夏暁【廿壱】 | 2015 summer request Finale

 

 

「保母尚宮様、薬湯です」

煎じた柴胡桂枝乾姜湯を注いだ器を差し出しながら、保母尚宮様へそう告げる。
尚宮様は頷いてその器を受け取りながら、ゆっくりと一口含んだ。

「御体の具合はいかがですか」
「飲み始めてだいぶ落ち着いた」
「夜はお眠りになれますか」
「ああ」
「息切れや動悸は」
「かなり収まってきた」

そう言って、尚宮様は窓の外の春の庭を眺める。
冬中凍えていた木々の枝から、雪解け水が滴っている。
ようやく彩を取り戻し始めた庭先に立つ晋城大君媽媽。横にはソンジンが影のように従っている。

その時ソンジンの影がふと動き、大君媽媽の半歩前へと出る。
「どなたか居られるか。右参賛様がお越しです」
門先から響く先触れの声に、保母尚宮様が腰を上げる。

「晋城大君媽媽、お久しゅうございます」
「久しいと言うたとて右参賛、まだ一月も開いてはおらぬ」

先触れに続き姿を現したパク・ウォンジョンが、庭先に立つ晋城大君媽媽に嬉し気に早足で駆け寄り、深く頭を下げた。

「近くその御顔を、毎日拝謁出来ればと願っております」
聞きようによっては、此方の肝が冷えるようなその言葉。
あの雪の中ソンジンと共にここへ来る時、変な事を言うから。

奴は、現王を討とうとしている。

晋城大君媽媽は、宮廷外にお住まいになっている。
宮に住まう男成人王族は王様のみ。女官は全て王様にお仕えし文官は全員王様の声を実行し、武官は全員王様を守る為にいる。
文官高位の右参賛が毎日晋城大君媽媽の御顔を拝謁するには、晋城大君媽媽が王様になられる以外に方法など無いのだから。

そして私達が此処へ動くと同時に、始終顔を見せる様になった右参賛パクウォンジョン。
表向きは自分が宮中へと紹介した医女が、大妃媽媽の命にて晋城大君媽媽の保母尚宮様を治療するようになったから。
不手際があれば自分の不始末だからと、そう名目を立てている。

保母尚宮様の薬湯の材料を届けに来た内医院の同僚医女は、それを疑いもせず、困ったように言ったものだ。
「ソヨンは私達の中でも優秀だし、元々監営でも治療をしていたし、不始末なんてないと思うけど。ご心配のようよ」

そう言って雪の中を帰っていく同僚の背を見送りながら、私は心の中で首を傾げたものだ。
ソンジンのあの一言が無ければ、どれも普通の会話に聞こえる。
宮中の医女修練を勧めた責任感から。現王に冷遇され続ける晋城大君媽媽を、そして宮中の大妃媽媽を思う忠誠心から。
けれど、ソンジンの一言があると、全ての景色が変わって見える。

奴は、現王を討とうとしている。

その野心があるから、次王とするのに相応しい晋城大君媽媽の邸にまで始終顔を出し様子を見ている。
不自然でなく訪問するには、口実になる私の存在が必要だった。
私だけでは頼りないから根回しをし手を尽くし、ソンジンまでこの計画に引っ張り込んだ。

ソンジンが剣の腕が良いと牧使の息子の襲撃騒ぎで知ったから。
そしてソンジンが奉恩寺に行きたい事を、偶然にも知ったから。
ソンジンが剣の腕だけでなく、頭も切れる男なのを知ったから。

確かにソンジンの言う通りになって来ている気がする。
その声はまるで占師のように、先を見通すようで怖い。
心の中に隠している想いを、もう見破られていそうで。

「ねえ、ソンジン」
晋城大君媽媽が御部屋の中で読書の間、庭先で衛の為に佇んだソンジンの横から、そう声を掛けてみる。
黒い眸で見つめ返すソンジンに、小さな声で訊いてみる。

「あんた、まさか・・・人の心が読めるとか、占師とか・・・そんな事、ないわよね」
問いに目を丸くした後、ソンジンは堪らないと言った風情で小さく噴き出した。
「真剣に訊いていまいな」
「・・・真剣よ、失礼ね!」

私の返答に呆れたように視線を空へ投げ上げて首を振り、此方へ向き直った時にはソンジンはもう笑ってはいなかった。
「ソヨン」
「何よ」
「戦は武術だけでは生き残れん」
「そうなの」
「愚かでは死ぬ。その為に武経七書がある」
「何それ」
「・・・・・・お前な」

ソンジンは息を吐いて私をじっと見る。
「俺は医書も読む。お前も武経七書を読んでみろ」
「あんたでも、知らない事があるのね」
私はしてやったりとばかり、ソンジンの鼻先に指を突き付けた。
「良い?朝鮮で男女の区別と官位の区別は絶対なの。私は医妓女。武芸書を読むなんて御法度なの。読んじゃいけないの」
「何も発禁の書物を読めとは言っておらん。誰でも手に出来る書物を読めと言っているだけだ」
「あんた本当に、物分かりの悪い男ね」

私の憎まれ口にソンジンは眉を顰めて笑う。
「成程な。しかし暇な医女が暇に飽かして俺の部屋を掃除に入って書物を繰るなら、暫く部屋には帰らぬ。知りようもない」

そう。つまり部屋に忍び込んでばれないようにこっそり読め、そう言っている訳ね。
「掃除は嫌いなの」
「馬鹿か。最初からそう言って忍び込む奴が何処に居る」
「期待を持たせたら悪いと思って」
「俺の部屋は、お前のところより余程整えてある」
「ああ、そう」

私はそう言うと、ソンジンにくるりと背を向けた。
「それなら、掃除しに行ってあげるわ。暇だから」

弾むように歩き出した私の後で、ソンジンが笑う低い声がする。
木の枝先から滴る雪解け水の音に掻き消されそうな小ささで。

 

 

 

 

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