寿ぎ | 28(終)

 

 

禁軍や武閣氏、迂達赤の歩哨の後の兵たちも。昼の市の商いを終えた商人たちも、昼の畑や漁を終えた民たちも。
それぞれ入れ替わり立ち代わりに宅へと立ち寄り、客足が途絶える気配がまるでない。

陽が西へ傾こうと、風が冷たくなろうと、庭に夜の帳が下りようと。

母屋敷の庭に面した居間まで開いた宴会は、白く丸く大きな月が煌々と輝く時間になっても続いている。

数多の客人たちより代わる代わる勧められる祝杯を重ねる。
一杯毎に焦り焦りする気持ちを抑えられず、段々この口が重くなっていく。

ようやく大方の客人が引いた宵の口。
それでも油灯と蝋燭の揺れる中、月灯の下で宴の賑わいは続く。
酒で存分に温まり、どいつも寒さなど感じんのか。

目の前でヒドが注いだ杯を干す。
さて。

シウルとチホの注いだ杯を干す。
お前ら。

師叔の注いだ杯を干す。
俺とこの方は。

チュンソクの注いだ杯を干す。
今宵が。

テマンとトクマンの注いだ杯を干す。
婚儀の後、共に過ごす初めての夜だが。

セイルの酒が、門番の酒が。長の酒が、ムソンの酒が。
国境隊長たちの酒が、禁軍の、官軍の、迂達赤の酒が。

干しても干しても横から前からの祝い酒が、いつまでもなみなみと残る。

マンボもタウンも手伝いの者たちも、最早意地のように厨で料理を作り続けているとしか思えん。
さもなくば、いい加減つまみが切れても良い頃合いだろう。
そうすれば言い出せる。そろそろ宴もお開きだと。

酒に強かったのが何よりだ。さもなくば今頃は酔い潰れ、婚儀どころではなかった。
お前らが遠方から足を運んでくれたのは判っている。嬉しいと思う。有難いとも思う。
しかし一体いつまで、此処へ残るつもりだ。
そう怒鳴りつけたい己の肚裡の怒気を無理に宥めつつ、ひたすらに盃を重ねる。

肝心のあの方は居間の向こうで武閣氏に囲まれ、美しい花嫁衣装を口々に褒められ、嬉しそうに笑っている。

その瞳がふと上がり、何かを探すように此方へと泳ぐ。
捉えてそっと庭に流すと、鳶色の瞳が困ったように頷いた。

酔った振りで庭へ降り、井戸端で水を汲む。
釣瓶の中に月を浮かべたその水で口を濯ぎ、顔を洗う。
それでも背後の酔客たちの動く気配はない。

髪を濡らした水滴を掌で拭い、秋風が乾かすに任せる。
これ程美しい月の婚儀の宵に、奴らまだ呑む気なのか。

酔い覚ましを装って、庭をぶらりと歩き出す。

母屋敷の居間から裏に回った処の庭の隅。
待っている俺の元へ小さな足音が暫くの後、小走りに駆け寄ってくる。

足音が止まると同時に、この胸へ落ちて来る軽い体。
「分かってる。盛り上がりすぎよね、みんな」
上がった月の中、庭の片隅で早口の小さな声が言う。

胸の中から此方を見上げる、俺だけを映す瞳。
空からの月に照らされた、透ける程に白い頬。
その月の許、これまで見た中で一番に紅い唇。

眩暈のように突き上げる、目の前が眩む程の想いを捻じ伏せ、大きく息を吐いて頷いた。
そうだ。どれ程気の遠くなる思いで、まじないを唱えて来たと思う。
この遅々として歩まぬ足に、伸ばせぬ指に。
今まで立てた中で最も悔いしか残らぬ愚かな誓い、どれ程歯噛みし耐えたと思っている。

そんな事など露知らぬこの方が困ったように
「でもどうやって帰ってもらう?みんなわざわざ私たちのお祝いに遠くから来てくれてるのよ」
悲し気に言って眉を下げる。
「俺が言います」

ああ、構わん。言ってやる。とっとと去ねと。
この方との生涯初めての夜だ、邪魔する奴は尻を蹴って門から追い出す。
そう断言し、居間へ戻ろうと庭へ戻る角を曲がる。

と。

居間にも庭にも人の気配がない。
誰もおらぬ。先刻まで、あれほど騒がしかったものを。

「あそこ」
空の居間を眺める背に向け、後ろから来たこの方が足を止め門を指す。

今まで居間で飲み騒いでいたはずの奴らが、今度は門でわいわいと騒いでいる。
「大護軍!」
テマンがこの姿に真先に気づき、月の下から俺を呼ぶ。
「俺達、帰ります!」

頭を下げるテマンに続いて
「やっと俺たちを帰す気になったんだろう!!」
「素直じゃねえんだ、もっと早く言えば良かったのに」
「明日片付けに伺います!」
「どれだけ呑む気だったんだ、大護軍は鯨ですか!」
「遠方の宿無しは、うちの離れに泊まらせるよ」
「また改めて伺いますですだよ」
「大護軍、戻る前に、またゆっくりと!」
「今晩はゆっくり休めー!」
「大護軍、お邪魔しました」
「ごゆっくり!」
「お二人とも、ゆっくりお休みください」
「ウンス、今度は共に茶を飲もう!」
「おめでとうございます!!」
「ヨンの旦那ー天女ーお休みー」
「寝ないだろうよー」

門前で大声を上げ、ああだこうだと騒ぐ酔客たち。
「みんな、おやすみなさい!またゆっくりねー!!」
横のこの方が背伸びをし、大きく両手を振り上げる。
「早く帰れ!!」
俺が最後に怒鳴ると、奴らは大笑いしながら門から出て行く。
妙な処でばかり、ああやって気を廻しおって。

笑い声が宅横の一本道を遠くなる。それさえ届かなくなれば。
「とっても楽しかった!」

秋の月の照らす庭の中、この腕に手を掛けるあなたと俺の二人きりだ。

覗き込んだ瞳の中、中天の大きな白い月と俺だけが映る。
頷くとその手を握り寝屋へと導く。
俺の横を素直についてくる小さな足音。

寝屋の扉を開けて確認した後、部屋内へとこの方を通す。
先刻までの騒ぎが嘘のように、静寂が耳に痛い。

油灯を灯すことも忘れた、窓から差し込む月灯りだけが頼りの、心許ない初めての夜。

その白く裾を引く長い上衣を肩から滑らせると、少し俯いたこの方が息を止める。
「ヨンア、お風呂」

白絹の上衣を床に落とすと、チマの胸元の飾り紐が目に入る。
この方は無言でその紐を細い指先で丁寧に解き、寝台の横の小卓の抽斗へ大切に仕舞いこんだ。

白いチマのオッコルムへとこの指先を掛ける。
そこにひそんでいた短剣に、ふと手を止める。

眸で問うとこの方はぎこちなく笑い、その短剣を一度握り締め、先刻の飾り紐と同じ抽斗へ入れた。

寝屋の中に、この方の纏う絹の触れ合う音だけが響く。
「一日中、外に」

聞こえない。あなたへの指先を躓かせるものはもう何もない。
そう首を振り、チマの袷をゆっくりと解く。
「でも」

そこへ掌を入れそっと左右へ開く。纏うチマの襟に沿い動かす指先に、小さな体が固くなる。
酒臭いか。手が冷たかったか。それとも。

ようやく手を止め、窓からの月灯りだけに浮かぶこの方を見る。
「浴びますか」

その問い掛けにこの方は顔を上げぬまま、それでも静かに頭を左右へと振って下さった。

唇を噛んで息を整え、チマをその肩から落とした刹那。
淡い白い月の光の中、ソッチマの最後の袷紐。
この方を白い素肌を覆う、最後の結び紐が眸に飛び込んで来る。

それは今日の空の色と同じ、どこまでも澄みきった青い色。
月に浮かぶ秋の青空の色にこの眸を奪われる。

「この青は、あなたへの誓いの色」

月灯りの寝屋、小さな声が俺に教える。
倖せ者だ。これから二人で秋の空を見るたびに思い出せる。
この秋の空色を。こうして立てて下さったあなたの誓いを。
今まで誰も解いた事のないその紐に込めたあなたの想いを。

「愛してる」

呟いて伏せられたその瞳をもう覗き込めない。
あなたをこの腕に強く抱き締める。ただ強く。

何も言うな。その言葉一つで全て伝わるから。

きつすぎる腕の囲いを緩め、強張る指をようやく伸ばす。
結い上げた懐かしい花の香の髪に挿す簪を引き抜いて、その亜麻色の髪を細い肩へと滝のように流す。

互いに震える初めての夜。

寝台から寝屋の闇へ溶け込む影を、秋の月だけが見ていた。

 

 

【 寿ぎ ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です