終)

 

 

「・・・あ」

思った通り、その声はあの日マンボの前で泣いた女の声と同じ。
あれから寝ていた三日の間、ずっと此処に立っていたのか。

馬鹿なのか、執念深いか、それとも何か企みがあるか。
どちらにしろ関わるつもりなど毛頭ない。ただマンボに居所を密告されるのだけは困る。

何しろあの寝床は、今まで抱いたどの女よりも気に入っている。
何も求めず慾も押し付けず、勝手に独り何処かへ消える事もない。
「帰れ」
「あの、憶えていらっしゃいますか」
「帰れ」
「十日ほど前に裏道で助けて頂いて・・・あの時は本当にありがとうございました。お礼を・・・」

話にならない。

「帰れ」

三度同じ言葉を言えば、どれ程愚かでも意味は判る筈だ。
繰り返した声にも女は立ち去る気配すら無い。
俺が想像する以上に、この眸の前の女は愚からしい。

「お礼を、したくてそれで・・・」

もう話す事は無い。俺は踵を返し、そのまま酒楼への門へと戻る。
「ヨン、さん」

女は背を向けた俺に声を掛け、小さな足音で追い駆けて来る。

面倒だ。全てが面倒なんだと怒鳴りたくなる。
このまま酒楼の居部屋までばれれば、次は中に入って来ないとも限らん。

俺はそこで脚を止め、真後ろの女へ振り返った。

「何が目当てだ」
「え」
「礼は要らん」
「あの、あの時殴られた傷は・・・」

心配そうに此方へ伸びた手を、己の手で振り払う。
「触るな」
「済みません、心配で」

振り払われた勢いで足許をよろけさせ、女が慌てて頭を下げる。
何故頭を下げる。何故振り払った俺に怒らない。

心配が聞いて呆れる。迷惑がる相手に心配など親切の押し売りだ。

全てに腹が立つ。己だけの慾を満たそうとする者全てに。
この声を信じず置いて逝った奴、重過ぎる言葉を残して逝った人。
俺を護り家族を守って先に逝った兄弟、自分の慾だけ吐きたい女。

そして眸の前のこの弱々しい、不条理に扱われても頭を下げる女。

「違うだろ」

門の入口で唸った俺の低い声に女が首を傾げる。芝居か、それとも本当に頭が足りないのか。

「自分が気持ち良くなりたいだけだ」

相手がどれ程迷惑がろうが悲しもうが構わない。考えない。
我慾さえ通せればそれで良いのだろう。詫びた事実さえあれば、それで気が晴れるのだろう。

うんざりだ。周囲の者が皆、己と同じ考えを持つと思うなら。
同じように考えるなら、考えて先が読めるなら、俺は喪わなかった。

あの忠恵の企みが、真黒な肚裡が先に読めれば隊長は。
メヒがあんな事を考えていると知っていればあいつは。
敵の肚裡が先に読めれば、作戦が読めていれば仲間は。

「帰れ!二度と来るな!!」

太い怒号と共に、脇の門柱を拳で思い切り叩く。太い木柱がみしりと音を立てて揺れる程。
女は俺の剣幕に悲しそうに俯くと、その懐から薬らしき匂いのする紙包の束を取り出した。

手渡すまいかと惑ったままで俺が振り向かぬ事が判ったか。
最後に細い溜息を吐き、女はその包みを縛る麻紐を門中の脇の垣根の枝へ引掛けた。

「傷に効くと聞きました。お使い下さい。本当に・・・ありがとうございました」

涙をこらえるような震える声で最後に頭を下げ、小さな足音が背から遠ざかる。
下った薬包はそのままに、俺は門をくぐる。

触りたくない。触れられたくない。
気にせぬし気に掛けられたくもない。

面倒だ。息をするのも話すのも、何もかも面倒なんだ。

 

「旦那!」

そのまま踏み込んだ酒楼の庭、弓を担いだ餓鬼と槍を片手の餓鬼が駆け寄って来る。

「女が来てたって聞いたぞ」
「こないだの夜に、助けた女だって」
「ずっと待ってたんだろ」
「話したのか」

こいつらもあの女もマンボも。どいつもこいつも皆煩い。
纏わりつかれるのも、じゃれつかれるのも御免だ。
「なあなあ、旦那」

さすがに俺にいきなり手を伸ばすほど愚かではない。
それでも煩い事には変わりない。

「良いか」

足を止めた俺の横、弓と槍を持った二人もそれぞれの足を止める。
その二人の眼を順に眺めて吐き捨てる。

「次について来たら斬る」

二人はその声で本気と判ったか、互いの眼を素早く見交わした後に渋々頷いた。
顔を顰める二人を其処に、寝床へ向かって歩き出す。

誰も要らない。傷つく者も傷つける者も。
ただ一人で居たい。眠り、起き、迎える最期の日を指折り数えて。

そしてその日を迎えた時に、初めて心から安堵の息を吐ける。

横たわる最期の土は今までのどの女より、暖かく俺を包むだろう。

誰もこれ以上、その身勝手な望みや慾を押し付ける事もない。

こんな今を見たら、隊長は悲しむだろうか。
メヒは泣くだろうか。仲間は怒るだろうか。

隊長に遺されたあの声だけが、仕方なく息をする理由だ。

─── ヨンア、お前が家族を守れ。

まだ残っている家族がいる。どれ程に減ってしまっても。
あの足音が聞こえる限り、気配がある限り逝くわけにはいかない。

家族には残って欲しい。
けれど家族を護る為に、あとどれだけ息をしなければいけないだろう。

生きて欲しい。
けれど護る為、どれだけうんざりする朝陽を見ねばならないのだろう。

家族を護る為にあとどれ程、身勝手な慾を押し付けられるだろう。

早く過ぎれば良い。全てが。

そして最期の日、最高の気分で眸を閉じられるに違いない。
体中から赤い血を吹き、一滴も残らなくても構わない。

どうせお前には逢えない。お前の彼岸に俺は行けない。

構わない。それを気にするくらいなら、お前は俺を置いて逝かない。

お前は極楽を、俺は奈落を。

彷徨いながら答を求めるだろう。あの時どうすれば良かったのかと。

それでもこうしているより余程ましだ。

こうして現世を生きて彷徨いながら、判らぬ答を求め続けるよりは。

離れの扉を開けば、怒りに任せ飛び出した乱れたままの寝台がある。
少なくとも次にまた朝を迎えてしまうまで。

眠ると決め、どの女よりも暖かい仮初の床へと、俺はもぐりこんだ。

 

 

【 2016 再開祭 | 彷徨 ~ Fin ~ 】

 

 


 

6 件のコメント

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    師の言葉は重い…
    関わるって そうね 辛いわね
    いっそ 寝続けたいわね。
    ヨンの傷を 気にかけてくれた
    女の人の 心は届かなかったけど
    ウンスに会うまでは わからなかったのねー

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    さらんさん、おはヨンございます。
    あ…あの冒頭の女の人とは違った…
    なんだかホッ
    この人は本当にしたたかで健気だったんでしょうね。
    でも全てに傷ついているヨンには伝わらない。
    今まで抱いたどんな女よりも暖かく心地よい寝床に包まれて、やっと現実に目を伏せ温かな夢の中にいられる
    それが今のヨンにとっては幸せなんですよね。
    ウンスに出逢うまであと数年…

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    おはようございます。
    こんなに頑なにいろいろなものを拒んでいたヨンを変えてしまうなんて、ウンスって何物??と思わずにはいられません。
    また次回のお話楽しみです。

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    私、ヨンの過去を受け止められないかも(泣)
    過去に嫉妬するて、三十年ぶりかもですよ~
    これって、まさに恋慕う自分じゃないですか!
    貴重な体験させていただいてます(笑)

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    この頃ヨンのお話を読むのは胸が痛かったし寂しかったです
    (T_T)
    ヨン!ほんとにウンスと出逢えて良かったね。そう思わずにはいられない。
    このヨンに生きる目的を与えたウンスはやっぱりすごいわ‼︎

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