夏暁【肆】| 2015 summer request Finale

 

 

風呂上がり、鏡に向かい片膝を立て、濃く紅を引く。
まるで暑い夏の庭先に咲き誇る仏桑華のような色で。
鮮やかな緋のチマに、浮き出るような花の意匠のチョゴリを纏う。

カチェを着けられ、刺繍細工のテンギを結われ、腰に編んだ絹に珠翡翠を結んだノリゲを飾られれば、医療道具を抱えた妓生になる。
薬房妓生。そんな高尚なものではない。治療に呼ばれない今の私は、同僚の女達が呼ぶ通り、只の妓生だ。
男を誑かす事でしか、生きていくすべがない。初めて知ってみたいと思った男は、他の女を追い駆けている。

馬鹿げてる。全く馬鹿げている。

「ソンジン」
庭先で声を掛けてみる。観察使の宴席へ出立するには、まだ早い。
ソンジンが共に来てくれればどれ程厭な宴席でも、どうにか堪えて乗り切れる気がする。
来てくれないだろうか。適当な処で連れ出してくれればそれで良い。
そうでなければ、一晩中深酒に付き合う事になる。
「ソンジン、居ないの」

無言のままのソンジンが、部屋の扉をすらりと開く。
影のように部屋の内の闇に溶け込んだ、その輪郭が庭の光に浮かぶ。

ソンジンは何も言わない。そうだろう、惚れる女は着飾らない女。
目の前に佇む濃い紅を引いた私とは、正反対の女なのだろうから。

今更のように思い出す。私が化粧を落として初めてこの男の休む部屋へ訪れた時。
猫のように迷い込んで来た満身創痍のこの男は、初めて目許を緩ませて、私に向かって小さく低く言った。
別人だ。

あの時、私を見てくれたと思った。
男に求められるまま飾り立てる、息を忘れる程厚く施した化粧でなく。愚かしい程に重い赤古里ではなく。
その下で認められない苛立ちと悔しさと情けなさを抱えている私を、この男は見てくれたのだと思った。

そんなんじゃなかった。
この男は素顔の私にウンスという名の、着飾りもせぬままで目が醒める程に美しいという女の面影を追っただけなのだろう。
今になれば、こうして分かる。

馬鹿げてる。全く、馬鹿げている。

庭の光の中の、場違いに飾り立てた私。
部屋の闇の中、無言で其処に立った男。
言葉を掛けたら負けな気がして、私は真赤な唇を噛み締める。
きっと白い歯に、その紅がべたりと色移りしたことだろう。

もう良い、それで構わない。この男の前で体裁を取り繕う事もない。
他の女を一途に追い駆ける男の眸に、私が映る訳もない。

映ったところでそれは景色だ。意味も無く通り過ぎる群衆の一人。
美しい空や、季節で色を変える葉や、吹く風に揺れる花や、打ち寄せる波の作る飛沫にすら負ける。
そんな自然の美しさの方が、この男の好みだろう。
何しろこの男が焦がれているのは紅すら引かずにいても、外も中も医術の腕も目が醒める程に美しい女なのだから。

こうして回廊を挟んで部屋の中と外、睨みあう事すら疲れる。
「酒宴に呼ばれた。付いて来て」
「一度きりの約束だ」

前回の事を言っているのだろう。牧使の息子に襲われた時。
「あんな大騒ぎになったら、他の男じゃ守れない。
これでも私は大金を生むの。貌に疵が付いたら困る」
「医女なら治せ」
「あんたの女とは違う。私は生憎、目が醒める程の医術の腕の
持ち合わせはないから。此処に居るなら、居る限りは付いて来て」

なんて嫌な物言いだろう。私が男なら、絶対に惹かれない。
それでも同情で共に居られるくらいなら、この貌の向こうに他の女を探されるくらいなら、いっそ嫌われた方が良い。
嫌い抜いて、猫のように、不意に出て行かれる方が良い。
この男の腕ならいつでも何処かの両班の家の、用心棒くらいは簡単に見つかる事だろう。
心配なんてしない。この男が私の事など関係ないと言うように。

「そうだな」
ソンジンは生意気な私の声に、憤りもせず穏やかに頷いた。
他の男なら殴られているところだ。ソンジンはそうせず、静かに小さく顎を下げた。
「世話になった」

部屋の闇からするりと抜け出た男は、明るい庭先で沓を履く。
私は腰に結んだノリゲの、珠翡翠を固く握りしめる。
細かく震えたその指が、びっしょりと汗をかく。

ソンジンの顔は変わらない。最後まで変わらない穏やかな顔で、焦る事も躊躇う事も無く。
いつもの早さで、大きな歩幅で、私の横を通り抜けて行く。
垣を超え庭に入って来た猫が、そこを抜けて行くように。
偶さか前を塞いだ木の根を避けるような様子で、足音もたてず。

私は震えて濡れた指先で、腰のノリゲの絹糸を力一杯引き千切る。
そして私とすれ違い、背を向けて歩いていくソンジンに向け、そのノリゲを思い切り投げつけた。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    さらんさん、ウンスを想うソンジンも、そんなソンジンを恋い慕うソヨンも、切ない思いを抱えているのですね。
    どちらも手に入れることはできないのに、思いを断ち切ることもできず…。
    辛いなあ(*_*)…。
    さらんさん、恋愛とは実に愚かで、救い難いものですね。
    傷つくとわかっていても、修正もきかぬほどに夢中になり、止めようと思いながらも、足が先に向いてしまい…。
    だからこそ、愛おしく、切ないのでしょうかねえ。
    それにしても、さらんさんのお話に登場する男子は、誰もがみんな男前!
    いつもドキドキです。

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