2016 再開祭 | 彷徨・後篇

 

 

「すみません・・・」

昼の酒楼に似合わぬもの。

素面で立寄る常連客、化粧気のない素顔の妓女、そして聞いた覚えもない女の、消え入りそうな呼び掛け声。

全くそぐわないその声に、離れの布団の中で眸を開ける。

「何だい」
仕込みを邪魔され苛立つように厨から出る、遣り手婆の踏み鳴らす足音。
その声の荒々しさに息を呑んだように詰まった後、弱々しい女の声が意を決したように続く。
「あの・・・ここに、ヨンの旦那という方は」
「ヨン」

こんな遠慮がちで気弱そうな声の女が、あの手裏房の女主に敵う筈もない。
遣り手婆は平然とした声で嘘を吐く。

「聞いた事もないよ」
「でもここに弓遣いと、槍遣いの若い男の人が」
「さてねえ。いろんな客が出入りするからね、この店は」

これ程耳を欹てても、返すマンボの声に動揺の欠片も見つからん。
大したものだと眸を閉じてもう一度眠りの闇に戻ろうとした俺を、妙な気配が引き止める。

「ちょ、ちょっとあんた」

遣り手のマンボをそれ程狼狽えさせるのも大したものだ。
その慌て声の合間に、弱々しい女が洟をすするような音が混じる。

俺の最も嫌いな女。涙を武器にする、泣けばどうにかなると思う女。

「泣くんじゃないよ、何なのさ」
「お、お礼を・・・言いたくて、それで」
泣き出したらしき女の、先刻よりもっと弱く震える声が応える。

「礼ぃ」
「はい。助けて頂いたんです、何日か前の夜に」
「誰にさ」
「その、ヨンの旦那という方に。一緒にいた弓遣いと槍遣いの方がそう呼んでいて」
「はあ、そうかい」
「ええ。市中でそのお名前と、弓と槍の上手な方の事を聞いて回り、ようやくこのお店に」
「残念だね。うちじゃないよ」
「そうなんですか・・・」
「まあ槍や弓なんて出来る奴は、そこらに掃いて捨てるほどいるさ。物騒な世の中だからねえ」

物騒が聞いて呆れる。誰より物騒な者たちが集まったこの酒楼で。
しかし手裏房を相手に情報を聞き出すなど素人の出来る事では無い。

そのままもう一度、今度は開かぬよう確りと眸を閉じ直す。

眠い。ただ眠い。

なあ、お前も俺を探して泣いた事はあったのか。
ただ一度闇夜で擦れ違った女ですら、ああして泣きながら探すのに。

なあ、お前も俺を探した事が一度でもあったか。
俺がお前を探して霧の林を駆けたみたいに、探した事があったのか。

そんな事が一度でもあったら、置いて逝ったりは出来なかった筈だ。
結局お前は俺を探した事も、信じた事も、一度もなかったんだよな。

 

*****

 

「迷惑なんだよ!」

いきなり叩きつけるように開かれた離れの扉外。
両手を腰に当て此方を睨みつける影に向け、寝台の上で渋々寝返りを打つ。
「・・・何が」

迷惑そうな寝起きの嗄れ声に、扉を塞ぐマンボの腕が酒楼の門の方を指す。
「表の女だよ、お、ん、な!!」
「で」
「三日前にヨンって男が居ないかって突然訪ねて来た上に、店先でべそかき始めやがった。
挙句の果てにゃ翌日の朝から晩まで門前に立ってる。辛気臭いったらないね。
あれじゃ客も寄りつかないだろ!こっちは商売上がったりだよ、どうしてくれんだい!!」
「知るか」
「いないって言っても信じやしない。あんたが出て来るまで、ありゃあ何日でも粘るよ。
さっさと出てって用件聞いて追い返しな!!」
「厭だ」

それだけ言ってもう一度、その扉の明るさに背を向ける。
何故俺が出る。馬鹿馬鹿しい。
待ちたくば勝手に待て。干物になるまで待てば良い、それが己の望みなら。

「そこらの女を抱くよりましだろ、ただ行って用件を聞き出せばそれで済むんだから。さっさとしとくれよ」
「厭だ」
「ああ、そうかい」

堪忍袋の緒の切れたらしきマンボは、妙な猫撫で声で言った。
「それならあたしはこの離れに通すまでさ。お探しのヨンの旦那はここで寝てるから、話すなり二人で餅搗くなり好きにしろってね」

その勢いなら、本当に今にも女を通すだろう。
マンボはそう言って扉に手を掛けた。
寝床にまで押し掛けられるなど、冗談にもならん。

「行く」

苛りと掛布を足で蹴飛ばし床へ叩き落とすと、それを見たマンボがようやく満足気に頷く。
「頼んだよ」

大きな音で閉められる扉へ腹立ち紛れに枕を投げつけ、俺は寝台から飛び降りた。

 

 

 

 

4 件のコメント

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    俺の最も嫌いな女。涙を武器にする、泣けばどうにかなると思う女。
    たまに居るこんな女性。
    女性の私でも大嫌いですわ(–;)
    ヨンの暗黒の時の心の声が
    さらんさんのお話で
    あらためて凄く感じられて
    せつないですね(._.)

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    ヨンの過去…なんだかドキドキドキ…( ´△`
    私の知らなかった彼氏の過去を聞いてるようなあ~気まずい~(@ ̄□ ̄@;)!!

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    さらんさん、おはヨンございます。
    ヨンの過去の事とはいえドキドキ…
    ヨンを訪ねてきてずっと会えるまで待ってるとは、したたかと言うか…健気なのかな?
    というかこれが冒頭に出てきた人ならば!!!
    ヨンの美丈夫っぷりに仮面つけてるのかしら。
    ドキドキ~

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