寿ぎ | 11

 

 

「チュンソク!」

庭の玉砂利を鳴らしつつ、満開の笑顔が駆けていらっしゃる。
真直ぐこの腕の中へ落ちて来る、その柔らかさを受け止める。
「お帰り、お帰りチュンソク!」

まるで犬の仔のように俺の手を握り、そこへじゃれるこの方に
「只今戻りました」
そう言って頭を下げると、その黒いひたむきな目が笑む。
「今日はどうだった。お勤めは忙しかったか」
「変わりませぬ」
「夕餉がもうすぐ出来上がる。一緒に食べよう」
「キョンヒ様」
俺の手を引きお部屋へと向かい始めたこの方に声を掛けると、横の玉砂利を踏む音がぴたりと止まる。

こうしてほぼ日課のようにお伺いする刻は変わらん。
それでも季節は移る。今の秋の空は静かに暮れかけ、薄紺に色を変えた天には既に白い星が輝き始めている。
「俺を待つことはありません。役目故、どれ程お待たせするかすら判らぬこともあります。どうぞ先に召し上がっ」
「駄目だ!」

この声の途中に拗ねる事にも、だいぶん慣れて来た。
俺は息を吐いて膝を折り、その幼子のような瞳に視線を合わせる。
「キョンヒ様」
「一人でなんて駄目だから。チュンソクが御役目が終わるまで、待っているから」
「ですから」
「だって美味しくないもの」
「・・・はい?」
「一人で食べても考える。これはチュンソクが好きだろうなとか。この味は苦手かもしれぬとか。
そうすると淋しくて箸が止まるから」
「キョンヒ様、それは」

それは。それは何だと言いたいのだろうか。
年だけ喰っても、こうしてこの方に真直ぐに言われれば声を失う。
俺の百の説教よりも、この方の一言の方が余程力がある。
言い訳じみた言葉で当たり障りなくやり過ごそうとする俺より、こうして正直に言って下さる言葉にこそ本当の力がある。
「それは何だ」
「・・・俺も、同じです」
「え」

正直に告白するのも、時には良いだろう。
俺が不愛想に呟くと、この方の仔犬のような目がなお丸くなる。
「市に行けば思います。女人の衣や飾り物には明るくないですが。
そうしたものを目にすればこれはキョンヒ様がお好きだろうなと。ただ」

嫌いなものまでは判り兼ねますが、そう続けようとした声に
「ほんとう?」
そんな嬉し気な、小さな叫び声が被さった。
だいぶん慣れて来た。この方がこの声を遮る事にも。我慢がきかぬ方だ。俺の事に関してだけは。
それ以外の事では倒れる程に思い詰め、王様の御立場の安定の為に、驚くほどの犠牲も厭わぬ方なのに。

いや、そうではないな。
こうして目を瞑ろうとするのが癖になっている。
倒れたのはあの時、俺が言ってしまったからだ。
逃げる為に、逃がす為に。好きではないと嘘を言ったからだ。

同じ過ちを二度犯すなど許されん。迂達赤の役目では身に沁みてそう分かっている筈であるのに。
けれどやはりこうしていても、まだどこかに踏み込めぬ俺がいる。
まして大護軍と医仙の御婚儀への経緯を目にし、耳にしている今。

俺にはこの想いに、この方に対しあれ程の覚悟があるのか。
医仙を守り、そして待ち、ようやく戻った医仙を二度と離さんとあれ程に力を尽くす、あの人程の思い入れや気概があるのか。
いかん。大護軍の肚を読むのが癖になっているが故、比べるまでもない些末な事までついどうしても一々己と比較してしまう。

大護軍ならばどう守る、どう攻める、どう兵を置く。
何処を動かす、何処を固める、どうその機を判じる。
最も確実に王様をお守りし、最も兵の損失が少なく、一人でも多くの奴が生きて帰れる道は何処にある。

眉間に縦皺を刻み、軍議の上席で腕を組み目を閉じ、不機嫌そうな顔のあの人の無言の肚裡を読んで来た。
チュンソク。一声呼んだ後の続きを持たない大護軍の、肚裡の言葉は俺が伝える役目をいつの間にか負った。

そもそもが恐ろしい程無口な人だ。諦めの息を吐き伝えた言葉が違えば、遠慮なくあの脚や拳が飛んだ。

どこまで傍若無人な人だと、持て余した事もあった。読み違えぬよう薄氷を踏む思いで共に戦場に立った。
そして気付いた。この人は己が生きて帰るなど望んでいないと。ただ俺達が安全に帰れる道のみを、その肚裡で計じていると。

あの人の肚を読む鍛錬がなければ、気付きようもない事だった。
読もうと張り詰めておらねば、何時死んでもおかしくなかった。そうして過ごし十余年。

今更もしも読むなと言われようと、つい読んでしまうだろう。
そしてこれから先もきっと、ずっと読み続けてしまうだろう。

嬉しくてたまらん。二度と離さん。王命であろうと天地が返ろうと。
これが恐らく、あの無口な人の肚裡の本音だ。
そしてこうして読めるからこそ比べてしまう。己自身は己の婚儀をどう思っているのかと。

そこで声も頭も止まってしまう。考えても考えても答が見えん。

戦でそう思い巡らせるならまだ役に立とう。しかし己の色恋沙汰には何の役にも立たん。
どうもこうも手も足も出んのだ。策をめぐらせるどころの話ではない。
ただ真直ぐな言葉に圧され、真直ぐな目に圧され、真直ぐな心を受け止めて差し上げるのに精いっぱいで。

きちんと話せば分かって下さる。お若いが、浅薄な女人ではない。
それでもやはり戸惑う。この方が捨てて下さったものの大きさに。
その価値は俺にはないと、分かっている心の黒さに足を取られる。

それなのに俺が考えているとただ言うだけで、この方の丸い目がこれ程に輝く。
それを見るのが嬉しくもあり、そして苦しくもある。

「明日の大護軍の御婚儀には、ご出席頂けますか」
「本当に、私が行っても良いのかな」
珍しく控えめに首を傾げ俺を見上げておっしゃるキョンヒ様に、俺は微笑んで頷いた。
「医仙直々に、宜しければ是非とお誘いがありました。
キョンヒ様にご紹介頂いた仕立て屋についても、大層お喜びです。良い事をされましたね」

そう言って小さな頭に己の手を置き、そっと髪へと手を滑らせる。
こうして触れるだけで心から嬉し気に、そして満足気にその身ごと預けて下さる姿が愛おしい。

「あなたのお蔭で、医仙の婚儀の衣装が整えて頂けた。キョンヒ様のお蔭で俺も大護軍のお役に立てて嬉しかったのです。
それなのに、何をそのように気後れされていらっしゃるのですか」
「・・・だって」
「はい」

ようやく口を開きそうなキョンヒ様に頷くと、この方は何かを考えるよう俺を見上げたまま首を傾げた。
「チュンソク」
「はい、キョンヒ様」
「手をつないで」

願いの声に笑んで頷き、頭に置いていた手を降ろす。
見つけた柔らかな手を軽く握り、冷たい庭からキョンヒ様のお部屋へと、その手を引いて俺達はゆっくりと歩き始めた。

 

 

 

 

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