寿ぎ | 26

 

 

「イムジャ」

ようやく中天へ掛かった明るい陽の中、この方が振り向き俺を見上げる。
そして同じくこの声に振り向いた横のマンボが、俺が何か言うより早く
「ああ、やっと来たね、主役の新郎が!!」

そう言うと正装の上から前掛けを巻いた腰に手を当てた。
「ヨンア!」
「・・・何だ」
「立派な黒絹の御衣装でさっきっからあっちこっちへちょろちょろして、お前、飯は喰ったのかい!
自分の婚儀だってえのに腹空かせた春の熊じゃあるまいし、喰うもの喰わなきゃ力だって出ないんだよ!」
「後でもらう。今は」
「後でっていつの事だい!今喰っちまいな、熱々のジョンを作ったから」
「マンボ、今は」
「ああ煩い煩い、煩い男だね!その黒い御衣装に」

マンボはそう言うと、脇に焚いていた仮拵えの竈の火を指でびしりと示す。
「この焚火を移されたくなきゃ、喰えって言ってんだ!」
「マンボ姐さん、ジョンは私の分だから、取っておいて下さいね?」

さすがのこの方が取り成し声を上げて、俺に笑い掛ける。
「ヨンア、こっちに」
そしてこの指先を細い指で握り締め、俺を庭の隅へと引いて行く。

俺達がこうして手を握りあっても、周囲の目はただ優しい。
冷やかしも、驚きの視線も、そこから飛んで来る事はない。
そうか。婚儀の日からは人前での触れ合いも許されるのか。
妻が夫の手を引く、夫が妻の手を引くのは至極当然の事か。

それならば婚儀というのは、何と素晴らしい名分だ。
今日から名分の許、この方が無茶をしそうになれば手を握り、無理に抱き締めて止めても許される。

こうして手を取り合って歩き、ようやく足を止めた処で
「どうしたの?」
「ええ、実は」
「うん?」
「これ以上騒がしくなる前に、王様と王妃媽媽を皇宮へ」
この方も困ったように笑みを浮かべ、庭の騒ぎを見渡す。
「うん・・・その方がいいかもね」

この方と連れ立ち宴席の中、静かに王様と王妃媽媽の側に寄る。
「王様、そろそろ皇宮へ」
内官長を脇に従えた王様は頷くと、静かに玉座を立たれた。
気付いたアン・ジェが脇より逆側に寄る。

「禁軍一組で。大護軍の宴席である。最低限で良い」
「王様、そうは」
俺の言葉を王様はそのまま挙げた御手で遮る。
「今日の佳き日だ。水を差したくない。皇宮は目と鼻の先。禁軍一組で十分だ。それ以上はつけるでない」
「・・・では某が、皇宮まで御供します」
「何を言っておる」

俺の声に、王様が呆気にとられたように御口を噤む。
王様の御声に、戸惑うように王妃媽媽も深く頷く。
王妃媽媽の横の叔母上が目で促し首を振る。
宴席へ戻れと言うか。そう出来ん事は誰より御存知だろうに。
俺が眸で拒むと、叔母上が呆れた目を陽の高い空へと上げた。

「チェ・ヨン」
「は」
「そなた自身の婚儀の席なのだ」
「は」
「だから静かに抜けたいと申した。そなたが抜けてどうするのだ」

王様の御声に僅かに顔を逸らし、庭の宴席を眸で示す。
「某が抜けたところで、あの者たちは絶対に気付きもしません」
王様はこの眸を追い、庭の酔客の様子に苦笑いを浮かべられる。

庭へ設えた宴席に思い思いに腰を下ろし、周囲の者同士で語り合い、酒を酌み交わし、大声で笑い合う客人たち。
何処からか運んだ奚琴や三竹、杖鼓やケンガリを打ち鳴らし愉しそうに拍子を取り、それに合わせて舞う奴らもいる。
高々と上がる陽の中で、庭の紅葉より赤い顔もある。

愉しんでもらうのは良い。
しかしこれ以上の無礼講となれば、王様にも王妃媽媽にもご不快な思いを懸けぬとも知れん。
たとえ護りの手の不備でなくとも、御目に映る景色の事だ。
しかし集う奴らを叱るのも、水を差す事もしたくはない。

「それでもそなたの宴席だ。医仙もいらっしゃる。来ることはない」
「守りは十分おります。お送りすればすぐ戻ります」
「どうしてもか」
「はい。では」

これ以上立ち話が過ぎれば、却って耳目を集める。
その声を最後に有無を言わせず、俺はアン・ジェと禁軍一組と共に王様につき、庭を門へと先導する。
王妃媽媽とチェ尚宮、武閣氏がこの方と共にその後に続く。

宅の門まで馬車を寄せ、王妃媽媽と王様がそれぞれ乗り込まれる。
「本日はまこと、まこと佳き日であった。心より嬉しい」
馬車の戸を閉める刹那、王様が馬車内より御言葉を下さる。
俺は深く頭を下げ、コムが厩から牽いたチュホンへ跨る。

そして鞍上から、下のこの方に小さく笑いかけた。
「行って参ります」
見上げた拍子に秋の陽が目に入ったのか。眩し気に目を眇め、この方が明るく返す。
「気を付けてね」
その言葉にゆっくりと頷く。
「すぐに戻ります」
「待ってる」
「はい」

頷いてチュホンの腹に踵を当て、そっと出立する。
少しづつ遠ざかる宅の門。あの方の瞳がこの背を見ている。
肩越しに振り返れば、佇む白い衣装の姿が少しずつ小さくなる。
早く中に入って頂きたい。
そんな処に立たれては気が気でない。
ああ、早く入らんか。
周囲にどれ程多くの兵がおろうと、心配なものは心配だ。

急いで帰る。

チュホンの腹を圧す踵に、ほんの僅か力を籠める。
賢いこいつはその踵に誠実に従い、脚を速めてくれた。

 

*****

 

禁軍の守る皇宮の大門をくぐり、馬車から降りられた王様と王妃媽媽に
「大護軍、もう良い」
「早くお戻りなさい」
と御言葉を頂き、それでも其処で頭を下げ続ける。
そして御二人の背が殿内に入るのを見届けた瞬間、俺は即刻チュホンの背に飛び乗った。

「チェ・ヨン」
「・・・何だ」
最後にアン・ジェに声を掛けられ、今にも走り出しそうに逸るチュホンの手綱を引いてようやくその脚を止める。
「心より、お祝い申し上げる」

アン・ジェは馬下からにやりと笑う。
「で、いつになったら新居に招いてもらえる?今日は俺達は一滴も飲めなかったぞ」
「ほざけ」
鞍上から奴の声に、この鼻先で笑んでやる。
「貴様らの内密の計画の所為。自業自得だ」
「ほう」
アン・ジェが俺の声に、愉快気に目を開く。

「ならば仕方ない。禁軍は今から急病になる。ああ、腹が痛くなってきた。
今宵一晩迂達赤に臨時の衛を任せたい。チェ・ヨン、今宵の歩哨を頼む」
腹を押さえて腰から二つに折り、アン・ジェの芝居じみた声が上がる。
「ああ、もう駄目だな。今から王様に」
「・・・好きな時に来るが良い!」

こんな愚かな奴に関わる暇もない。
「幸せにな、チェ・ヨン!本当にすぐ行くからな!!」
呵々大笑のアン・ジェの声に送られながら、チュホンの脚に任せそのまま一目散に駆けさせる。

皇宮の馬道を駆け抜けるチュホンに、行き交う尚宮や歩哨たちがその足を止め一様に頭を下げる。

早く戻らねば。あの方が俺を待っている。
きっとあのまま、あの場所から動けずに。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です