寿ぎ | 16

 

 

その男は何故かその自分の腕でなく、私の落とした刀へ目をやると
「刀が」
そう言って目で地にある刀を示した。
「そんな物はどうでも良い、済まない。人違いだ」
「男が出て来たので」
「それを追ったのか」
「ええ」
「何故」
「言いたい事が」
「その男を、知っているのか」
「・・・・・・」

言葉を詰まらせた男の腕の傷を己の懐から出した布で強く押さえ、私はもう一度目前の巨きな男に訊いた。
「私もその男を追っている。知っているなら、教えてほしい」
「ここの奥方の」
奥方、といえばあの偉そうな夫人の事だ。
「奥方の、何」
「奥方の」

そう言った後、声を続けず口を閉じた男の様子で気付く。
「奥方の、男か」
目の前の小山のような男が長い無言の後、渋々といった様子で小さく頷く。
「何故あなたが、そんな事を知っている」
そう訊くと男は体にそぐわない小さく溜息を吐く。

「庭木の手入れで、出入りを」
「成程な。男の存在は家人はみな知っているというわけだ」
「その男は正門から出入りしない。いつも木を傷つける。それを庭師のせいにする。親方が迷惑をしている」
「それで今宵見つけて、灸を据えようとしたわけですか」
「はい」
「それなら尚の事、済まなかった。本当に」
「いえ、良いんだ」
「良くはない」

良いはずがない、全く無関係な者をこうして斬りつけて。
恐らく間男がいる時に、あの高官が予定外に帰宅したのだろう。
あの高官があちこちの邸に多くの妾を囲っているのは、皇宮の中で公然の秘密のようなものだ。
しかし奥方の方もとは、割れ鍋に綴じ蓋だったというわけか。

夫人は間男を窓から逃がし、乱れた服で賊に押し入られたのだと騒ぎ立てたのだろう。
そして信じた高官は、私たちを呼びつけた。

だから夫人は男だと知っていた。自分より頭一つ半高いと知っていた。
そうだ。一本糸が解ければ、全ての絡みはこうして解ける。
冷静にさえなれば、辻褄の合わぬ処は山ほど見つかる。

「タウナ!!」
組になり外を見回った武閣氏が叫びながら駆けて来る。
「どうした、この男か」
「違う。私が誤って斬りつけた」
「タウナ」
「邸に忍び込んでいたのは賊ではない、夫人の間男だ」
「何だって」

これ以上の騒ぎになれば誤って斬ったこの人にも、もしかすればこの人の呼ぶ親方という庭師にも、累が及ぶかも知れない。
「ここだけの話にして。あんたは知らない振りをして」
「・・・分かった。どうするの」
「中に戻る、夫人に言いたい事がある」

私はそう言って、大きなこの人の目の前から立ち上がった。
「歩けそうですか」
「はい」
「では行って下さい。長居すればあなたにもっと迷惑が掛かる。斬ってしまった事は、本当に済まない。
私は皇宮武閣氏、剣戟隊長。もしも傷が癒えねばすぐに連絡を。私のせいです。出来る限りの事をさせて下さい」

最後にもう一度頭を下げ、私はその場を後にした。
邸の中に戻ると、あの夫人が蝋燭を灯した部屋の中に座っていた。戻った私たちをそこから睥睨し
「賊はどうした」

偉そうに確かめる声に、微かな安堵があるように聞こえる。
「賊は、おりませんでした。奥方様」
居並んだ武閣氏の列から半歩進み出で、その顔を真直ぐ見据えて私は言った。

「但し窓から飛び出して行った間男なら探し出せるでしょう。
本気で探せば二刻程で。どうしますか。捕らえますか」
無表情に言い放った声に、目の前の夫人の顔が蒼褪めた。
そしてその横の高官がぎょっとしたように目を瞠った。
半歩後ろの武閣氏の皆が、息を呑んだ。

「ご自分の火遊びの尻拭いに呼びつけるのはお止めください。私はあなた方ではなく、皇宮に仕える身です」
そう言って頭を下げ、後ろの武閣氏へと目を投げて
「戻るぞ」

そう踵を返し昏い庭を抜け出る私の背から、高官が夫人に向かい何か怒鳴りつける声が微かに聞こえて来た。

そして三日後。彼の来訪を聞いた時には肚を決めていた。
怪我が癒えぬのか、詫びが足りなかったか。さぞ立腹して訪ねて来たのだろう。
覚悟を決め、呼び出された皇居の大門へ真直ぐに向かう。

門の外で待っていたあの忘れられない巨きな男は、無言で懐からきちんと洗い四角く折った布を取り出す。
そしてその巨きな手で私の手へと その布を静かに差し出した。
「やっときれいに」

あの墨夜に負わせた傷の血の事を言っているのだと分かった。
押さえたこの布に付いた、その血が落ちたと言っているのだと。
「わざわざ、それで」
「はい」

男は優しい目で微笑んだ。
ああ。この人の目は、その声と同じだけ優しい。
黙ってその布を受け取り懐へと仕舞うと、私は首が痛くなる程高いところにある優しい目を見上げて訊いた。
「傷はどうです。医者には行かれましたか」
「いえ」
その高い処の頭が、左右に振られる。
「まだ痛みますか」
その高い処にある目が、困ったように笑った。
「全く」
「ならば良かった。本当に申し訳なかった。わざわざ手拭いまで」

彼はその声に首を振り
「椿が」
と、短く言った。
「え」
「椿の刺繍が」
「・・・ああ」

思い出した。確かに彼にあの夜渡した手拭いには、暇潰しに刺した椿の刺繍があったはずだ。
「だからと言って、あなたを斬った兵に」
「いえ」
彼は困ったようにじっと黙り込み、そして何度か深い息をして
「・・・タウンさん、の、せいではない」
「え?」

急に呼ばれた己の名、私は目を丸くしてその目を見つめた。
呼んだのはその声のはずなのに、何故か優しいその目に呼ばれたような、そんな不思議な気になった。

「あの夜、お連れの方がタウナと」
「・・・ああ、確かに。タウンと言います」
私が慌てて頭を下げると彼は大きく頷いて、そして笑った。
「コムです」
「・・・コム、殿」
「殿などでは」

熊、とは。余りにその風貌にぴったりな呼び名。
「授け名です。双親が付けた」
コムと名乗る彼は照れ臭そうに、そう言って頭を搔いた。
訊かれ慣れているのだろう。私が本名ですか、呼び名ですかと訊く前におのずから。

「生まれた時から、大層毛が豊かだったそうです」
「そうだったのですか」
私は彼の顔を見上げたまま、何故かにっこりと笑った。
普段であれば男とこうして大門前などで立ち話など絶対にせぬ。
なのに立ち去りがたくて。その声をもっと聴きたくて。
「きっとコムさんが可愛らしかったのですね、御両親も」
気付けば、そんな風に水を向けていた。

程無く私は、武閣氏から退いた。コムが一度だけ皇宮を訪ねてくれた後に。
夜盗と間違われても言い訳もせず、斬りつけられても文句も言わず ただ黙々と傷の手当てをしているコムを初めて見た時。
自分の剣が無実の人を斬ってしまうかもと思った時、恐ろしさに柄を握る手が震えた。

武閣氏を去る事に心が痛んだのは、ただ残って役目を遂行する隊長と仲間たちに対してだけだった。
これでもう誰も斬らなくて良い。その安心感の方が大きかった。

あなたに相談をした。
「もう武閣氏を退こうと思います」
あなたは困ったように、優しい目で問いかけた。
「俺のせいですか」

あなたのせいの訳が無い。
斬りつけたのは、まして誤って無実のあなたに斬りかかったのは私だ。

あの頃、お若い王が二代続いていた。どちらの王にも、妃と呼ばれる方はいらっしゃらなかった。
もともと武閣氏は皇宮で王様のお妃さまたちをお守りするのを主な役目として選抜される兵たち。
お守りする方がいらっしゃらない限り、基本的には他の兵たちとそう変わらない。

鍛錬に時間を使い、そして夜中や明け方の歩哨にも立つ。
そんな私達を都合の良い守りとして、私用に駆り出す高官達。
その邸の奥方や、第二、第三の妾の衛にまで体良く駆り出される扱いに疲れ切っていた事もある。

私は国の碌を食んでいる兵だ。
下らない高官達が女に良い顔をするために、仕えている訳ではない。
媽媽と呼ばれる方や、お生まれになる公主様翁主様に仕える立場だ。
偉そうな女に顎で使われるために、鍛錬に勤しんでいる訳ではない。

「兵をやめても、共にいてくれますか」
そう訊いた私に、コムは心底驚いたように眼を瞠る。
いつもは優しい目に湛えられた驚きに、瞬時に悔いる。

早すぎたのだろうか。それとも嫌われているのだろうか。
こんな風に男に問うたことはない、だから訊き方も分からない。
その機を判じる事も出来ない。
戦とは違う、人と人との距離に慣れていない。
計り間違えたのだろうか、その距離を。
私が望んでいたより、信じていたより、コムの心はまだまだ私から遠くにあったのだろうか。

取り消したい、今からでも嘘です、気にしないで下さいと言ってごまかして走って逃げたい。
私が口を開こうとしたその時、コムはその目と同じだけ驚いた声で、私に問い返した。

「何故あなたが兵をやめたら、俺達が離れなければならないのですか」

 

「タウナ」
そう言って大きな硬い掌が、そっとこの頭に乗る。
そう呼ばれるだけで、泣きたくなる程愛しいのに。
「俺が守る」
「・・・そうね」

こうして大護軍の御邸の離れ、二人で布団を並べて過ごす夜。
あなたがいる。そしてウンスさまがいる。
誰より尊敬する隊長の甥御様。
そして今、同じように尊敬する大護軍の届かないところだけでも、せめてウンスさまを守りたい。
そして生涯に一人だけのあなたを、私は護りたい。
例え可愛い女でなくても良い。守られるだけの女にはなりたくない。

あなたが守ると言ってくれればくれる程、守りたいと思う。
誰より愛しい、大切なあなたを。

きっと兵なら誰もが思う。殺めた命の分まで大切な人を守りたい。
その為なら自分の手はどれ程血に濡れても良いからと。

その永遠の誓いの日は明日。
大きな掌に髪を撫でてもらいながら、私は目を閉じる。

大護軍とウンスさまの、そして私達みなの大切な夢が叶う、明日。

 

 

 

 

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