2016 再開祭 | 身を知る雨・前篇

 

 

【 身を知る雨 】

 

 

行くなと止めて残らせるくらいなら、いっそ行かせた方が良い。
俺は曇った両眸から落ちる身を知る雨に濡れ、振り返れば良い。

最初から間違えていたんだ。出来ると思い上がっていた。
この声が届くはずなど無かった。どれ程心から叫んでも。

 

*****

 

「こっちの方が黴が生えそうだ」
生暖かい空気の中、窓の外の地雨に目を遣ったチュソクがうんざりした声で呟いた。

梅雨の雨は止むわけでもなく、烈しくなるわけでもない。

「空に文句を言っても仕方ない」
トルベが諦めたように首を振ると、自慢の大槍の柄を両掌の中で弄びつつ息を吐く。

大の男が雁首揃え雨に息を吐くなどどうしようもない。

「そんなに暇なら歩哨を代われ」
呆れ返った声で俺が言うと、最も年若隊員の一人、トクマンがきっぱりと首を振る。
「冗談でしょう、副隊長。厭ですよ、この雨の中」
「なら上階の部屋を片付けておけ」
「上の部屋って、副隊長」

示した階上を見上げ、チュソクがトルベと目を合わせて互いに首を傾げる。
「あの物置の事ですか」
「何で今更」

調子に乗ったトクマンが先輩二人の尻馬に乗り
「中は隊旗や防具ぐらいですよ。為納めの掃除の時にやれば良いじゃないですか」

唯でさえ長雨で気の滅入る処に、一々口数の多い男だ。
俺は奴らを置き去りに、兵舎の入口へ向け歩き始める。
「どうやら使うらしい」
「何にですか」

驚いたようにチュソクが問う声に、使い道を伺っていない俺は曖昧に答えた。
「さあな。部屋を一つ開けておけと、武閣氏のチェ尚宮殿から言われている。物置部屋で構わんと」

そのまま雨にじっとり湿った生木の扉を押し開く。
開いた扉の外は、薄灰色に煙った梅雨景色。

こんな雨の中を武閣氏兵舎までひと歩きか。
溜息を吐き、俺は雨の中に踏み出した。

 

あの時声が届いていたら、きっと黙って待っていてくれた筈だ。
例えひと時離れても、必ず再び逢えると信じていてくれた筈だ。

最初から届いていなかった。それが最後に露見した。
だからあいつはあんな風に、俺を残して逝けたんだ。

 

同じ兵舎でも隊員が男か女人かで、随分と趣が異なるものだ。
他人事のようにそう思いつつ、窓際のチェ尚宮殿と向き合う。

迂達赤の兵舎は常に掃除も手が行き届かず、何処かしら埃にまみれているような感じがするが。
武閣氏の兵舎は殺風景ながら小ざっぱり整えられ、窓外の梅雨景色も迂達赤より明るく見える。

「迂達赤隊長の宣旨が下りた」

向かい合った仏頂面。
腕を組んで雨の窓辺に立つチェ尚宮殿は、不愛想な声で低くおっしゃった。
「確かに前隊長が罷免されてから、相当時間が経っております」

妥当な時期だろう。少なくとも王の最近衛としての迂達赤だ。
いつまでもその長を空席にして置くわけにも行くまいと頷く。
「順当に行けば副隊長が昇進だが」
「・・・それは」

俺も男だ。武官として官位への欲も無いと言えば嘘になる。
しかし誰一人覇気のない今の迂達赤を押し付けられても、却って厄介な置き土産。
己の負担が無駄に増えるだけだ。

在位中の乱行を理由に王座を追われた挙句、元への召喚途中に病死した前王。
続いて即位した御嫡男、幼少の病弱な新王。
どちらに対しても己の中に忠誠心など残っていない。

ただ国の碌を食むから惰性で歩哨に立ち、役目だから漫然と衛をこなす。
周囲の腐った大臣や官吏からの袖の下だけは受け取るなと、隊員たちには告げてある。

役目への忠義などではない。
厄介事に巻き込まれた過去の上官を見て来た警戒心で。
口さがない皇宮の噂話の的になるのは御免だ。

そんな俺の心中など思いもかけないのだろう。
皇宮で唯一とも云うべき忠義に厚いチェ尚宮殿は、何故か少し気まずそうに新隊長の話を切り出した。
「しかし王命だ」

あの齢八つの王の王命か。
何れにしろ側近がその名を借りて出した命に違いないと、判っていながら黙って頷く。
「元赤月隊、最年少部隊長。解隊前の・・・」

そこで珍しく語尾を震わせ感情を顕にしかけたチェ尚宮殿を、俺は驚いて見つめた。
いつでも表情も姿勢も崩さず、何を考えているのか全く判らん方。
しかし今その声を震わせたのは、確かに怒りだった筈だ。
迂達赤の役目以外で全く接点のない俺にすら見抜かれる程の烈しい怒り。

そこで初めてこの話に興味が湧く。
部外者にいきなり踏み入られ、迂達赤隊長と名乗られる。
今まで迂達赤として務めた俺達を差し置いて、見知らぬ新参者が。

面白くない事は確かだ。しかしいざとなれば背を向ければ済む。
兵に背を向けられて軍の長が務まらんのは、己が一番知っている。

チェ尚宮殿は姿勢を正し、声を整えるとまた無表情に先刻の続きを舌に乗せる。

「解体前の前隊長の不敬罪の一件で、身元預かりになっておった最年少部隊長。
その男が、迂達赤隊長として宣旨を受けた」

 

 

 

 

泣いちゃうヨンでお願いします‼ (asako0105さま)

 

 

3 件のコメント

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    ドラマ本編では描かれなかった、
    あの時のヨンの心。
    チュンソクや皆の気持ち。
    叔母さまの気持ちなどが、映像を見ているように浮かんでます。
    さらんさんのお話は、ドラマ以上に素晴らしいです❤
    ありがとうございます❤

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    さらさんさん、おはヨンございます!
    新章ありがとうございます❤️
    メヒに置いて行かれたヨン…
    愛して、信じていた人にあんな最期の姿を見せられ遺されて心の叫びが切ないですね。
    空元気で抜け殻のヨン時代ですね。

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