「ソヨン」
邸の庭先、厨の外の井戸脇で薬を煎じていた私は、チョ医官様の声に慌てて腰を上げた。
「医官様」
「何故、薬湯など煎じておるのだ」
「え?」
「そなた聞いておらぬのか」
小走りにこちらへ駆け寄るチョ医官様の声に首を傾げる。
「何をでしょうか」
「パク・ウォンジョン様よりの託だ」
「大監の?」
「本日の診察を終え次第、大君媽媽と共に王陵寺へお参りせよと」
「王陵寺・・・奉恩寺ですか。何故」
「大君媽媽に王陵寺にて御加護の祈祷を受けて頂くように、邸の者も皆ついて行けと。言われておらぬか」
「いいえ、初耳です」
あの人は、ソンジンはそんな事一言も言っていない。
今日は朝から薬湯を煎じていた。あの人と会っていない。
そんな大切な事なら必ず言ってくれるはずなのに。
「大きな声では言えぬが」
周囲に素早く目を走らせて、チョ医官様は声を低くした。
「近く宮中で何かがある。大君媽媽にはもしや祈祷を理由に邸を一旦離れて頂くという事かもしれぬ。
王陵寺であれば、外部の者では容易に出入り出来ぬ故」
奴は、現王を討とうとしている。
ソンジンのあの時の声が、頭を過る。
「・・・ソ・・・従事官様に、伺って参ります」
「そうしてくれ。私は大君媽媽をご拝察に行く」
頷いたチョ医官様に頭を下げ、私は庭を走り出す。
大君媽媽の御部屋前。
いつもソンジンが佇んでいるはずの庭先に、背の高い影も静かな横顔も見当たらない。
「・・・従事官、様?」
呼びながら御部屋の一角に沿い、邸の庭を小走りに巡る。
「従事官様?」
庭に敷いた砂利に足を取られ、騒々しい音が鳴る。
「従事官様!」
どうしてこう肝心な時に、あの人は隠れてしまうのだろう。
「ソンジン」
じゃりじゃりと足元を鳴らし、庭を走る。
「ソンジン、何処?」
「・・・ソヨン、どうしたのだ」
私の大声が耳に届いたか。
目当てのソンジンを見つける前に保母尚宮様が控の御部屋の窓を開け、 驚いたように庭の私へ声を掛ける。
「尚宮様」
私は窓を開けた尚宮様へ走り寄り、失礼にならない程度にその御顔をじっと見つめる。
「出掛ける支度は整うたのか。そろそろ大君媽媽をお呼びに伺おうとしていたところだ」
「支度」
「奉恩寺へ、媽媽が御加護の祈祷を受けにいらっしゃるのだ。聞き及んでおらぬか」
「・・・本当なのですね」
「そなた、何を申しておる」
尚宮様は怪訝なお顔で、私に向けて問い直した。
「チョ医官様が大君媽媽の御診立てを終え次第、邸の者は全員奉恩寺へと御参拝するよう、パク大監様より御文を頂いている。
出掛ける寸前まで誰にも伏せよとの御指図故、大君媽媽には御診立て後にお伝えしようと思うたが」
尚宮様は一旦窓を離れ、部屋の中から文を手にすぐに窓際へ戻ってきた。
「そなたも急げ。大君媽媽のお出掛けに不備があってはならぬ。荷を纏めろ」
「・・・尚宮様、お願いです。どうかすぐに大君媽媽に御祈祷の件、お伝えいただけませんか」
「無理を申すな。今は医官殿の御診立て中なのだぞ」
「お願いです尚宮様。お叱りは後でいくらでも受けます、 どうか」
必死に言い募る私へと、尚宮様は怪訝な目を向ける。
「御体の具合も、脈も大変御健やかなご様子です」
尚宮様と共に伺った大君媽媽の部屋の前、部屋内から聞こえるチョ医官様の声に続き
「皆のお蔭だ」
大君媽媽が、そうおっしゃる御声が聞こえる。
どうやら媽媽の御診立てが終わる処らしい。
「これならば、奉恩寺への御参拝にも何ら問題はないかと」
「奉恩寺への参拝だと」
続いたチョ医官様と媽媽の御声にかぶるように
「失礼致します、大君媽媽」
尚宮様が何か御声を上げる前に、我慢が出来なくなった私は扉口から部屋内へと声を上げた。
その無礼に横の尚宮様が目を剥く。罰は受ける、後でいくらでも。
「・・・入れ」
そうかかった大君媽媽の御声に、遠慮なく目の前の扉を開く。
御部屋内に見えるのは、大君媽媽、チョ医官様、付き添いの薬員。
そして今、媽媽の衛に付いておられる御営庁の外方様。
やっぱり見えない。あの人だけが居ない。絶対に変だ。おかしい。
「ソ・・・従事官様は」
「ソンジンは右参賛の急の呼び出しで、宮中へと参ったが」
「・・・え」
尚宮様も、チョ医官様も、その大君媽媽の御声に動きを止める。
「どうした、皆でそのように」
尚宮様が慌てたように、お持ちの文を大君媽媽の卓へと置く。
「媽媽、右参賛様よりこの文が。本日チョ医官様の御診立て後、奉恩寺へと御加護の祈祷のためお出まし頂ければと」
尚宮様の御声に、今度は大君媽媽と外行様が息を呑む。
「・・・そんな訳が無い。ソンジンは、従事官は私に右参賛からの文を、確かに見せた。故に宮中へ」
「晋城大君媽媽」
媽媽の御声の終わるか終わられぬかで、外行様が立ち上がる。
「参りましょう。この文は本物かと」
そう言って脇に置かれていた刀を握ると迷いなく立ち上がり、外行様は扉へ駆け寄ると、其処から大きく声を張る。
「衛の兵は全員集え!」
庭中に響くその声に、邸の中が俄に慌ただしく動き始める。

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いつの間にか、傍に居るもの、守りたいもの・・・と心が感じる存在ができたソンジン。
離れてしまった2人が心配です。離れては護れない・・・のですよね。
史実に沿うなら大きな出来事が起こるということでしょうか。
ドキドキします・・・。
どうか幸せに。ソンジンとソヨンが幸せになれますように。
さらんさん、続き楽しみにしています。
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さらんさん
あ~ドキドキしてきました!
ソンジンとソヨンは、どうなるんでしょう⁈ はらはらする展開に続きが待ち遠しいです。