牽牛子【終章】 | 2015 summer request・朝顔

 

 

追いついたその背の先、キム先生は庭の日当りのいい処に植えた朝顔の支柱の前に立っていた。
「ウンス殿」
今はもう閉じている朝顔を指さして、キム先生が目で問いかける。
「御存知ですね」
「牽牛花、種は牽牛子ね」
「効能は」
「下剤、利尿、浮腫み改善、駆虫」

これくらいなら、だいぶスラスラ言えるようになったのに。
「こちらは」
キム先生がそこから離れた囲いの中に、別に植えてある草を指して問いかける。
花の形は、アサガオによく似てる。だけど白い花は、午後の暑い陽射しの中でも開いてる。
先の世界では朝鮮朝顔って呼ばれる花。
「曼陀羅華。種は曼陀羅子」
「効能は」
「鎮痛、鎮痙、咳止め。チャン先生は麻佛散に入れてた」
「どちらも烈しい効果のある毒草なのは、御存知ですね」
「それくらいは知ってるわ」

キム先生は頷くと、そのまま黙ってもう一度治療室の中へとゆっくり入って行った。
そして治療室を抜けて、隣の薬室へ。

部屋の壁一面に取り付けられた薬棚の中を探すと小さな種を2種類、指先に摘まんで、机の上にぱらりと置いた。
1つは淡い茶色、もう1つは黒。形はよく似てる。
「どちらが牽牛子ですか」
「え」

薬草を集める事はあっても、まだそこまで詳しく知らない。
特に毒草はいつもトギが集めてくれてたから。
「そこまでは、まだ・・・」
「そうですね。毒草は薬員の限られた者しか見分ける事も、採取する事もありません。
特に曼陀羅華は肌や目からも汁を吸収するので、誰にでも触れられるものではない」

キム先生は、穏やかに私を見て言った。
「ウンス殿のされたことはそれと同じ事です。媽媽の御体に良いものなのは判っている。
けれど見分けもつかず、加減によっては毒になるものをお出ししてしまったのです」

何も言えずに、目の前のキム先生をじっと見る。
本当にそのとおりだもの。

「ウンス殿の手術の腕は高麗一、いえ、元にもそれ程優れた腕を持つ者はおらぬ。
まさしく天下無双と、皆が判っています。
けれど四診や食べ合わせまでにはまだ至っておられない。
何かをおっしゃるならそこまで御存知でないと危険です。
良かれと思ってした事が、巡り巡ってウンス殿の首を絞める事もある」

その声に横のあなたも深く頷く。
「俺も甘く考えていた」
「いえ。私がウンス殿の献立を先に伺って、それに合う薬湯を調合していれば良かったのです」
「私!」

その声に向かい合ってたあなたとキム先生が口を結んで、振り返って私を見た。
「謝って来る。水刺房の尚宮さんたちに。お礼を言って来る。
食べ合わせを教えてくださいって、もう一回頼んで来る」
「俺も共に」
「嫌よ、子供のケンカじゃないんだから。待ってて」

そう言って薬室を走り出る。早く行かなきゃ。
行って謝らなきゃ。私が口を出しちゃった事。
でも本当に媽媽のために何かしたい事、分かってもらわなきゃ。
庭の蝉の大合唱の中を走る。あの尚宮さんに一番に謝らなきゃ。

「・・・慌ただしい方ですね、相変わらず」
走り出て行く小さな背を木陰に透かし、侍医が首を振り息を吐く。
「軽く考えた。女のやっかみ程度かと」
「チェ・ヨン殿」
「あの方に他意はない。本気で王様と王妃媽媽の事を」
「判っております」

残された典医寺の薬室。向かい合った侍医は何故か可笑し気に小さく笑った。
「笑い事では無い。お前の言う通り、何かあれば」
「いえ、チェ・ヨン殿」

侍医はその掌を上げ、俺を制して言った。
「有ろう筈がありません」
「・・・どう言う意味だ」
「食べ合わせで起きるのは、ご体調が悪ければ逆上や下痢程度。ご健勝であられれば何事も無く終わります。
食べ合わせ云々ではなく元よりご体調が悪ければ起きる事です。他はまあ、薬膳の効能が薄まるくらいかと」
「では、御体に異常は」
「御病気になる事はまずありません。長い間続ければ可能性は無きにしも非ずですが。
それ程長い間放置するとすれば、それは水刺房の問題です」
「ならば、何故わざわざ牽牛子の話まで持ち出した」

目の前の宅に置かれた種を眸で指し侍医へと問う。
「覚えて頂いた方が良いと思い」
「何を」
「皇宮で口を開くには覚悟が要る事をです。
ですから先程、チェ・ヨン殿にも伺ったでしょう。辞されますかと」
「ああ」
「あなたはまだだとおっしゃった。ならばこの際ウンス殿も覚えておいて頂いた方が良いかと」

侍医は胸前で、ゆっくりと腕を組んだ。
「おっしゃる通りやっかみですよ。
医仙として栄華を極めている事、そしてチェ・ヨン殿を射止めたという事」
「それは」

それはあの方のせいではない。
けれどそれが理由なら、俺が前へ出る程、あの方はより面倒な立場になる。
「叱る前に教えろ」
「本当に甘くていらっしゃる。あなたが叱らず優しくされれば、結局事の重大さが伝わらぬでしょう」
「侍医」
「ええ、性格が悪いのは生来なので」

この男の軽口の前では何を言っても無駄だ。呆れ果てて肩を竦めると
「チェ・ヨン殿。水刺房の尚宮と聞いて、思い出さぬのですか」
何故かキム侍医は俺より呆れた様子で問う。
「全く」
「チャン侍医の御不幸の後、ウンス殿の御留守中に私が皇宮に上がって、すぐ知りましたが」
「何を」
「チェ・ヨン殿が皇宮にいる時、迂達赤に水刺房から幾度も差し入れが届いていたでしょう」
「知らん」

これっぽっちも覚えていない。
あの頃何処にいたか何をしていたか、何を喰ったかいつ寝たか。
幾度も戦に出た。
彼方此方の空の下で眠り、季節をやり過ごし、刻のある限りあの丘であの方を待った。
俺の返答に呆れた口を開け、侍医は此方を眇め見た。

「他人事に興味の無い私ですら、随分熱心な尚宮だと、顔を覚えたほどですよ。
久々に今日見て思い出した程ですから」
「何を言ってる」
「・・・本当に、覚えていらっしゃらぬとは」
「苛つく。はっきり言え」
俺の癇癪に侍医が噴き出す。
「最初から勝ち目のない喧嘩だったという事ですね」
「何がだ」
「いえ、お判りにならぬなら結構」

侍医が卓上の種を指で集め、丁寧に分けて薬棚へ仕舞い込む。
「此度の事はウンス殿には薬かと。これからはお一人だけで走らず、私にも水刺房の尚宮殿にも、チェ尚宮殿にも、そして」
奴は種を仕舞いこんだ薬棚の前で、此方を振り返る。
「どなたより先に、まずチェ・ヨン殿に相談されるようになる。
賢い方ですし、何よりあなたと媽媽を心配されていますから」
「・・・侍医」
「はい」

穏やかに頷き卓前へ戻っていく侍医。その姿に声を続ける。
「お前は知識もある。おまけに意外だが、人に物を教えるのに向いているかも知れん」
「意外、は余計でしょう」
苦く笑って、侍医が首を振る。
「私には無理です。何しろ自分の目的が最も大切ですので」
「もう果たしたろう」

それには答えず、こいつは唇の端だけを上げ皮肉気に笑う。
「さあ、どうでしょう。何しろまだ生きております」
「息をしておるだけだ」
「それでも死んでおりません」
「ではその目的を達するまで、何か教えてみればどうだ。
その気有らば俺から王様へ進言する」

目を細め、眩しい庭で支柱に蔓を伸ばす牽牛花を眺めた侍医が首を捻る。
「毒の事くらいしか教えられません」
謙遜か、本心か。
「毒は匙加減次第で薬なのだろう」
「では、牽牛子と曼荼羅子の見分け方でも教えますか」
「それも良い」

何しろあの方をあれ程素直に改心させる男だ。
本当に、意外と向いているかもしれん。
これで医員が増えれば、ましてや他国に渡らず国内で最高の医学が学べれば願ったり叶ったり。
一人で先走るあの方の負担も、少しは減っていくかもしれん。

その為に牽牛子の見分けでも何でも教えてくれれば良い。
奴の目線の先、窓越しに今は閉じている青い牽牛花を眺め、あの方の駆け戻る姿をその向こうに待ち。

庭に射す真夏の陽射しに、俺は目を細めた。

 

 

【 牽牛子 | 2015 summer request・朝顔 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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