2016 再開祭 | 天界顛末記・丗肆

 

 

赤い印の中、今日廻ると隊長が言い残してお出掛けになった場所の一つを目指す。
さて、行く着く先に隊長がおられるか、副隊長がおられるか。

横を雪兎のような真白な外套で歩くソナ殿は、鼻先まで上げた襟巻の中に煙のような息を吐きながら言った。
「お兄さん、チュンソクお兄さんとチェ・ヨンさんが見つかったらまずどこかであったかいものでも飲みましょう?
こんな寒い中にずーっといたら、みんな風邪ひいちゃう」

あの部屋の中、けいさつしょからの連絡を受けた後。
結局私の止める声も聞かずソナ殿は頑として言い張った。

 

「絶対行きます」
意外な程頑固なその物言いに眉を顰めた私を物ともせずに。

「お兄さんだけ行くなんてズルい」
「・・・狡い訳では」
「警察から電話を受けたのは私でしょ?私が約束したんだもん、刑事さんに。
ちゃんと他のみんなに伝えますって。だから連れてって」
「ですから、ソナ殿は病み上がりで」
「あったかくする。ちゃんとあったかくするから」

ソナ殿はそう言うと慌てて長椅子を立ち、奥の部屋へと飛び込んだ。
独り残された私が呆気に取られているうちに、再び飛び出して来ると
「ほらほら、コートに、セーターに、マフラーに手袋にイヤマフ。これで良いですか?
ちゃんとジーンズにしたし、ジーンズの下はタイツだし。ブーツも履きます。これなら絶対あったかいでしょ?」

自慢げにおっしゃられても、女人の衣など全く判らない。まして天界の衣の事など。
首を傾げると、ソナ殿は居ても立っても居られぬように小さく足を踏み鳴らして見せた。
「お兄さん、早く!チュンソクお兄さん達が風邪ひいちゃいます!」

退いて下さる気配は微塵もない。
渋々卓上の国都図を懐へ納め、急かされるよう玄関へ続く廊下を歩く私の背を、ソナ殿が小さな手で押した。

 

足跡の残る雪道を赤い印の場所へ急ぎ、大きく開けた広場へと入った途端。
少し離れた蒼天の下、白い雪の広場の隅に見慣れた影を見る。
「あ」

脇のソナ殿も気付かれたか、陽射しで目が痛む程に輝く雪の向うの豆粒のような点を見詰めると
「・・・チュンソクお兄さんじゃないですね」

そう言って襟巻の中に素直な落胆の溜息を吐く。
「ええ。隊長です」
隊長は全くお気にはされぬだろうが、これ程待たれぬ隊長というのも珍しい。

小さく笑いながら隊長へと歩み寄り気付く。
その黒い双眸が真直ぐに天を見上げている。

きっと思い出しておられる。空を見上げる度に。
そして悔いておられる。御自身の従った王命に。

どれ程言葉を並べようとも、慰めの声を掛けようとも聞き入れては下さらないだろう。
幾度でも決意を新たにされるだけだ。必ずご自身の誓いを守ると。
医仙を無事に今一度、この天界の空の許にお返しすると。

不器用な方々ばかりで厭になる。
本当に帰りたいのかと、何故直接医仙にお尋ねにならぬのだろう。
人の心は変わっていくものだ。
一度口にしたからとて本心とは限らず、本心だったからとて時と共に変わらぬとも限らないのに。

返したくないと素直におっしゃれば良い。
帰りたくないと素直にお伝えすれば良い。

隊長と医仙だけではない、副隊長もそうだ。
ソナ殿が気に掛かるなら心を開いて話せば良い。
今の私達の中で素直に言葉を紡ぐのは、ソナ殿だけのような気がする。

「隊長」
呼び声に氷の彫刻のような端正な横顔から、隊長の眸だけが流れて来た。

 

*****

 

隊長と手分けし、今日見て廻ると決めた広場の隅から隅までを具に確認していく。
広場の端の林の中、雪を避けられそうな植込みの影、広場の並んだ長椅子の上の、人の居た跡。

しかし単独で捜索するには限度というものがある。
そうする間にも陽は遠慮なく中天高くへと上がって行く。
昇る陽に溶けだした垂雪が、小さな音を立て木下へと落ちる。

焦っても良い結果は出ん。判っている。それでも冬の陽の短さが焦らせる。
陽が落ちれば思うようには探せん。
昨日隊長と共に確かめた天門がまだ開いていると判っていても、いつ閉じるかと恐れがある。

隊長も御医もそして俺も、必ず高麗へ戻らねばならん。
守るべきものも成すべき事も、心残りが山のように残っている。
ともすれば脇へ逸れて行きそうな雑念を振り払うよう頭を振る。

聞いた事もない懐かしい声、見た事もない懐かしい笑顔。

─── チュンソク

呼び掛けにどれ程心が揺れようと、それを理由に天界に残る事は出来ん。
約束の七日はもうすぐそこだ。結局何も判らんままで。
それでも御医のおっしゃる通り、もしも先を報せる夢なら何れ結果はついて来る。
ここではなく、俺がいるべきあの高麗の世で。

だから帰らねばならん。どんなに後ろ髪を引かれても。
出逢うべきならいつか出逢うだろう。そうでなければ思い込みだった。

「おにいさーーん」

その時遠くから届く微かな声に、頭を巡らせ主を探す。
懐かしいだけならまだしも、空耳まで聞こえるようなら重症だ。

昨日まで部屋で寝込んでいた筈だ。御医も外出に難色を示した。
だからこそ二人でお待ち頂くように手配したのだ。その方の声が今ここで聞こえる筈がない。

雪の原の向こうから一目散に駆けて来る真白な影。
後ろに靡く髪だけが黒く、上衣も耳当ても襟巻も長沓も全てが白い。

「お兄さーーん!」

その声に慌てて駆け寄る。
部屋にいる筈のソナ殿は後に御医と隊長を引き連れて、脇目も振らずに真直ぐ俺に辿り着く。
雪の中、化粧気のない桃色の頬をして
「見つかりましたよ!!」

目の前に走り寄ったソナ殿は、真白い息を弾ませながら言った。

 

 

 

 

2 件のコメント

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    怪しい二人が見つかった
    急いで チュンソクお兄さんに知らせなきゃ
    その一心で 病み上がりなんて 関係ない
    只々 お兄さんが探してるんだから…
    そうそう 侍医の言うとおり
    ヨンもチュンソクも はっきり 言わなくっちゃ
    見てる方は もどかしいわ~
    あ~ ソナちゃん
    残された時間は 短いようね
    心の準備はできてるだろうけど…

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    天界顛末記を読み始めた時はどんな珍道中になるのかと思ってましたが、さらん姉さんすごい‼︎
    予想外の長編、ヨンの登場そして展開。
    なぜチュンソクだったのか…輪廻転生…こんなところで繋がっていたなんて感動です…なんか切ない二人ですが…
    でもウンスのおかげで三人共順応してるところがすごい。
    ますます大詰めになってきたお話の続きが待ち遠しい~

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