夏暁【参】 | 2015 summer request Finale

 

 

夏暁の夢の中、空は限り無く澄み、涯無く続いている。

夢だ。何故ならウンス、此処にお前がいる。
お前が振り返って笑う。その紅い唇が動く。

ヨンア。

俺の聞いた事のない名を、そう優しく囁く。
ウンス、お前は夢の中でもこれ程に残酷だ。
俺に向かって、俺ではない名を呼べる程に。

覚えたくもないその名が、この胸を深く穿つ。
ヨン。お前の追い駆けた男の名はヨンというか。
なのに俺は笑い返す。幸せに浮かぶ涙を堪えて頷く。そしてウンス、お前を呼ぶ。

イムジャ。

お前をそんな風に呼んだ事など、一度も無いのに。

お前は俺のもの、そして俺はお前のもの。
離さない、離れるなと願いながらこの腕を伸ばす。

どれ程に離れても、必ずまた逢いに行く。
お前を必ず探し出し、この腕の中に抱き締める。

限り無く澄んだ夢の中、お前も同じように腕を伸ばす。

笑っていた筈のその瞳が、哀し気に曇る。
振られた首、長い髪が柔らかく空を舞う。
紅い唇が再び、余りに残酷な言葉を囁く。

こんな処にいないで。あなたの私を探して。見つけて、抱き締めて。二度と離さないで。

離さないで。

「ウンス」

触れる事すら赦されず、淡い夢から醒める。
夏暁の格子戸の向こう、目を遣れば枠の隙間の水浅葱の空は日の出前の静けさに満ちている。

延べた床から跳ね起き、叩きつけるよう格子戸を開く。
静けさの支配する朝の庭に、その音だけが大きく響く。
贅を凝らした邸の回廊の隅まで目を走らせても、その庭を見渡しても。
木下闇の奥まで隈なく首を廻しても、お前の影など見つかる訳が無い。

頭を抱えて固く眸を閉じ、俺は首を振る。

お前を捜せない眸などいらない。けれど眸を潰せば、お前に逢った時その顔が見えなくなってしまう。
これほど焦がれているのに、一目逢えればそれだけで良いのに。
その邂逅と引き換えに、この眸どころか命をくれてやるのに。
走りたい、走って走って、お前に逢いに行きたい。
どうすれば良いんだ。
開けた戸の木枠に沿い、手が滑り落ちる。
重い音に初めて、敷居に自分の膝が崩れたと気付く。

「・・・ウンス!」

こうして頭を抱え身を折って叫ぶしかない俺は、どうすれば良いんだ。

 

ウンス。

聞いて以来、その名が頭にこびりついて離れない。

患者からの呼び出しも受けないまま、部屋の中で無為に刻を過ごす。
暇潰しの指先で捲る医書の中、一節にふと目が留まる。

其医の技あたかも天技の如し。額より
「・・・額より、光を放ち・・・」

指で辿りながら、その箇所をゆっくり読み直す。

額より光を放ち魯国大長公主の御首を繋ぐ。恭愍王の御慶び唯事に非ず。
典医寺名医 張彬に師事参、張彬亡き後その技崔瑩大将軍を始め、宮内近衛は疎か広く高麗国隅々へと及ぶ。
少壮太祖の腸癰を施療の誉、桓祖より御聖恩褒美賜る。
疔瘡瘰癧 その技の届かぬ処無し、鋭刃で腹を割き曲針で内腑を縫う。
創痍打撲言うに及ばず、広板巾布を用い 折骨を繋ぐ。
済危宝 東西大悲院 恵民局にて医篤を施さんと医官を扶育し国を癒す。

是医仙 柳 恩綏上医たる所以成り。

最後の名に、指先も息も止まる。
柳 恩綏、ユ・ウンス。

─── 俺の知る医官は、女人という事を決して安売りしない。

ソンジンは言った。医官だと。

─── それでも外も中も医術の腕も、目が醒める程美しい。

目が醒める程美し、い医術の腕。まさかこの、此処に書かれているのが。

そんな事が、あるはずがない。此処に書かれているのは、今より十代以上前。
太祖がお若かった時に治療をしているなら、気が遠くなるほどに昔の話。
今此処に、この邸にいるソンジンが、どうして太祖よりも昔の代の医仙と呼ばれる女に逢えるというの。
どうしてあれ程恋うて慕って探すというの。

馬鹿げている。有り得ない事だ。
典医寺名医 張彬、チャン・ビンと言えば朝鮮以前、この国の前、高麗だった頃の高名な御典医だ。
そして崔瑩大将軍、チェ・ヨン大将軍と言えば、武愍東州崔公。
太祖以前に既に世を去られて久しい大将軍のはずだ。
そのチャン・ビン先生に師事して、チェ・ヨン大将軍に医を施した最高位の医官を、何故ソンジンが。

偶然に決まっている。偶然同じ名だっただけだ。
ただあの口から名を聞いたから、偶然同じ名が目に留まっただけだ。
余りにも下らない。そんな事が本当に起こるならソンジンは仙人だ。
幾世も死なず、霞を食べて生きているとでも言うのか。
そのウンスという女が恋しい余りに、世を超えて探しているとでも。
確かにあの男は浮世離れしている、それでも生きて此処にいる。
仙人などである訳が無い。世を超えている訳など無い。有り得ない。

「ソヨン様」
堂々巡りの考えを断ち切るように、部屋の扉の外から掛かる、慇懃無礼な呼び出しの声。
昼過ぎのこの声は、大嫌い。

「観察使様のお呼びです。先だって牧使のご子息の一件でお目通りが延びていたのを、気に掛けて下さって」
下働きの女は、言い訳をするように目を伏せたまま言い募る。
その声に鼻で笑って、私は鸚鵡返しに呟いた。
「気に掛けて、ねえ」

冗談じゃない。
そんな気遣いなんて掛けられるほどに鬱陶しいと、観察使程の高位になれば知らないわけでもなかろうに。
医女の私に対して、診察という名目すら立てる事もないのだろうか。
もうそれ程に、軽んじられる存在なのだろうか。

どの男も同じだ。どれ程に甘い衣で包もうと、一皮剥けばその中は汚らわしい慾しか入っていないのだから。
私もそれを責める事は出来ない。私だって纏った衣を剥いて、その慾に乗じて甘い汁を啜っているのだから。

それでもここで暇に厭かせてウンスという女の事を空想するより、外の空気を吸った方がましな気分になれる。

「湯は」
珍しくごねる事も無く立ち上がった私に、下働きの女が目を丸くし、
「整っておりますよ」
手間が省けたとばかりに、上機嫌で破顔した。

 

 

 

 

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