夏暁【壱】 | 2015 summer request Finale

 

 

【 夏暁 】

 

 

夏暁の夢の中、空は限り無く澄み涯無く続いている。

地に在って腕を伸ばせば、翔けて行けそうなほどに。

緋色の空気は胸に涼しく、草葉は朝露を結んでいる。

お前を強く抱き締める。早起きの蝉が啼き出す前に。

 

*****

 

庭に面した邸奥。客間の椅子に腰を掛け、扉向こうの庭を見る。
使用人が打つ水は撒いた端から白く乾いた土に吸い込まれ、涼しい風を生む助けにはなりそうもない。
まるで自分のようだと、自嘲の笑みが浮かぶ。
ひと時の潤いを与えるだけだ。
誰かを医療で癒したいのに、望まれるのは酒宴の酌や愛想笑い。
そんな事の為に、長い時間を医学の修練に費やしたわけではない。

毎晩濃い化粧を施して、妓女よりも妓女らしく振舞い、カチェの重さにも慣れ、チマの裾捌きは上手になった。

医女よりも苦労なく、数倍も楽に生きていける。金で買えるものならば、何であろうと手に入る。
邸を建て、飾り立て、馬を揃えて衛を固め、筝を爪弾き朝寝をし、詩を詠んで謡を謳い。
暇な時だけ訪れた患者の相手をして、高価な薬を売りつける。
これではただ少しばかり医学を齧っただけの妓女だ。

同僚の医女たちは陰に言う。あの女は医女などではない。
生まれ落ちた時から男を誑かす妓女だ。妓生だと。
医術の腕すらこの足元にも及ばない癖によく言うものだ。

離れた椅子に腰掛けるソンジンは、私の腹立たしさも意に介さず、茫とした横顔のまま庭へと眸を遣っている。
横に私がいる事すら、忘れているに違いない。

もう一度、手を握られたいと思う。肌の温かさが恋しい訳ではなく。
そうではなくて最初に触れた時の、あの不思議な気持ちが何なのか、
湧き上がった息が止まるような、心の臓が握り潰されるような、あの痛むほどの衝動は一体何なのかもう一度確かめたくて。
けれどソンジンは触れない。触れないどころか近寄ろうともしない。
あれほど苦しく感じたのは、私だけだったのだろうか。

「都に行こうと思う」
口火を切った私に、ようやく彷徨う眸が戻る。
やっと思い出したらしい。ここが何処か、私が誰か。
だからこそ、そんなに落胆した顔をしているに違いない。
「そうか」
「理由を聞かないの」
「関係ない」
「・・・私が行ったら、あんたは一人よ」

下らない駆け引き言葉に唇の端で笑み、パジの脚を片方立てると長い両腕で抱え込んで、ソンジンは膝に顎先を乗せた。
男の横顔の輪郭が、庭からの白い夏の陽に浮かぶ。
「俺は離れん」
「何故」
「何故でも」
「私には関係ないってわけ」
「ああ」
「右も左も分からないところで、一人でどうやって生きてくの」
「何とでもなる」

そう言って傍に置いた剣をかちゃりと小さく揺らして見せる。
憎たらしい程に冷静な顔で頷いて、視線を彷徨わせるように庭へと投げる男の横顔を睨みながら首を振る。
いつもそうだ、このソンジンという男は。
私ではない誰かを探している。私ではない誰かを待っている。
誰を待っているのか問いたい。一体それ程誰を探して、誰を 待っているのかと。
聞けば言われるだろう。あの低いぶっきら棒な声で。関係ない。

そう考えると、怖くて聞けない。そう言うだろう私の隣の男は、黙ったまま静かに眸を閉じる。

「都に行こうと思う」
ソヨンの声に、立てた膝に顎を預けて息を吐く。
酒楼の女主人が言っていた。
年頃の娘を持つ親は、暴王から娘を匿う為、あらゆる手を尽くしていると。
そんな都に敢えて己から飛び込んでいくとは、物好きな女も居たものだ。
「気を付けろ」
「・・・何をよ」
明らかに機嫌を損ねたソヨンの声が返る。
「陸王は、暴君と聞いた」
「関係ないんでしょ」
「救われた恩はある」
「ソンジン、あんたねえ」

あんたと来たか。
きりきりと尖るばかりのソヨンの声を耳に、庭へと顔を向けたままその顔へ眸だけを流す。
「どうなっても関係ないなら、最後まで放っといて」

放っといて。この女の一言に、何故これ程力が抜けるのだろう。
俺が守りたいのはこの女ではない。待っているのも、探すのも。
手を握ったあの時にどれ程不思議な気持ちになったとしても、この女は俺の愛しい女ではない。
俺が探し求め、命と引き換えにでも逢いたいと願う女ではない。
名を胸に呟くだけで、何も考えず走り出したくなる女ではない。
「・・・分かった」

ウンス。どうすれば、何処に行けば、何処を探せばお前に逢える。
お前が言ったんだ、私の事だけ想って、くぐってくれる?
だからそうした。
お前の事だけ想い、胸が裂ける程に呼び、それで逢えると、必ずその光の先で逢えると信じていた。

だから此処を離れられない。傷が癒えれば、再び門を潜る。開いておらねば、開くまで待つ。
残して来た劉先生の事も気に掛かる。モンケからの呼び出しの後、無事に戻って来られただろうか。

無言で眸を閉じる。
ウンス、お前も劉先生も、逢いたい者は今はもう、夢の中にしかその姿を見せてくれない。

 

 

 

 

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