肝だめし【後篇・終】 | 2015 summer request・肝だめし

 

 

「ぎゃぁぁぁ!!」
「・・・何だよっ!!」

兵舎を出て、東屋までの真っ暗な道。
脇の木立辺りから急に飛んできた水に、俺は思わず座り込む。
座り込んだ拍子に、握った蝋燭の焔が立ち消える。

「どうしたんだよトルベ!!」
「判らん、水が!」
水だろう、恐らくは。
なのに真暗な中でいきなりかかると、その生温さと勢いで何がなんだかわけがわからん。

「ぶちのめせと隊長に言われたろう!」
「何処にいるかいないかもわからんものを、どうぶちのめす!」
「ああ、もういい、早く行こう!」
「蝋燭はどうするんだ!」
「灯がついているかどうかは関係ないだろ、早く行って交換しよう」
途に座り込んだ俺の腕を無理矢理引っ張り上げ、俺の組んだ相棒が一目散に駈け出した。

「・・・ぶちのめせですって」
脇の木立の中でひそめた女人の声がした。その手には竹筒で作った水鉄砲が握られている。

「どういう事かしら」
「隊長が言ったって、そう聞こえたけど」
「本気じゃないわよね」
「ちょっと行って来る」
「ここは私が」
「よろしくね」

木立の中から影が一つ、途を先回りするように東屋へ向かう近道を駆けて行く。

 

「うわぁぁぁ!!」
「何だよトクマニ!!」
東屋を超えた、典医寺への途。
東屋までは良かった。
前の奴らがぎゃあぎゃあ悲鳴を上げたおかげで、あのあたりに何かあるな、そう思うことが出来た。

けれど東屋の影を見、灯る石燈籠の灯に慣れた目には、その後の暗がりはいつにも増して黒く見える。

その瞬間ヌルリと顔に当たる濡れた感触に、俺は悲鳴を上げた。
「何なんだ、なんか濡れたものが!!」
「だからぶちのめせと、隊長がおっしゃったろう!!」
「どうやってだよ!この真っ暗闇で!!」
「典医寺はすぐそこだ、もう良いから早く行くぞ!!」

相棒はそう言って、ぬるついた顔を擦る俺の腕を掴み走り出した。

 

「竿を使って正解ね」
植込みの中からそう言って、女人たちがくすりと笑う。
その手に抱えているのは長い竹竿。先には糸が垂れ、その尻には濡れた海綿が結ばれている。

「さすが医仙様、よく判ってるわ」
「だけど本当なのね、隊長がぶちのめせと言ったのは」
「隊長ならともかく」
「あいつらが、そう簡単に私たちをぶちのめせるかしら。濡れた海綿に撫でられただけで叫ぶような臆病者達が」

その声に植え込みの中、密やかな笑い声が上がる。
「念のために、伝えてくるわ」
女人が一人、その竿を別の女人に手渡しながら告げた。
「よろしくね」

植込みの中から影が一つ、典医寺への近道を駆けて行く。
すでに何組も通った迂達赤たちと鉢合わせをせぬよう、脇道を選んで。

 

「・・・っ!!」
「どうしたテマナ!!」

典医寺の裏。
水場へと続く坂道の入口でぴたりと歩を止めると、俺は一目散に脇の木へと駆け登った。
どこからだ。どこから匂って来てるんだ。
枝の上から、素早く辺りに目を走らせる。
見当もつかない。真っ暗で見えない。匂いだけだ、わかるのは。
ちくしょう。山の中に居た頃なら簡単に見つけられたはずなのに。
「降りて来い!何で急に!!」
「に、に匂う」

その声にチンドンが足を止め、木の枝の上の俺を見上げる。
「な、何が匂うんだよ!!」
「血」
「ち、血ぃぃ?!」
その瞬間典医寺の方から出て来た白衣に、木の上の俺の目が止まる。
「誰だ!」

その怒鳴り声にも変わらない歩調で、一つの影がこっちへ近寄る。
「誰だ!」
「そちらこそ、どなたですか」

そう言う声は聞き覚えがある。あのチャン侍医、のはずだ。
だけど、暗闇から濃く漂う、この匂い。

そして雲が切れその隙間から月が覗いた瞬間。
俺は木の上で振り返らずに枝を伝い、一目散に水場の方へと向かう。
「あ、待て!待てって、テマナ!!」
チンドンが下からそう言って、慌てて枝を伝う俺に並んで走りだす。

あのチャン侍医の、白い上衣にべったりついたその血。
何なんだよ、何なんだ。何だってあんな血をくっつけて。
第一チャン侍医じゃ、ぶちのめそうにもできないだろ。どうすればいいんだよ!!

 

一体何なのだ。
迂達赤兵舎へ移られた医仙が、昼に典医寺へと急にいらして
「今夜は騒がしいかも。ごめんね、チャン先生」
確かにそうおっしゃってはいらしたが。

瘀血に効く生薬に使う水蛭を捌いている間に白衣の彼方此方に飛び散った真赤な血を見下ろし、私は首を捻る。
誤解されたのだろうか。この蛭の血で。しかし一体何を誤解するのだ。医官が血で汚れた白衣を着るからと。

相変らずあの方がいらっしゃる処は悉く、意味も分からず騒がしい。しかし先ずは、残りの水蛭を捌かねば。
そう思いながら首を振り、私は典医寺への途を戻る。

 

「参ります」

未だに誰一人戻らぬ迂達赤の門。
俺が先に立つと、この方は小さな手に握った蝋燭に篝火の火を移した。
「いいわ。準備OK」
その声に頷き俺は門を超え、闇の中へと歩き出した。

兵なら当然夜目は利く。雲が多いとはいえ月もある。
昼と変わらぬ速さで歩み、気付けばすぐに小さな体と離れてしまう。

その場から数歩戻り、この方の横で息を吐く。
「離れないで下さい。お伝えしたはずだ」
三歩離れては護れぬと、言っているのだから離れるな。
僅かに尖ったその声に、この方が不満げに目を当てる。
「隊長みたいには歩けないわよ!真っ暗で何も見えないもの」
「ならば昼にやれば良いのです」
「昼歩くのはただの散歩じゃない!夜やるから肝だめしなのよ?」

ああ言えばこう言う。一体何なのだ。
ただ隊長との言葉がついただけで、結局何も変わらない。
この想いなど結局この方に届いておるのか、おらぬのか。
「第一武器は駄目って言って、なんで隊長は剣を持ってるの?」

あなたがいるからだと怒鳴りたいのを必死で抑える。
お忘れか、何故にあなたが迂達赤兵舎へいらしたか。
奇轍が、徳興君が、あの火女が笛男が。どんな刺客が何処からあなたを狙って来るか判らぬからだろう。
こんな下らぬ肝試しの為などではないはずだ。

すぐに離れる小さい体を抱き竦め、開けば文句ばかりの減らず口をこの唇で塞げればいっそどれ程楽か。

この方の握る蝋燭から溶けた熱い蝋が、細い蝋身をつうと伝う。
その蝋燭に息を掛けて吹き消すと辺りは完全な闇に閉ざされる。

深闇の中ようやく白い手をきつく握り、再び歩き出す。この方は闇の中、珍しく黙ったままそれに従った。

 

足を止め、気配を探り、無言で鬼剣を抜く。
抜きながら足許へと腕を伸ばし途の砂利を一掴み握り込むと、木立に向けて握った小石を勢い良く投げ込んだ。
「きゃっ!」
ばらばらと闇夜に散る砂利音と、女人達の叫び声。

「出て来い」
叫び声の響いた木立に向かい、そう声を掛ける。
姿を現した女人たちを見、呆れ気分で首を振る。
「・・・チェ尚宮は、知っているのか」
闇の中に薄らと浮かぶ武閣氏の隊服に向かい、俺は問うた。
「いえ、非番の者のみですので」
「この方の願いか」
「・・・・・・」

武閣氏たちも面と向かってどう答えて良いか判らぬのだろう。
黙ったままで顔を見合わせ、この方へとその眼で問う。
この方は意を決したように顔を上げ、俺に喰って掛かる。
「そうよ、私がお願いしたの。だって肝だめしなら、脅かし役が絶対必要だもの!!
武閣氏のオンニたちを怒らなくてもいいでしょ。怒るなら私に」
「怒っているわけでは」
「怒ってるじゃない、十分!」
「確かめたのみです」

俺は首を振ると、其処に並ぶ武閣氏らに改めて言った。
「この方の下らぬ頼みを真に受けるな」
「・・・はい」
「もう戻れ」
「はい」
「・・・いや、待て」

俺の声に踵を返した武閣氏の背に、思い立って声を掛ける。
「この先にも、まだ居るか」
「はい、数箇所に」
「そうか」

顎で頷いた俺に最後に頭を下げ、武閣氏たちは早足で去っていく。
俺は鬼剣を鞘へと納めもう一度横の小さな手を握り締めると、そのまま順路を先へと急ぐ。

 

石燈籠の光る東屋へと差し掛かったところで正面から来る禁軍の歩哨と出喰わし、小さな手を離すとこの方を背に庇う。
「お、チェ・ヨンか」
歩哨の中から聞こえる耳慣れた声に、思わず舌打ちが出る。
「・・・何だ」
「お前こそ何なのだ」
選りによって鷹揚隊、奇遇にもアン・ジェが今宵の歩哨とは。

「先刻からどうした。やたら迂達赤とすれ違うが」
「ちょっとな」
「ちょっと、何だ」
「・・・今宵はどうだ」
「お前たちが騒がしい以外は、全く問題ない」

そう言って俺の背を覗き込むと、アン・ジェの眼が愉快そうな光を帯びる。
「その女人は」
「首を突込むな」
「はあ、成程な。道理で迂達赤が騒がしいはずだ」

訳知り顔に頷くこの男に、今宵ばかりは反論できん。
「奴らが煩いと」
「ああ、彼方此方で、ぎゃあだのわぁだの大声で叫んでいた」
「・・・すまん」
「いや、この暑さだからな。退屈凌ぎはあるに越したことはない」
「ではな」
「ああ」

すれ違いざま足を止めると、アン・ジェは我が意を得たりとばかり笑って振り向いた。
「チェ・ヨン」
「・・・何だ」
「もしやその方か、噂の」
「・・・噂の、何だ」
「天からの医仙という方は」
「新兵だ」
「はあ?」
「これは、迂達赤の新兵だ」
俺の声に、背に隠れるよう、この方が頭を低くし面を伏せる。

「お前も時には冗談を言うんだな」
「新兵だと」
「ああ、判ったよ。そうだな、迂達赤も最近はいろいろな奴を迎えるらしいからな、誰かさんのお蔭で。
縁故や家柄だけではもう入隊できないんだろう?」
「とっとと行け、アン・ジェ」

低くなった俺の声に肩を竦めると歩き去るアン・ジェから闇の中、いつまでも笑い声が響いて来た。

「お判りですか」
順路を進みながら息を吐くと、この方は萎れたように俯いた。
「私が騒いだせいでしょ」
「人目につくのです。これでは兵舎に隠れて頂く意味がない」
「だからごめんってば!」
「そう思うなら」

思うなら、あいつらとなどは話さずに、ただ大人しく部屋で俺を待って居て下されば良い。
思うなら、彼方此方に出歩いたりせずに、ただ静かに部屋で俺を想って居て下されば良い。

共に居られる時間があとどれ程なのか判らない。
出来るなら何処にもやらず誰にも見せず、隠してしまいたい。
海辺で拾った、一番輝く貝殻のように。
河原で見つけた、一番丸い石のように。
髪に挿された、一番黄色い花のように。

全く何故だ。何故この方を。
この跳ね返りで、絶対にそんな処に静かに大人しくなどしてくれぬ方を。
その瞬間。

手を離し再び背にこの方を隠すと、次の瞬間鬼剣を振り抜き、目前で何かの下がった糸を竿ごと叩き斬る。
「・・・今度は何だ」
「申し訳ありません」

もう判っている。植え込みの陰から大人しく出て来た武閣氏に俺は呆れて首を振る。
「お前らも、余程暇と見える」
「・・・非番ですので・・・」
「迂達赤らは」
「水場の方へ参りましたが、誰も戻っては来ておりません」
「悪いがお前ら、先に行って見て来てくれ」
「畏まりました!」

薄闇の中に立ち尽くした武閣氏らがその命に寧ろ安堵した顔で大きく頷くと、典医寺の方へと駆けて行く。

確かにここまでの途、腰を抜かして座り込むような間抜けは居らん。
しかし念の為、道順通りに辿って確かめるしかない。俺は再び横の小さな手を引いて歩き出す。

 

ようやく見えた典医寺から水場へ上がる勾配の入口、独り佇む白い影。
「侍医」
「隊長」
「こんな処で」
「こちらの台詞です、隊長。一体今宵は何の騒ぎですか」

白衣にべたりと血糊を飛ばし、闇の中にその濃い匂いを漂わせ、侍医は呆れたように首を振る。
「肝だめしだそうだ」
「・・・ああ、そうでしたか」
俺の影から懐かしい顔と声に安堵したように、この方が顔を覗かせ侍医に向かって大きく笑んだ。

「チャン先生」
「医仙、一体何を企んだのですか」
「それよりその血、どうしたの?緊急手術か何か?昼はそんな事言ってなかったのに」
白衣を目にして初めて血痕に気づき心配に曇った瞳に向け、侍医が穏やかに笑み首を振った。

「いえ、水蛭を捌いておりました。水場より上げたばかりなのでまだ血が残っているのです。
ただ、新鮮でないと薬効が落ちるので」
「そうなの」
「医仙のお力をお借りする時は、必ず声を掛けます。ですから」
そこで俺をちらりと流し見ると、侍医は次にこの方の目を見詰めた。

「医仙は隊長の言いつけをお守りになり、静かに、目立たず、身をお隠し下さい。
徳成府院君様も徳興君様も、何をされるか知れぬ方々です。呉呉も油断されずに」
「うん、分かったわ。チャン先生も気を付けてね。みんなも」
そうか。侍医の言う事は随分素直に聞くのだな。
俺は首を振り、侍医へと眸を飛ばす。

「奴らは降りてきたか」
「いえ」
この眸を正面より受け愉し気に笑んだ後、表情を引き締めた侍医は水場への真暗な山道を眼で追った。
「どなたも降りて来ぬので、逆に些か心配になって来たところです。
上がりに行こうかと思って居りましたら、お二人が」
「武閣氏は来たか」
「ええ、先程数人が上がって行きました」
「そうか」
「参りましょうか」
「そうだな」

俺と侍医はこの方を挟み、目の前の鬱蒼とした木々の山道を黙って登り始めた。

小高い山の上の水場は雲に隠れた月の所為で、水面も周囲の景色も殆ど見えない。
それでも少し離れた処に固まった奴らの気配に、俺は声を掛ける。
「そんなところで何してる」
「あ!」
「て、隊長」
「隊長ー!!」

一斉に上がった情けない声に、頭を抱えたくなる。
お前ら兵だろう。此処まで来て、まさか腰でも抜けたのか。
俺が鍛えたのは武芸だけではない。その肝も鍛えたはずだ。
頼むから俺を落胆させるなよ。

そう思い一歩踏み出たところで明らかに奴らと違う気配に、背後の侍医とこの方を上げた指先で制する。
すぐに俺の異変に気付いた侍医がこの方の横を護りながら、懐からすらりと鉄扇を抜いて構える。
俺は黙って鬼剣を抜くと、川石を踏む足音を極力消す。
大きく廻り込み気配の源、水場の畔の瀧殿へ一息に駆け寄り、人影の喉元へ迷わず鬼剣の刃を当てた。
「隊長!」
「隊長!!」
「隊長、そこには!!」
「チェ・ヨン」

最後に上がる声に目を開き、柄を握る手が緩むのを堪える。

同時に雲が切れて覗いた真白で大きな月が照らす灯の下。
瀧殿の中の信じられぬお姿に茫然と剣を下ろし無言で頭を下げる。
そして俺に続き瀧殿へ駈け込んで来た侍医とこの方が、目の前の方々の姿に息を呑んだ。

「寡人に隠れて楽しそうな事をしておるのう、隊長」
俺が先刻喉元へ刃を当てた内官に護られ、小さな滝殿の腰掛け段に王妃媽媽と並んで座られたその方。
王様が立ち上がり、此方を見て緩やかに口端で苦笑される。
「ドチを斬らなかった礼を言うべきだな」
「・・・失礼を」

王様に頭を下げた後内官に向かっても頭を下げると、内官は慌てて繋がったままの首を確かめるように摩ってから振った。
「と、とんでもありません」
「侍医」
「全く気づきませんでした」
「ああ、寡人たちが先に月見をしておったら、迂達赤たちが後から続々と、山道を上がって来た故」
「然様でしたか」
「王妃と二人急に思い立ち、忍んで殿を抜けた。先に隊長に伝えず悪い事をした」
「・・・いえ」

何処に奇轍の手が、徳興君の手があるか判らぬ以上、迂達赤が勢揃いする場所に王様と王妃媽媽がいらっしゃるのは良い。
それは良いが、まさか王様がお忍びで殿を抜け出されていたなど。

これが肝だめしというなら、確かに縮み上がった。
この肝も過信するほど大したことはないかもしれん。
道理で迂達赤も武閣氏も、誰も降りて来ぬはずだ。
冷や汗が滲むこの額を涼しい水辺の風が撫でて行く。

「で、そなたらも月見か」
何もご存じない王様のお問い掛けに、俺は静かに首を振った。
「いえ、某たちは、王様をお守りします」
「しかし兵たちは皆、丸腰だろう」

ああ、畜生。確かにあの時に己が言ったのだ、武器は持つなと。
「・・・拳にて、お守りします」

その苦し紛れの言い訳に、王様が声を上げて笑われる。
「隊長。今宵はもう良い、帰って休め」
「ならば某が、殿までお送り致します」
「ああ、ではそうしてもらおうか」

瀧殿の中、立ち上がった王様を守り、水辺に控えた迂達赤と武閣氏が安堵の息を吐いて動き出す。
その先陣に立ち王様の足許を照らす行燈の行列を後に従え、ゆっくりと山道の勾配を下りつつ、胸裡に幾度も繰り返す。

肝試しなど懲り懲りだ。ああ、もう二度とさせぬ。

やはり宝は、己で隠しておくのが一番良いのだ。
何処にもやらず、誰にも見せず、己が護れる三歩の距離に。
そうでなければこの方は次に何をするか判ったものではない。
その時俺が勇み足で、誰かの喉を掻切ってからでは遅すぎる。

自由にはさせぬ。何処にもやらぬ。誰にも見せぬ。

唱えつつ康安殿へと戻る下り坂の山道。
夜だというのに蝉声が闇の静けさを破るよう、わんわんと鳴り響いている。

啼きたいのだな。いつまで啼けるか判らないから。
その命の在る限り、残された僅かな刻を惜しんで。

蝉ですら、刻の大切さをこうして知っているのに。
この方は一体それを、どう思っているのだろうか。

 

「ねえ、どうするの」
水辺の奥、紙の結ばれた枝を並べた石。
結局誰一人取りに来なかったその並んだ枝を前に、酒楼から借り入れた銅鑼を用意した武閣氏が立ち尽くしている。
最後に枝を取りに来たら、これを鳴らして脅かす手筈だったのに。

「鳴らすわけにはいかないでしょ。媽媽も王様もおいでなのに」
「じゃあ私たちこのまま帰るの。あの暗い途を、これを抱えて」
これ、と銅鑼を眼で示した武閣氏が、己の肩を抱いた。
「冗談でしょ、怖いわそんなの」
「仕方ないじゃない、こんな事になるなんて思わないもの」

そう言いながら武閣氏たちは途方に暮れた顔を見合わせた。
ああ、もう本当に。でも帰らなければ、明日の朝には鍛錬がある。
今夜のうちにこの銅鑼を酒楼に返して朝には鍛錬に出なければ、何よりも恐ろしい女隊長の雷が落ちる。

それより怖いものなどないと武閣氏たちは震えあがり、急いで銅鑼を抱えると、転がるように暗い山道を下り始めた。

 

 

【 肝だめし | 2015 summer request  ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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