寿ぎ | 翌暁 【 結篇・終 】

 

 

「・・・とにかく」

玄関先で口を開いた叔母上は何処か疲れたような、魂の抜けた声音で呟いた。
「何とかいう、婚儀の旅を愉しめ。一旦すべて忘れてな」
「ああ」
「王様には全てお伝え済みか」
「全てとは」
「巴巽村の面々の事も、あの瓶の中身も」
その声に頷くと
「・・・道理で己の婚儀の最中に、走り回っていた筈だ」
呆れたように首を振り、巴巽の皆に頭を下げ庭を歩いていく。

「大護軍、お気を付けて」
続いて掛かったセ・イルの声。その伸ばす手を握り、互いに目を交わす。
続いて門番がでかい手でこの肩を叩く。
「お前を信じるよ、大護軍。ウンス、気を付けてな。また村に来いよ」
「ありがとうございました」
互いに肩をぶつけ合い、この方の明るい声に送られ、
「医仙、待っとりますだよ」
「大護軍、医仙、お邪魔致しました」
鍛冶と長が最後に残し、皆が頭を下げる中を門から消えていく。

「じゃああたしたちも行くよ」
そう言って門から歩き出したマンボが
「ヨンア、旅の間の繋ぎははどうするのさ」
数歩行き思い出したように足を止めて振り向いた。
「何かあればテマンに声を掛けろ」
「分かったよ」
「万一手が必要なら、号牌をぶら下げて歩く」

腰辺りを指した俺にヒドが薄く笑んで頷いた。
「その時は俺が向かう」
「頼もしい」
「あ、じゃあ俺も」
「何だよ、俺だって行きてえよ」
「お前はトクマンの槍を見てやれって」
嘴を突っ込むチホとシウルを、マンボが一喝した。
「お前ら全員行かせるわけにいくかい、この馬鹿!」
騒々しい声を交わしながら、表通りを歩いていく背が小さくなっていく。

「大護軍、それでは」
「おう」
「お帰りは」
「七日か、八日か。その程度だ」
「判りました」
頷くチュンソクに俺の横から明るい声が掛かる。
「チュンソク隊長」
「はい」
「キョンヒ様とハナさんにも、お礼を伝えてね。ウエ・・・婚儀、ありがとうございましたって」
「お伝えします」

微笑んだチュンソクに、トクマンの声が上がる。
「隊長」
「何だ」
「そのハナ殿のことですが」
「先刻より一体何なんだ、ハナ殿ハナ殿と」
「一度ゆっくりお話をしてみたいと」
「馬鹿げた事を抜かすな!大護軍がこれから御留守になるというのに」
「いえ、すぐでなくても。大護軍が御戻りになって、それからで」

チュンソクは息を吐き、俺とそしてこの方に頭を下げ直した。
「・・・では」
「気をつけてね」
「はい」
歩き出したチュンソクに従いて、トクマンが歩き出す。
そして最後にテマンが頭を下げた。
「何かあったら、すぐに行きます」
「トギによろしくね」
この方の声に嬉しそうに笑って頷くと、テマンは踵を返しトクマンたちの後姿へと駆け出した。

家の前の真直ぐな途。
秋の陽の中、最後のその背を見送る。
テマンが振り返り大きく手を振る。横のこの方は名残惜し気に、いつまでも手を振り返す。
「イムジャ」
手を振りながら、此方を見上げる瞳へ呟く。
「入りましょう」
「うん」

それでも奴らの背が真直ぐな途を行く、それが角に消えるまで手を振って。
そして最後のテマンの背が角を曲がり消えてから、ようやくこの方が大きく息を吐いて頷いた。
「楽しかった」
「楽しかった、ですか」
「嬉しかった」
「・・・そうですか」
「何だかちょっと淋しいわね」

確かに昨日、そして今日。
大勢の客を迎え、そして見送った後の宅は静かなものだ。

宅の玄関へとその静かな庭を辿りつつ、小さな声で問うてみる。
「俺が居ても」
「え?」
「淋しいですか」
あなたさえいれば何も要らぬ俺とは違うのか。
あなたは皆が去ねば淋しいのだろうか。

俺の声に不思議そうに首を傾げた後、あなたの温かい手が伸びる。
この掌へ滑り込み、細い指がこの指の間をくぐり、確りと握り締める。
「あなたがいるから、嬉しい」
「はい」
「あなたが淋しいかなって思ったの」
「・・・静かになって清々しました」

俺の呟きに笑いながら、この方が握った手を揺らす。
「嘘つき」
「イムジャ」
「さっきのあなた、嬉しそうだったわよ」
「俺が」

決して訪問が嬉しかっただけではない。
この方のように、澄んだ心根で嬉しかったわけではない。
ただ思った。千載一遇の好機だと。
一堂に会した奴らが互いに見知れば、この後の戦の折の契機になるのではないかと。

いつでもそうだ。この頭の中には戦の策がある。
奴らを一人も失わぬように守れるのなら。
この方の苦しみに流す涙を一滴でも減らせるなら。
この方が心をすり減らし、兵の命を守る為に奔走するのを一度でも減らせるならば、何でもする。
だから嬉しそうな顔をしたのかもしれん。

「ところで、ねえヨンア」
「・・・はい」
この掌を握り締めたまま、横の小さな足音が止まる。
つられて足を止めるとこの方が、困った瞳で俺を見上げた。
「どうして?」
「何がですか」

何を問われたかが分からずに、鳶色の瞳へ問い掛ける。
「ほらね、やっぱり」
「イムジャ」
「どうして、ずーっと丁寧語なのかなって」
「は」
「そうだな、じゃなくてそうですね。何だ、じゃなくて何ですか。もう結婚したんだし、私の旦那様でしょ?」
「ええ」

思わず打った相槌に
「ああ、じゃなくてええ、なのね」
「それは」
言われてみれば確かにそうだ。だからと言って。

「ぞんざいな口利きがお好みですか」
「ちょっと試しに話してみてよ」
「試しにと言われても」
「ねえ、ヨンア。ハネムーンは結局どこに行くの?」
「鉄原でご希望通り墓参を済ませて」
「ほら、そこだってば!」

この方が俺の声に、繋いだ手を振り回し茶々を入れる。
「お前の望み通り鉄原に行く、じゃダメなの?」
「駄目というわけでは」
だからと言っていきなりこの口調を改めろと望むか。
「じゃあ、ヨンア」
「はい」
「お昼ご飯は、何が食べたい?」
「・・・任せる」

お任せしますと出そうな声を呑み、敢えてそう呟いてみる。
不自然極まりない。ついこの眸が泳ぎ、その瞳から離れる。
この方もそれに気付いたか、可笑しそうに小さく声をたてる。
「ものすごーく、無理してるわね」
「ええ」

どのように話して来たかなど、考えた事もない。
心の動くままに語り掛けて来た。心の呟く言の葉を声にした。
この方を大切にしたい。驚かせたくも、怯えさせもしたくない。
知らずに済む言葉であれば聞かせたくない。
ただ笑っていてほしいだけだ。花のような笑顔で、明るい声で。

それでも嫌だと言われれば、俺にはどうしてやりようもない。
ぞんざいな口の利き方が好みと言われれば、力は尽くしてみる。
戸惑う眸が、鳶色の瞳に追い駆けられ掴まえられる。
「ヨンア」
「はい」
「私の事、すっごく好きでしょ」
「は?」
「すごーく、愛してるでしょ。大切でしょ」
「それは勿論」

そうでなければ今此処になど居らん。
「それならいいわ。私はあなたの話し方、大好きよ」
手を握りしめたまま、この方の小さな体が一歩寄る。

次の瞬間、この腕の中にその体が落ちて来る。
空いた片手で咄嗟にその体を支え、思わず庭へと眸を投げる。
客の帰った後とはいえ、タウンもコムもいる宅の庭だ。二人きりの寝屋の中とは違う。
「イムジャ」
「うーん。新婚初日だから、許して」

分かっていてこうして擦り寄るならば、遮る手立てはない。
諦めの息を吐き、腕の中のこの方が改めてこの腰へと回し直した細い腕を感じつつ、その体を支え続ける。

 

あなたの口調は変わらない。
何故ですか、何ですか。こうですか、ああですね。
低くて穏やかで、いつだって私の事だけ考えてくれる声。
その口調が変わる時は、あなたの感情が爆発した時。

結婚したんだもの、少しでも楽になって欲しい。
ワガママ言ったって構わない。ストレスが溜まるよりよっぽどまし。
でもこの人にしてみると、ラフな口調の方がストレス溜まりそうよね。

あなたのことが大切過ぎて、どうしたらいいか分からない。
ただ今日から始まる未来が最高に倖せだって思って欲しい。
毎日楽しくて、笑い合って、そしてたとえケンカしたって最後に同じベッドで必ず一緒に眠って。
あなたと一緒に、そうやって最後まで一緒にいたい。
そして歴史を変えられれば、もう思い残すことなんてない。

「ヨンア」
「はい」
「きっと思い出すわ。あなたと新婚初日に、その話し方のことでこうやって笑い合ったって」
「・・・はい」
「いつか子供が出来たら、教えてあげなきゃね」
「ええ」

あなたの腕の中から黒い瞳に伝えると、その瞳が心から嬉しそうに、ゆっくり微笑むから。

伝えたい。もしも私たちがいつか未来に可愛い子を授かるなら。
あなたのアッパはこんなに素敵な人なのよ。オンマが世界で一番愛してる人なのよ。
そしてあなたは、こんなに愛されて生まれて来たのよって教えたい。

こんなに紅葉がきれいな秋の日に、アッパとオンマは結婚したのよ。
本当にたくさんの人たちが、アッパとオンマを祝福してくれたのよ。
アッパは照れ屋で口数は少ないけど、誰よりあなたを大切にしてる。
だって本当に愛するっていう意味を、命の意味を、きっとこの世の誰よりも知ってる人だから。

そう伝えたい、未来に。もしも私たちが宝物を授かったなら。
そしてもしも授からなかったとしても、私は心で繰り返すわ。

こんなに紅葉がきれいな秋の日に、結婚してくれてありがとう。
本当にたくさんの人たちと一緒に過ごさせてくれてありがとう。
照れ屋で口数も少ないのに、いつでも答えてくれてありがとう。
愛の意味を、命の意味を、私に教えてくれて本当にありがとう。

ありがとう、ヨンア。あなたがいてくれることが本当に嬉しい。
こうして寄りかかる胸、その奥で刻む鼓動。
あなたに回したこの腕が感じる体温。
この髪にかかるあなたの確かな呼吸。

あなたの全てに伝えたい。
生きていてくれてありがとう。ここにいてくれてありがとう。
いつでも感謝し続ける。そのバイタルサインに。あなたという存在に。

「ヨンア」
「はい」

見上げたところから降って来る黒い瞳。
私が言う前に分かってる、微笑んだままの何より優しいその視線。

「ありがとう、ヨンア」

ずっとずっと伝え続けるわ。今日から最後の日まで、ずっと。

「愛してる」

ほらね、やっぱり分かってる。

あなたは何も言わないままで、私をその腕の中に、痛いくらいにきつく抱き締め直してくれたから。

 

 

【 寿ぎ | 翌暁 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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