2016 再開祭 | 宿世結び・戻乃昼

 

 

「・・・うん。触診する限り、特に異常はなさそうです」

3日ぶりに往診したタウンさんの実家。
お母さんはお布団にうつぶせていた体を起こして、上衣を整え直す。
そしてタウンさんが用意してくれた桶の水で手を洗う私に、深々と頭を下げた。
「本当に、何から何までありがとうございました」

そのお礼に慌てて首を振る。
お礼を言われる程のことを出来なかった自分に、半分腹を立てながら。

外科手術なら今でも絶対高麗で一番、ううん、もしかしたらこの世で一番腕が良いって自信はある。
何しろ21世紀で勉強してきたんだし。
漢方の薬湯や薬草もだいぶ覚えた。暗記力ならまだまだいける。
脈診に関しては毎日あの人や媽媽の脈を読んでるおかげで、だいぶ自信がついて来た。

だけど鍼だけは今も怖い。ツボの場所、打つ深さ。
下手に打って半身麻痺なんて起こしたら、絶対に言い訳できない。
医療器具さえない高麗で、医療事故なんて起こすわけにいかない。

覚える事があり過ぎて、なのに追い付かなくて。
でもその不安や不満を患者の前で見せる事も出来なくて。
医者が自身を失くした時の患者が、どんなに不安になるか分かる。
だから時には、思い切ったハッタリも必要。

覚悟を決めて、私はタウンさんとお母さんの前で自信満々って顔をして、大きく笑って見せた。
「いえ、私こそ鍼が打てなくてごめんなさい。
今回は腱や神経の異常ではないけど、念のために典医寺の先生に相談してみますね。
男性の先生ですが、よかったら一度一緒に来てもいいですか」

高麗時代、男性ドクターが女性患者を診察できるのかが分からない。
キム先生は王様の専属医だから、さすがにお願いは出来ないだろう。
他の典医寺の先生たちも、鍼を打てるレベルだとみんな男性だし。

かといって一度私が診た患者を、今から医療レベルが全く分からない町の鍼灸師にお願いするのも怖い。
電子カルテなんてない時代。ドクター同士のケースカンファレンスや申し送りが出来なきゃ責任取れない。
そのためにも意思の疎通の取りやすい同僚ドクターに、一度は診てもらいたい。
でも患者に男性ドクターを拒否されたら、どうしようもない。

「ウンスさま、もうこれ以上は」
提案に声を上げかけたタウンさんを目で止めて、お母さんに話す。
「まず診てもらえば安心できます。だけど、私の知ってる限りじょ・・・女人の、医官がいないので。
腰は完治させないと症状が繰り返し出やすいので、お母さんが嫌でなければ男性の先生に。良いですか?」

目の前のお母さんは私の顔をしっかり見て、それから首を横に振る。
「ウンス様」
「・・・はい」
「皇宮の医官様に診て頂けただけで充分です。今はもう、本当に全く痛みも消えました。
この間まで立つのもやっとだったなんて、まるで嘘みたいに。
タウンにも言ってあります。もうご迷惑になるような事は、したくないんですよ」
「迷惑だなんて」

止めようとしてもお母さんはきっと本気で思ってるんだろう。
私でも止められない勢いで話し続けてしまう。
「今まで娘はチェ尚宮様に、お返しできない程御恩を受けて来ました。
それに加えて今はチェ・ヨン様にも、医仙様にも。
それもタウンだけでなく、婿のコムと二人です。これ以上はお返しのしようもないんです」
「お、お母さん、それは」
「お返しできないと知っているのに、御恩を受ける訳にいきません」
「ですからお母さん、あの」
「母さん、もう良いから」

見兼ねたタウンさんも言ってくれるけど。
眉をきりっと上げた表情も、そしてまっすぐな性格も。
タウンさんによく似ているお母さんは、そんなタウンさんを一喝する。
「タウナ、あんたは黙ってなさい。お返し出来ない恩を受けるのは盗人と同じだよ。
私は娘をそんな風に育てた覚えはない」
「お母さん、盗人っていうのはちょっと過激な」
「母さん!」

盗人はさすがに言い過ぎよね。
そう思って止めようとした私の前に、タウンさんのピシッとした声が飛んだ。
「いくら母さんでも、言って良い事と悪い事があるでしょう」
「あんたこそ、お返し出来る恩と返しきれない恩があるでしょう」

始まってしまったタウンさん親子の口ゲンカ。
呆然として口を閉じている私の目の前で、タウンさんとお母さんはお互い譲る気配もなく睨みあった。

 

*****

 

「・・・おい」
俺の声に、コムが困ったように頷き返す。
「あれは」
「いつもの事です」

あの方が診察にとタウンの母堂の住いに入って程無く、戸内から聞こえて来た剣呑な声。
母娘の口論はこの際、俺の出番では無い。
但しあの方が巻き込まれれば、話は別だ。

唯でさえご自身で片付かん揉め事厄介事に首を突っ込みがちな方。
ましてタウンが絡んでいれば素通りするわけもない。
しかし全くの他人の俺が、何処まで口を挟めるのか。

部屋の戸を見つめ庭先を右往左往する俺の足取りを見兼ねたか、コムが小さく頷いた。
「そろそろ、止めます」
そう言って大きな歩幅で戸へと近づくと
「俺です」

そして中からの返事も聞かず戸を開くとでかい背を丸め、奴は扉内に消えて行った。

 

 

 

 

3 件のコメント

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    ウンスからすれば 至極当たり前のこと
    なんだけれど
    タウン母にせれば 身にあまる行為で…
    これ以上は 心苦しい…
    難しいですね
    自分の気持ちをどこまで 相手に押し付けて
    いいのか…
    悪気がないだけに。

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    さらんさん、こんにちは!
    姉のような存在で、いつも落ち着いた温和なタウンさん、いきなり始まった親娘喧嘩にウンスもびっくりだったでしょうね。
    身分制度が絶対な時代で天から来た医仙ってだけで、ウンスとしては当たり前にやっている事さえも気を遣わせちゃうんだな…
    口論が聞こえたら迂闊に他人が口出しでいいか悩みますよね~親娘喧嘩だし…
    ヨンも落ち着かなそうだ!
    コムさん慣れているのようだしこの場の収拾お願いします。

  • SECRET: 0
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    雄弁なウンスでも止められない
    タウン母娘の口げんか…
    ウンスさん…
    ちょっぴり羨ましいのでは?
    此度はヨンの出番?なしですね(^^;

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