寿ぎ | 5

 

 

「・・・ウンスさま」
久し振りにタウンさんとコムさんと一緒にご飯を食べた後。
私はタウンさんと一緒に、台所で後片付けの最中だった。

この時代、夜になるとどの部屋も優しい灯で溢れるから、心を癒されるのは確かなんだけど。
今も台所の中はかまどに残る赤い火と、カウンター代わりの小卓に置いた油灯の列で、オレンジ色の光に溢れてる。

そんな光の中で、私たちは並んで食器洗いをしようとしてた。

ずっと気になっている、最後の難関。
私だってまだ嫁入り前のぎりぎりだもの、羞恥心だって一応人並みに残ってはいる。

でも、聞かなきゃ。知らなきゃ困る。気になって、でも誰に聞いていいかもわからない。
そう考えると未来って、ほんとに情報の宝庫だったのよね。
まあその分、脳内にバーチャルで無駄な知識だけが増えるし、それもどうかと思うけど。

そうよ。これまであちこちでいろんな情報だけは収集して来た。
女同士の情報交換で知った知識、雑誌で見かけたり、ネットの匿名掲示板に書いてあったような事。

少なくとも大多数の男性はそうするって事になってたと思う。
理性を失うとか、まあいろいろ考えずに勢いに流されるとか。
第一この時代、未来よりよっぽど刺激は少ないと思ってた。
あの人が石頭だとか、融通が利かないとかは知ってたけど、でも好きだったら本能が勝つんじゃないかって思った。

なのにまさか1年、本当にそのままで何もないなんて。
毎晩の腕枕と、縁側のバックハグと、ごくたまのキス以外に何もされないなんて。
一緒に住んだら、まして結婚が決まったら、そういう・・・ことがあるんじゃないかって、当然覚悟してたのに。

コムさんが持って来てくれた食器を、タウンさんが受け取って水を張った盥の中に静かにつける。
すれ違うように台所へ入って来たあの人を、体よく追っ払おうと明るい声で提案してみる。
「ヨンア、お風呂どうぞ」

軽く手を振った私に少し笑って、あの人がはい、と頷いた。
こんな顔を見るたびに、いつでもあなたの視線を感じるたびに、嫌われてるわけじゃないって事だけはよく分かる。

だからって私が愛してるのと同じくらい、私を想ってくれてる?
私が一緒にいたいって思うくらい、あなたもそう思ってくれる?
もしかして、こんなに好きなのは私だけ?
この気持ちが重すぎるんならどうしよう。こんなに好きなのが、私だけだったら。
初めてのいろんなことをあなたを一緒にしたいって思ってるのが私だけだったら。
そんな初めてがたくさんあって嬉しいって思ってるのが私だけだったら、どうしたらいいの。

居間から出てってくれたかしら。
あの人が静かに閉めて出て行った扉の向こうに耳を澄ましてみる。
だけど、ただでさえ音を立てない人だから。私の耳じゃよく分かんないのよね。

でも今しかない。聞くなら今よ。
「ねえねえ、タウンさん」

その声に食器を洗っていたタウンさんが手を止めて振り返る。
「すごーく、具体的な事を聞いてもいい?」
私のその声に小首を傾げて
「もちろんです、ウンスさま」
そう言いながら、洗い終えた食器をきれいな水を張った盥にゆっくり滑らせて、頷いてくれる。

うーん、さすがに何からどう聞いていいか悩むわ。でも媽媽にはやっぱり伺えない。
叔母様やマンボ姐さんに聞くのも、それは妙な気がするし。
トギは好きな子って言っただけで真赤になって怒っちゃうし。
そう考えると、タウンさん以外聞ける人がいないのよね。

きれいな水の中で食器をすすいで取り上げて、ふきんで拭きながら ちょっとつかえる声で聞いてみる。
「あのね、あのね」
続きを促すようなタウンさんの穏やかな目を見つめて、
「この時代では、男女の仲って・・・どうなのかな」

そう言うと、タウンさんの切れ長の目がまん丸くなる。
そしてぱちぱちと何度か瞬きをした後、ゆっくりともう一度
「・・・どう、とは、ウンスさま」
穏やかに、確かめるみたいに、優しく聞いてくれる。
その好意に甘えちゃうわ。だって分かんないんだもの。

「えっとね、こう・・・やっぱり、全部結婚前はいろいろしないもの?タウンさんたちは、どうだった?」

食器をつけていた盥の縁に、タウンさんが手を掛け損ねた。
盥が揺れて、中に積んでいた食器が大きな音を立てて崩れた。
「ああ!大丈夫?」
割れるような食器はほとんどない。音に驚いて、私はタウンさんの手元を見つめた。
「も、申し訳ありません、粗相を」

タウンさんは珍しく動揺したみたいに、盥の中で音を立てながらもう一度食器を積み直し始めた。
食器の積み上げを横から手伝いながら、音でごまかすみたいに小さな声で告白してみる。
「心配なの。期待が大きすぎて、がっかりさせたらどうしよう」

それだけが最後に残った心配事。
自慢じゃないけど、ほんとに男子とは縁のない学生時代だった。
おしゃれやメイクにも興味なんてなかったし、実家は田舎だった。
派手な事をしたら、すぐご近所の噂になっちゃうようなところ。

私の人生は、医者になったら始まるんだって思ってた。
良いお給料をもらって、良い車に乗って、良い家に住んで、先生って周りに呼ばれて。
都会に住んで、おしゃれして、メイクして 良い服を着て、年に1度は海外旅行に行って。
最終的に最高の男を捕まえて 最高の条件で結婚するんだって。
もっと言っちゃえば結婚っていう制度の下で、旦那さんっていう永遠の出資者を必ず捕まえるんだって。

それが笑っちゃうわよ。もうじき結婚する人は最高も最高、国史に出て来る天下の英雄、チェ・ヨン将軍だものね。

でももうそんな風に思えない。あの人をがっかりさせるのが怖い。
今まで全く何にも知らないで、勉強漬けで過ごした学生時代。
挙句の果てに医学部時代から初めて付き合って来た男は、金持ちのお嬢様を見つけた途端に呆気なく私を捨てた。

エレベーターの中で。
まるでポケットに手を入れたら、いらないレシートが入ってた。
あ、忘れてた。邪魔だな。って道ばたにポイっと捨てるみたいに。
ゴミ箱に行くのも面倒臭いみたいに。
そこには思いやりどころか、長年の友情すらも残ってなかった。

今になってみれば、あんな下らない男とよく付き合って来たわよ。
レポートの代筆までして。臨床データを2晩徹夜で調べて。
ちょっと忙しそうだと思えば、わざわざお弁当まで作って。

でも別に構わない。あの頃は利用されてるなんて知らなかったし。ただ若くてバカだった。
今が最高に幸せだから、あの男といろんな初めてを体験しないでほんとにラッキーだったって、心から思う。

だけどね。あの人は許婚がいたくらいでしょ。初めてって事はないわよね。
どうするの?初めてそう・・・なった時に。
こいつ何にも知らないのか、期待した俺が馬鹿だった、天界の女だからどれ程かと思ったのに、そんな風に思われちゃったら。

「私ね、学生時代から勉強漬けだったのよ。自慢じゃないけど男性とのそういう・・・経験が、全然・・・」
「ウンスさま」

ああ、女どうしでもこんなに気まずいのよ。まるで学生時代の飲み会みたいじゃない。
周りの女の子たちが今まで何人と付き合った、アレしたコレした、そう言ってる中で私だけなーんにも知らなかった、あの気まずさ。
「私モテません」って見えない大きなボードを、胸の前に掲げてるみたいな気分。

これをあの人に言うなんて絶対無理。私にもプライドがある。
モテなかったの。何も知らないの。言える?言えっこないわ。

どんより肩を落とした私をじっと見て、そしてタウンさんはきれいな目をして、私に笑って頷いてくれた。

「それで良いのです。多いなら言う必要はありませんが。
御心配なら 大護軍殿に伺えば良いのです。不安だと、そうおっしゃいませ」
タウンさんのその声は、心強い励ましだけど。
「だけどあの人は」

あの人は、他に誰か知ってるかもしれないじゃない。ううん。考えたくないけど、きっと知ってると思う。
寝言で呼んだ許婚の彼女。もしかしたらそれよりもっと前の人。それとももしかしたら彼女を失った後も。

自分が何も知らない事が理由で、あの人に嫌われるのが怖い。
変えられないもの。だからってまさか今から焦って、結婚前に誰かとどうこうなんて・・・想像もつかないし。

「ウンスさま」
タウンさんがふきんでゆっくり手を拭いてから、私の手をぎゅうっと握ってくれた。

「ウンス様のいらした場所の習わしは、私には分かりません。それでもこれだけは分かります。大護軍は」
そこでタウンさんの手と、そして声に少し力がこもる。
「どのようなウンス様でも、お嫌いになる事は決してありません。これだけは、分かるのですよ」
「本当に?」

握ってくれるこの手が唯一の救いの糸みたいな気分で、私はタウンさんの手に縋りつくみたいに握り返した。
「ええ、本当に」

タウンさんは子供をあやすみたいに縋りついた私の手を軽く揺らして、お姉さんみたいな顔で笑ってくれる。
「・・・分かった」
やっと安心して、優しい灯の台所の中で向かい合ったタウンさんに頷く事が出来た。

「きすを、してください」

2人きりになった寝室の中、あの人に言われるまでは。

 

 

 

 

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8 件のコメント

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    このシーンをウンス側からもう一度
    見られるとはー(≧∇≦)
    ヨンの考え方と、ウンスの微妙な心情との
    絶妙なズレが良いですねー。
    本日もご馳走様です。(///∇///)

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    婚儀までの長い道のりを本当に楽しみに読ませていただいてます。
    ウンスが可愛すぎて、思わず「しっかりぃ」「頑張って!」「大丈夫よぉ」などと心の中で叫びながらヨンとウンスを応援してます。

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    初心なウンス… 誰にも訊けないし
    内容が内容だけに…
    それでも ヨンとの初めてを 心待ちにして
    ドキドキドキドキ!
    タウンの助言もありがたいねえ
    ヨンが大好きすぎて… でも あと数日よ~
    ( ´艸`)

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    心の不安を打ち明けられる
    タウンが居て良かった(^^)
    さらんさんのお話に
    コムとタウンが登場した時から
    気になってたのですが、
    さらんさんのコムとタウンは
    誰かの俳優さんをイメージ
    されてるのですか?
    とても好きなキャラなので
    いつかお聞かせいただけたら
    嬉しいです(^-^)

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    さらんさん❤︎
    今日は朝から曇り空ですが、このシリーズは曇り知らずです(≧∇≦)。
    さらんさんのところのヨンとウンスは、ギャップがたまりませんね!
    寡黙でクール、淡白に見えるヨンが、実は甘々でヤキモチ焼きで、しっかり者で姉さんタイプの明るいウンスが、実は奥手で慎重派で思慮深くて。
    そう‼︎ 人はギャップが魅力なのですね⁈
    それなら私も!
    ええっと…食いしん坊に見えて、実は少食なんです、私……。
    …。
    ああっ嘘をつきました。しかも、すぐにバレる嘘を(´Д` )!
    さらんさん❤︎
    可愛いウンスの一面を見せて頂き、ありがとうございます(#^.^#)

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    威風堂々のこのシーン大好きでした!ウンス側からも読めるなんてすごく嬉しいです❤️
    奥手の乙女なウンス、とてもかわいいです♩
    きっと経験があるのだろうヨンの事、もちろん気になりますよねー!
    とーっても気になります(。-_-。)
    大丈夫!ヨンがきっとリードしてくれるはず❤️
    ウンス頑張って❤️

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    ようやっとここまで来ました。
    本当に長い間、婚儀を待ちわびていました。
    ウンスってば、ヨンの深い深い気持ちが
    全然分かってない(笑)
    めっちゃ我慢してるのに~!
    ヨンは、こんなにも可愛いウンスを手に入れ
    ちゃったらどうなってしまうのかしら?
    お勤め出来るのかしら?
    早く先が読みたくてウズウズしてます。

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    もう勿体なくてなかなか読み進められなくて、
    でも気になって仕方なくて結局読んじゃう…
    さらんちゃんのおかげでそんなときめく日々を
    貰っています❤
    このシーン、可愛くて愛しくて大好きです。
    女の私でさえこんなに感動するのだから、
    ヨンの心中を想像するだけで幸せな気分で
    一杯になります。
    前にも書いたけど、
    さらんちゃんが紡ぐ二人の結婚式と
    夫婦の契りのシーンを読まずには死ねません(笑)
    さらんちゃん色に染められた二人を
    楽しみにお待ちしております(〃∇〃)

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