寿ぎ | 18

 

 

「・・・イムジャ」
何よりも愛してるあの声が、明け方の夢から私を引っ張り上げる。

「・・・イムジャ」
私はあなたのもの、そしてあなたは私のものだって教えてくれる。何よりも大切なその声が。

その声に向かって、幸せな気分で腕を伸ばす。
ねえ、起こして。いつもそうして私を呼んで。
いつでも伸ばしたこの腕の先にいて。どこにも行かないで。

愛してる。あなたの声を聞くたび思う。
愛してる。二度と1人にしたりしないで。
愛してる。二度と1人にしたりしないから。

「ウンスヤ」

そう呼ばれてようやく目を擦って無理矢理開ける。
今、何時?まだ窓の外は薄暗い。
「戻ります」

目を開けた枕元、思ったよりずっと近くにあったあなたの顔にびっくりして一気に目がさめる。

「お、はよう、ヨンア」
寝起きの掠れ声に、鼻と鼻がくっつくくらい近くであなたが笑う。
「お早うございます」
目を開けた私に頷くと、その指で目許の髪をそっと上げてくれる。

「巳の刻には、必ず戻って下さい」
それだけ言って、素早く枕元から立ち上がって。
「あ、うん」

まだ半分掠れた私の声に頷くと大きな歩幅で部屋を横切り、あなたはあっという間に外の薄闇の中へ姿を消した。

 

*****

 

「チェ・ヨン殿」
こう来ると思っていた。
だからこそ曙闇に紛れ、部屋を出ようとしていたものを。

抜けようとした曙の典医寺の薬園、木下の影に足を止める。
佇む気配から呼び掛ける声を、薄々覚悟していたとはいえ。
「何だ」
「お早うございます」
たいがい酔狂な男だ。わざわざ朝の挨拶の為に待ち伏せか。
佇んだまま微笑むキム侍医に向け、眸を合わせて問い掛ける。

「で、何だ」
「いえ、御挨拶を」
「ああ」
「後程、改めてとは思いましたが」
そうしてくれればどれ程有難いか。何しろこいつの掌の中だ。
あの方の部屋で夜を越した事には、些かの後ろめたさがある。

「おめでとう御座います」
「ああ」
「どうかお倖せに」
「・・・ああ」
キム侍医の不器用な笑顔に偽りはない。
お前がその指の間から零してしまった倖せの分まで。
お前にも知って欲しい、いつか必ず逢えると。
誰かを殺める、もしくは己が死ぬ事を夢想するほど苦しんでも、運命ならば再び巡り逢えると。

「侍医」
「はい、チェ・ヨン殿」
「必ず逢える」
「・・・ええ」

曙闇に浮かぶ横顔には、まだ喪失の苦しさが勝っていても。
それでも逢える。理屈ではない。それが運命ならば。
幾度でも、幾度でも。たとえ喪ったように思えても。
待っていれば。待ってさえいれば、必ず戻る。たとえ今生でなくとも、いつか必ず。

「後でな」
「必ず伺います」
頷くキム侍医を残し、足早に典医寺の薬園を駆け抜ける。
そうしながら、ふと曙の中に開く花々へと眸を投げる。

調和、純情、元気、真実、長寿、開運、希望。
幸せな恋、幸福が訪れる。
不屈の精神、愛の誠実。
困難に打ち勝つ、ひたむきな愛、謙遜、愛嬌、理想の恋。
飾らぬ心、誠実な愛情。

無言でただ咲き枯れていく草や花ですらこれ程多弁だ。
それに比べて、あの天界の言の葉一つしか知らぬ俺は。

それでも構わない。それしか知らぬ。そしてそれで良い。
そうしてあの方と共に生きる。今迄もそして今日からも。
俺達が変わる事はない、何一つ。
俺を困らせるあの方が今日から急に良妻ぶるとも思えん。

やらねばならぬことが多すぎる。
朝はまだ明けたばかりだ。

 

*****

 

窓の外がすっかり明るくなって来る頃。
最後に結い上げた髪に媽媽にお借りした簪を飾って、具合を確かめる。
これ以上、何もする事はなしよね。
お母様の飾り紐は、胸元に飾った。 叔母様の小刀は、懐にしまった。
あとはトギのブーケを待つだけ。

大きく息を吸って深く吐いて、私は椅子から立ち上がると、静かに典医寺の庭に出た。
白絹の裳裾を庭で引き摺らないように、指先でちょっと持ち上げる。

ああ、子供の頃に憧れたなあ。童話の中に出て来る、シンデレラや白雪姫。
あんな風にきれいなドレスを着て舞踏会に行ってみたいって。
そしてドレスの裾をつまんで、優雅にお辞儀してみたいって。

でも今、私はここにいる。そして舞踏会はないけど、誰よりすてきな王子様に出逢ったわ。

ねえ、ユ・ウンス。

あの頃明るい光があふれる部屋で夢中になって童話を読んだ、小さな女の子に話しかけてみる。

あなたは知らない、今はまだ。
本当に恋すると、本当に運命の人に出逢うと、何もかも捨てられるって。
条件もお金も、地位も名誉も、外見至上主義も、みんなちっぽけな事よ。

これだけは忘れないで。どうか覚えていて。
あなたの運命の人が必ず迎えに来てくれる。
今あなたが読んでる、その童話みたいにね。

ねえ、ユ・ウンス。

あなたは将来ドクターになるの。整形外科医に。
でも出来るなら、韓医学も学んでおいてほしい。
それが将来きっとあなたの力になるわ。あなたの愛する男性をもっとしっかり支えられる力になる。

そうすれば失う人がもっと少なくて済むかもしれないの。
あの人が悲しむ事がもっと少なくて済むかもしれないの。

届けばいいのに。あの時の小さな私に、今の私のこの声が。

美しく透明な秋の日差しが、典医寺の庭を照らす。
色とりどりに咲く秋の花。その香りを胸いっぱいに吸い込む。

「医仙。おはようございます」
「今日のお衣裳、素敵ですよ」

庭の外で待っていた武閣氏のオンニが、庭に出た私に明るく挨拶をしてくれる。

「おはようございます。今日はみんなも来てくれるわよね?」
「もちろんです」
「楽しみです」

あちこちからそんな華やかな声が上がる。
そうよね。みんな私より若い、今が花盛りの女の子たち。結婚式と聞いて胸が躍らないはずがない。

トギが今日は綺麗な色のチマチョゴリを身に着けて、薬園からこっちに向かって一目散に走って来る。
その手の中に、丸い大きな花束を持って。

私の前まで来るとその花束を掲げて、こんな感じで良いのかと指で尋ねてくれる。

黄色い小菊を基調にした、可愛い野の花々のブーケ。
昨日あの人に読んでもらった、すてきな言葉が詰まった花たち。
「最高よ、トギ。先の世界ならフラワーコーディネーターになれる!」
叫んで私が抱き付くと目を白黒させながらも、トギがぎこちなく抱き返してくれた。

もう典医寺でする事はない。さあ行こう。

あの人が待っててくれる、秋の陽射しがあふれる私達のあの庭に。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    さらんさんが紡ぐ言の葉❤
    素敵!本当に素敵です(^^)
    嬉し涙が溢れてきて
    読めないじゃないですかぁ~~
    ヨンの
    今から急に良妻ぶるとも思えん。に
    納得~~(笑)

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらんさん♥
    つ、つ、ついに この日が来たのですね…。
    新春を寿ぐ まさにこの佳き時季に、ヨンとウンスの華燭の典が挙げられるのですね!!
    ああ、どうしよう…ヽ(*'0'*)ツ オロオロ…。
    読者皆様の9割以上は、この日を心待ちしていたことでしょう。
    でも、ある程度の歳まで“好物は最後に食べる派”だった私(今は、人にとられる前に、真っ先に食いつきますが)。
    いよいよ訪れた「X-day」の出来事を、早く読みたいような、まだまだとっておきたいような…、非常に贅沢な悩みに頭を抱えております。
    楽しい旅ほど、出かける前ならではのワクワク感がありますからね。
    ああ、どうしようヘ(・o・Ξ・o・)ヘ
    さらんさんとこのヨンは、徹底的に甘々で焼きもち焼きのくせに、妙に律儀で節度があり、婚儀後も丁寧語を崩さない男前ですから、心願成就させてあげたくもあり…。
    運命はさらんさんのみが握っているのに、無駄にゴロゴロと悩み悶えております。
    今夜はチュホン(MY PCです)の植物図鑑を見ながら、トギの作ったブーケをイメージして幸せな気分に浸りたいと思います。

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