夏暁【廿弐】 | 2015 summer request Finale

 

 

「ソヨン」
「は、はい、晋城大君媽媽」
痞えながら頭を下げて返すソヨンの声に、晋城大君は困ったように笑み、脇の俺へとその目を移す。
晋城大君の目を受けて、俺もソヨンへと呼び掛ける。
「ソヨン」
「・・・はい、従事官様」

少なくとも晋城大君の前だ。
普段の軽口は叩けぬとばかり、此方に向かっても神妙に返すソヨンの声音に、呆気に取られる。
今更俺に向かって気取った処で何になる。本当に肝心な処で 間の抜けた女人だ。

今迄とて物陰で俺にぞんざいな口の利き方をしている事は、既に邸の中、彼方此方で噂になっている。
門の衛兵も保母尚宮も下働きも、俺の出自を知らぬ者たちは皆パク・ウォンジョンが遠縁であると嘯いた俺を両班か、少なくとも中庶出身だと思い込んでいる。

ソヨンの出身を聞いた事はない。今の身分、医妓女は賤民だ。
例え両班の娘としても実家が没落し妓女となる場合、そして父が両班でも母親が妓女で庶子として生まれる場合もある。
何れも本人の身分は賤民となるという。

下らん。そんな風に身分を分けるから、戦に弱くなる。
兵の中に差別の思いが根付いた軍は、孫子の道にも法にも悖る。呉子で禁と説く不和を生む。
公平な賞罰、身分を問わぬ対応。為政者が民を重んじ、民が為政者を敬う。
そうした環境が整わぬ限りは兵を出すべきではないと、孫子も 呉子も強く説いている。

晋城大君が本当に次の王となるのなら、軍の力が必要になる。
両班だけで、晋城大君を担いだ神輿を上げる訳にはいかない。
必ず軍の手が必要だ。
両班の奴らはともかく晋城大君の肚の中に差別の心があれば、それは必ず軍に伝わる。
差別する王を守りたいと思う兵はない。
その命に従うように見えても必ずどこかが歪み、その歪みが不和を生む。
しかし大君として生を享け、そして宮廷を去った晋城大君が今身近で賤民で接する事があるのは、ソヨンくらいのものだ。

「大君媽媽」
咲き初めの桜は、春の陽射しに薄い花弁を透かしている。
紅色の桜の開く木下。花を見上げる晋城大君の横から静かに声を掛けてみる。
「何だ、ソンジン」
「此方に来てから、そろそろ六月です」
「そうだな」

晋城大君は頭上の桜花を見上げたままで呟いた。
「あの頃は雪が降っていた。早いものだ」
「は」
「そなたらが来てくれて、邸も賑やかになった」
「・・・騒々しい者が、おりますので」

誰を指しているかすぐ分かったのだろう。晋城大君は頷きながら
「いつも元気な医女だ」
そう言って微笑んだ。
「その上、右参賛もよく顔を出すようになった」

思うところがあるのだろう。
複雑そうに付け足す晋城大君に頷き返しながら伝える。
「大君媽媽」
繰り返す声に、晋城大君は愉快そうに同じ声を返す。
「先程からどうした、ソンジン」
「お知り下さい」
「・・・何をだ」
「民を、お知り下さい」

俺の声に、桜を見上げていた晋城大君の目が戻る。
「・・・民を」
此方へ向き直った晋城大君へと、俺は顎を下げる。
「は」

若い晋城大君が俺の読み通り次王へと担ぎ上げられるなら。
それには軍の力が必要であり、民を治める聖君としての力が必要だ。
現王と同じ国の治め方をしては、遠からず同じ事が起きる。
一度権力の転覆を経験した民は次の転覆を懼れぬようになる。

民が、この国で大多数を占める支配される者たちがどう生き、何を考え、何を求めるのか。
宮殿の中にいたのでは分からぬその真の要求を、心の声を知り、現王とは違う治め方を覚えるべきだ。

そして己を支える兵を一人でも多く持つ事。
軍の中に、差別する者される者の違いを作ってはならない。
そうした差が不満となり、不満が歪みを生み、歪みが不和を生む。
身の内に不和を抱えた軍では、たとえ戦に正道があったとしても、まともに主君を守る事も敵と戦う事も出来ん。

「無論お判りかとは思いますが」
「ソンジン・・・」
「より深く、広くお知り下さい」
「私は」
晋城大君は其処で恐る恐る、俺を凝と眺めた。
「・・・私は、怖いのだ」
「大君媽媽」

あの冬の初見の日は呑んだ、晋城大君の言の葉が迸る。
「右参賛らが何を求めるのか、怖いのだ」
「大君媽媽」
「王様がご健在なのに、私を次の王のように扱う右参賛らが」

あの冬の日から、俺の返す声は変わらない。
己の選んだ方ではなくとも、此処に居る事は己が選んだ道だ。
「御守りします」
「ソンジン」
「大君媽媽の選ばれる道を」
「・・・ソンジン、知っておるか」
「は」
「そなたこそ」
「は?」
「医女も当然だが、そなたこそ」

少し安堵したように照れ臭そうに笑んだ若い大君は、ようやく赤みの戻った顔で頷いた。
「そなたこそ私が初めて声を聴き、この声に耳を傾けてくれた民だ。
自分で確かめろと教えてくれた。医女の事も、そなた自身の事も」
「大君媽媽」
「申したであろう。己で確かめて安心したと。己で確かめたから裏切られても悔いはない」
「・・・媽媽」
「守ってくれ」

何時までなのだろう。俺は、いつまで此処で守ると約束できる。
もしもこの後、奉恩寺に出入りできるようになれば。
そして祠堂が光れば、その門が開けば。

「媽媽」
「ソンジン」
僅かに痞えた俺の声に、気付いたかそれとも。
「信じている」
晋城大君媽媽はそう言って、真直ぐに頷いた。

「まずは医女ソヨンに、私と話す事にも少しは慣れてもらわねば。
何時でもあの様に緊張しておったのでは、さぞ疲れるであろう」

俺の声にすら神妙に受け答えするソヨンの様子を思い出す。
そうだろう。晋城大君媽媽であればともかく、俺の前でくらい普段通りに振舞っていれば良いものを。
「・・・伝えておきます」
受けて答えた俺の声に苦く笑いながら
「しかし余り叱るでないぞ。そなたは唯でさえ、愛想が足りぬ」

晋城大君媽媽は、澄ました顔でそう言った。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    さらんさん、お話の更新ありがとうございます。
    ソンジンと晋城大君媽媽の間に流れる雰囲気に、ヨンと恭愍王の最初の頃を思い出します。
    恭愍王にとっての「初めての民」は、確かヨンだったのですよね。
    偉くなればなるほど、孤独になるものだと言われています。
    媽媽も、富や名声への執着を持たないソンジンを信頼し、頼りにしたいと思ったのでしょうね。
    さらんさん、煮込み料理や熱々のスープが恋しい季節になりましたね❤
    温かくしていてくださいね。

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