2016 再開祭 | 宿世結び・戻乃宵(終)

 

 

タウンの母堂が首を縦に振った後に家を出たのは、初夏の空も薄暗くなる宵の口。
「ねえ、今晩のご飯はみんなで外で食べて帰ろう!」
跳ねるように歩くこの方の提案に渋るタウンたちを黙らせる為、返答も聞かずに手裏房の酒楼へ立寄った。

手裏房の酒楼の卓、俺の脇で興奮した面持ちのこの方が向かいに声を掛ける。
「どうやって説得してくれたの?」
その声に恥ずかしそうに頭を搔き、コムは髭面を俯かせた。
「ねえねえ、コムさん」
「聞くんです」
「・・・はい?」

コムは照れた顔を上げ、この方と俺を等分に見詰めてもう一度、優しい声で言った。
「相槌だけで、ただ聞きます。話し疲れるまで」
「・・・成程な」
その秘訣に頷き返す。口を挟まずひたすら聞くわけだ。

「最近、大護軍様がよく来てくれるねえ!」
話を聞いてほしい女人は、思った以上に多いと見える。
大きな酒瓶を両手に歩み寄ったマンボが、その瓶を音高く置きながら言った。

「こうしてここにいるって事は、二人は戻って来るのかい」
マンボの声に、コムとタウンが頷く。
しかしコムはともかく、タウンの目にはありありと警戒の色が浮いている。

マンボはそれに気付いたか気付かぬか、叔母上大事のタウンの前で
「元武閣氏だってね。あの頑固者の石頭の下で、よくまあ」
茶化すようにそこまで言うとタウンが静かに席を立つ。
そして厨へと戻る為に踵を返したマンボの背へと、真直ぐ声を掛ける。

「申し訳ありませんが」
その声にマンボが歩みを止め、顎を下げたタウンへと振り返る。
「何だい」
「隊長・・・チェ尚宮様への失礼は」
「そこまでにしておけ、タウナ」

呆れたように門から近付く声に俺以外の全員が薄闇の向こう、近付く叔母上の姿を見た。
「こんな女に何を言うだけ疲れる、馬の耳に念仏だ」
「おやおや、今日は珍しい客が続くね」

マンボの何処までも揶揄う声音に、タウンの眉が険しく曇る。
「七日と言っていたからな。お前のことだ、憎まれ口を叩きながらどうせ若衆をこ奴の宅の見張りに付けていたろう。
詳しく聞こうと思ってな」
「全く叔母も叔母なら甥も甥だよ。金にならない面倒ばっかり持って来て。
いつになったら儲け話を持って来てくれるんだかね!」

憎まれ口の応酬に、叔母上の後ろの闇で密やかな笑い声が漏れる。
暗闇に溶け込むように佇む、俺だけが眸で追うた女が一歩近づくと誰にともなく頭を下げた。

マンボはすぐに誰かが判ったように、若い女に目を丸くする。
「いやあ、ほんとに珍しい客が続くよ!どうしてたね」
「お久しぶりです、マンボ姐さん」
「商いは順調かい」
「ええ。碧瀾渡ですから、占を珍しがるよその国のお客も多くて」
「何よりだ。稼いどくれよ」
「はい」

初めて見る若い女は、マンボの発破に薄い笑みを浮かべる。
「・・・誰だ」

俺の声にこの方も首を傾げ、マンボと叔母上を見比べる。
その視線に気付いているだろうに、二人は答える事も無い。
その女を卓に着かせると、銘々卓へ席を取る。
「さて、珍しい客が揃ったところで」
叔母上が腰を下ろしたのを認め一礼の後にタウンが椅子へ掛けると、ようやく叔母上が口火を切った。

「タウン、夫君」
「はい、隊長」
叔母上の声にタウンとコムが頷くと、叔母上は若い女を掌で示し
「こちらは碧瀾渡で占師をしておる、シアだ」
その声にシアと呼ばれた女が緩やかに頭を下げた。
委細は言わぬまでもマンボがこれ程近しげに振舞うのは珍しい。
この女も手裏房絡みという事だろう。

「シア、こっちは高麗のお偉いさんだ。知ってるだろ」
次にマンボが俺を指すと
「チェ・ヨン様ですね。碧瀾渡でも時折お見かけします。火薬屋のムソンと連れ立っていらっしゃる処を」
「・・・ああ」

手裏房の情報網。その広さに内心舌を巻きながら頷く。
そこでシアという占師は何故か首を振り
「大護軍様のお顔も御名も、高麗の民なら誰でも知っております」
そう言うと低い笑い声を漏らす。
「そして、此方が奥方のウンス様」
「え、は、はい」
名指しされたこの方が慌てて頭を下げる。

「そして、タウン様と・・・コム様」
「・・・様はお止めください」
タウンがシアに目を下げる。
シアは否とも応とも答えずに静かに口を噤んだ。

占師だからか手裏房だからか。
肚の底の読めぬ、茫洋とした掴み処のない女。
第一、叔母上は夫君と呼んだ。何故この女はコムと名指しした。
予め聞いているのか。
しかし今宵此処にタウンとコムが訪れるのを、叔母上が知る筈は無い。

蒸した梅雨の夜の空気が、何故か急に冷えた気がする。
先程までとは違った思いで、目の前の女を再び見遣る。

「とにかくシアの占は当たるよ。あたしが保証する。判るだろ。
占にかこつけちゃ、人は秘密をぼろぼろ口にするのさ。
元々喋りたい奴、秘密を漏らしたい、判って欲しいって奴が来る処だ。
おかげでこっちは情報集めも楽になる」
「占か」

叔母上は何故かふと小さく息を漏らすと、シアを見て首を振る。
「書雲観にも出入りを許された仙女が、市井で占師とはな」
「楽しいものですよ。七面倒臭いのは御免ですから」
「神力は落ちんのか」
「そんな、最初から有るのか無いのか判らぬものは要りません」

皇宮の事情に疎いこの方やコムは何事かが判らんように、黙って叔母上の声を聞いている。
但しタウンだけは、驚いた様に叔母上を見た。
「隊長」
「何だ」
「では、シア殿は」

天の月星の動きから夏の暑や冬の寒、飢饉や疫病から皇宮内の吉祥厄日を導く書雲観。
そして各廟の道士の中、天への依代として選ばれた者を仙士仙女として厚遇し、書雲観への出入りを許す。
話に聞いた事はあるが、実物を眸にするのは初めてだ。

興味を引かれ、斜向かいのシアをじっと見る。
この視線にもシアは全く動じぬように微笑むと
「では、酒宴の余興にひとつ」

そう言って懐から小さく切った紙を数枚取り出し、卓につく銘々の前へと置いていく。
そして次に小さな墨壺と筆を取り出すと
「それぞれの紙に、ご自分のお名前をお書きください」
そう言って俺の前へ、その墨壺と筆を置く。

俺から順に壺と筆を回し、それぞれに名を記していく。
皆が次に何が起きるかと不思議そうな顔で書き終えると
「では皆様、御名が隠れるように紙を紙縒りにして下さい。それから姐さん、木椀を二つお借りできますか」
「ああ、良いともさ」

マンボは席を立つと厨へ駆け込み、すぐに木椀を二つ持って来る。
その二つの木椀を卓の真中へ置くと
「それぞれの紙縒りを、この木椀の中へ入れて頂けますか」

シアはそう言って何故か椅子の上で腰を廻すと、卓に背を向ける。
全員が紙縒りを入れ終えたのを待ち、背越しの声だけが確かめる。
「良いですか」
「ああ、良いよ」

マンボの声にシアが今一度腰を廻して卓へ向き合い、二つの木椀の中の紙縒りへ息を吹き掛ける。
強く吹いたとは見えぬのに、その息に椀の中の紙縒りがふわりと揺れる。
次に二つの椀を合わせて大きな丸にし、そのまま俺の前へ椀を差し出した。

「振って下さいますか、チェ・ヨン様」

そのまま合わせた椀を手に取ると、大きく振る。
中の紙縒りがぶつかり合い、かさかさと小さく乾いた音を立てる。
十分振った処で椀を卓へ戻すと、シアが被せていた上の椀を取る。

そして次にこの方へと向き合うと、
「ウンス様、お好きな紙縒りを二つ選んで、結んで下さい」
声に頷くとこの方が椀から二枚の紙縒りを選び、端を結び合わせる。

「次に、コム様。同じようにお選びの上、結んで下さい」
それぞれの手元に紙縒りが一組ずつ。
そして最後に残った紙縒りが、椀の中に二枚。

シアはそれを確かめて
「宿世結びといいます。此処で選んだお名前どうしは、前世から縁が結ばれていたと」
その声にそれぞれの目が、卓上の紙縒りを行き来する。
「ウンス様、紙縒りを開いて下さいますか」

この方が頷き、結んだ紙縒りを解くと一枚目を開く。
「・・・ヨンア」
そう言って、俺の眸の前に細く縒った紙縒りを開いて見せる。
確かに己の手蹟で、己の名が記されている。
「こっちは・・・」
この方がもう一枚の紙縒りを開く。
書き慣れぬ丸い手蹟のご自身の名を確かめ、卓の上の俺の紙縒り横に並べる。

「では、コム様。同じように開いて頂けますか」
コムが大きな手で紙縒りが破けぬよう恐る恐る開き、驚いた様にタウンへ向けて二枚の紙縒りを示す。
タウンも俄には信じられぬといった顔で二枚を見比べ、卓の上へ並べて置き直す。

コム、タウンのそれぞれの名が記された紙縒りを。

「成程な。野に下っても、お前の神力は健在という訳だ」
それぞれの紙縒りを穴が開くほど見つめた後に、叔母上が小さく笑って言った。
「さあ、どうでしょう」
シアは底の見えぬ程昏い、しかし透き通る程明るい、不思議な色の目で俺達を順に見詰めた。

「皆さま方の御縁が、余程確り結ばれていらっしゃるからでしょう」

その声にこの方が、わくわくとした瞳を大きく瞠る。
「シアさん、他にどんな占が出来るんですか?」
「命、卜、相。何でも見ます。木札も亀甲も時には使います。何がお好みですか、ウンス様」
「何でも出来るの?えーっとね」

この方が卓の上に身を乗り出し、シアの方へ大きく体を傾ける。
その様子を確かめつつ俺は叔母上へ眸を投げる。
叔母上は小さく頷くとやがて静かに腰を上げる。
気付いたタウンが、僅かにこの方へ身を寄せる。
タウンの衛の範囲にこの方が居る事を確かめ、続いて俺は席を立つ。

東屋からの階を降りたすぐ下の庭。
叔母上は闇の中で腕を組み、東屋の太柱へ背凭れている。
その脇の階に腰を下ろし
「あの女は、一体何だ」

向き合う事なく同じ闇の中へ眸を遣ったままで問う。
「仙女で、市の占師で、手裏房だ」
「コムの名を教えたか」
「・・・いや、少なくとも私ではない」
「そうか」

俺が息を吐くと叔母上も当惑するように
「当たるも八卦、当たらぬも八卦と言うが、気味が悪い程に当たる。
それだけはマンボの言葉に嘘は無い」

そう言って半ば身を潜めるように、柱越しに東屋の中を確かめる。
「全くの出任せでは、ああは行かん」

シアの前ではあの方がはしゃいだように両手を叩く。
その横ではマンボが驚いた様に口を開き、タウンが目を眇めている。
シアだけが平然とした顔で、何か書きつけたらしい手許の紙を覗き込んでいる。
根っからの山師か、真の仙女か。どちらにしても面白い。
紙縒りを結んだのはあの女のまじないか、それとも真の宿世の縁か。

それでも何処か、信じたい己がいる。
これではマンボの言う通り、占に嵌り想いも秘密も口を突きそうだ。
「ヨンア、ちょっと来て!シアさんすごいんだから!!」

ああ、俺の前にこの方だ。
東屋の欄干から身を乗り出し声を掛けるこの方を、其処から見上げる。
天界から来たと当てるだけなら、手裏房には容易い事だろう。
但しそれ以上を言い当てられれば秘め事が零れ出ぬよう、いざとなれば口を塞がねばならん。

その呼び声に誘われ階で腰を上げた俺に
「ウンスが戻る前に占を受けていれば、心穏やかに待てたかもな。
いや、それともあの時に縁が無いと、嘘でも伝えれば良かったか」

叔母上が呆れたように吐き捨てた。
「・・・いや」
仙人だろうが天の神だろうが、言われて道が変わるくらいなら。
「何しろ宿世の縁が結ばれているらしいからな」

俺がきっぱりと首を振ると、闇に向かう叔母上が聞こえよがしに大きな息を吐いた。

 

 

【 2016 再開祭 | 宿世結び ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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