2016 再開祭 | 夢見路・拾(終)

 

 

「こういう茶会に噂話はつきものとはいえ、2人とも大人気ね」
「私は」「俺は」
思わず声が揃い、互いに目を交わし息を呑んで黙る。

「ああ良いから良いから。楽しんでお茶を飲めれば、難しい事は良いから。男の人なんだもん、女性に騒がれるうちが花よ。ね?」
医仙に空のように晴れた笑顔で言われれば、心の何処かが痛む。
それでも今日は楽しみたいとおっしゃるのだから。
「・・・そうですね」

少し無理に笑うと、医仙を挟んだ隊長が驚いたように顔を上げる。
「では今日は出来る限り、茶を点てましょう。御所望の皆さま全員に飲んで頂けるよう」
「侍医」
「隊長。私とひと勝負してみますか。要は茶を点てるだけですから、流儀は不要です。集中して、飛沫さえ飛ばさねば良いので」
「出来るか、そんなくだ」
「負けそうで怖いですか。戦では無敗の迂達赤隊長でも」

好戦的な私の視線と口調に、隊長の顔色が変わる。
しかしこの方にも精々働いて頂かねば、医仙は楽しめないだろう。
「・・・ふざけるな」
「でしたら午後の闘茶のお相手は、決まりですね」

あの雨の夕の、小さな仕返しだ。
あなたはおっしゃいましたね、夜にも見張りを立てるかと。
例えその場限りの憎まれ口だとしても、私とすれば腹も立つ。
結局まだ大切な言葉は、夢の中でしかお伝え出来ていないのだから。

涼しい顔で取り出した扇を開き口許を隠して笑めば、ようやく私の計略に気付いた隊長が悔しそうに唇を噛み締める。
そして私たちの声に、周囲の人垣が騒めいた。
「ちょ、っと、房に行って参ります。みなに知らせないと」
「茶菓を持って戻りますから、それまで始めないで下さいね」

そして尚宮達だけでなく、武閣氏までが指先で袖口を握り締めたり胸帯に触れたりしながら、
「隊長、私たちも一旦戻ります。隊の皆に」
「すぐ戻ります」

口々にそう言って頬を上気させ、そわそわと坤成殿の方へ目を走らせる。
その姿に隊長は、低い声で吐き捨てられる。
「・・・武閣氏」
「は、はい!」
「チェ尚宮にだけは、口が裂けても言うな」
「畏まりました!!」
さすがに武閣氏の兄分である迂達赤の隊長の声には逆らえぬのか、武閣氏たちは姿勢を正して頭を下げた。
「・・・・・・行け」
「はい!!」

初夏の晴れた皇庭、紫陽花の手毬の合間を走り出した武閣氏。
その翡翠色の隊衣の背を見送って、医仙は不機嫌そうに呟いた。
「いいわねー、人気者で」
「・・・は?」
突然変わった声の調子に、隊長が驚いたよう医仙を見つめる。
「いつもは厳しい顔の武閣氏オンニたちまで騒ぐなんてねー」
「医仙が」
「私が何よ!?」
「騒がれるうちが花と」
「ああそうねー?ほら、アジサイ」

医仙は不機嫌そうに青紫の手毬花を指す。
「クチナシ。ベニバナ。ハス。チャン先生に教えてもらって、全部覚えたわ」
「全て正解です」
私がゆっくり頷くと医仙は嬉し気にこの顔を見上げた後で、厳しい視線を隊長へ戻す。
「でもあなたはきっとそのどの花より、ずーっと人気でしょうね。ほんとうらやましい。ああ、うらやましい」
「何ですか」
「何でもないわよ!」
「言い出したのは」
「ああそう、そうだった。言い出したのは私よね。ごめんなさいね、どうぞどうぞ闘茶でも闘犬でも闘鶏何でもやっちゃってよ」

隊長は大きな掌で額を拭い、怒りを鎮めるよう深く息を吐くと、再び医仙へ視線を合わせた。
「如何しろと」
「普通はねえ、パートナーに遠慮すべきなんじゃないの?せめて相談するくらいはあっても良いんじゃない?
闘茶だけど、やっても良いかなって」
「其方が言い出した茶会で」
「だからって1人で勝手に決めるのはどうかと思うわ。おまけに武閣氏オンニに命令まで。人気者の上にカリスマなわけねー」
「一体何を」

・・・これは世にいう痴話喧嘩というものではないだろうか。
周囲に残った迂達赤たちも茶碗を片手に、目前で突如始まった御二人の口論を呆気に取られた目で見つめている。
これが医仙が望んでいらした事なのだろう。
何の衒いもなく、隊長が正直にお気持ちを吐き出す事。好き嫌いで構わない、周囲を気にするでなく声にする事。

楽しみたい、そして愉しんでほしいと。時には全て忘れてほしいと。
だからまだ私の声は届かない。口に出していないから。
夢見路の淡い幻のようなあなたに、心でだけ伝えている。

たとえあなたが誤魔化す事をやめたのだとしても。
高麗での日々を隊長と共に楽しみ、愉しませると思ったとしても。
お慕いしておりますと。傍に居させてくださいと。
泣いた時には黙ったままで、抱き締める事を許して欲しいと。

「医仙さま、御医さまも隊長さまも皆さまも。闘茶までこちらでお腹を満たしておいて下さい!」
水刺房の尚宮たちが、手にした竹籠を掲げて示しつつこちらへと急ぎ足で戻って来る。
どうやら午後の闘茶に備え、昼餉を運んで来てくれたのだろう。
「ご飯?」

途端に機嫌を良くした医仙は、その両腕を振り飛び跳ねて応える。
「飯ですか!」
大の男達は、さすがに茶だけでは空腹は満たせなかったのだろう。
迂達赤の隊員たちも水刺尚宮の声に色めき立つ。
典医寺に担ぎ込まれた幼い時からトギと心を通わせているテマンが、隊長の横で嬉し気に顔を綻ばせる。
「隊長、喰ったらぜ、絶対、か勝って下さいね!」
「・・・おう」

勝気な視線で私を一瞥し、ふと眸を逸らす隊長の横顔。
ずっと医仙の部屋の前を護って来た背の高い迂達赤の兵が、大きく笑って言った。
「医仙のお茶の上に水刺房の飯も頂けるなんて、楽しくてまるで夢を見てるみたいです!」

夢ではない。それこそが医仙が夢見たことだ。
皆で集い、体を労わる茶を飲み交わし、笑い合って心を癒す事。
この方は全て思い通りにされるのだ。こうして人の心を溶かす。私には決して出来ない、思いつかないやり方で。
「医仙」
「うん?」
満面の笑顔で屈託なく私を真直ぐ見上げるあなたは此処にいる。幻などではない。

「楽しいですか」
「最高に楽しい!チャン先生は?」
「ええ、楽しいです」
そう笑うとあなたが楽しいだろうから。
あなたが楽しければ、私も楽しい。それは決して偽りではないから。

梅雨の晴れ間の今日だけは、難しい事は考えまい。
夏の初めを告げる花々の、色と香りの溢れる中。
医仙の透き通るような晴れやかな笑顔に、私は深く頷いた。

 

 

【 2016 再開祭 | 夢見路 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

1 個のコメント

  • やっぱり最後は、「チャン先生」になりましたね。やっぱりチャン先生は、医仙の解毒薬を守って無くなったチャン先生ですね。
    さらんさん、良いお話しをありがとうございました。

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