夏暁【拾弐】 | 2015 summer request Finale

 

 

百と、五十年。どれ程の遠さか想像もつかぬ。
けれどソヨンの魂の抜けたような声で 察しだけはついた。
ウンス。気が遠くなる程、お前と離れていると。

これで終いか。 気が遠くなるほど離れ、二度と逢えずに。
手掛かりがあるとすれば宮中の医書。其処までどうやって辿り着けば良い。

「ただ、一つ聞いた事がある」
観察使という男の声に、俺の意識が戻る。
「ソヨン、そなた天門というものを聞いた事はあるか」
観察使の男の声に、ソヨンが首を捻る。
「伝説の、華侘が消えたという門ですか」
「ああ。高麗の恭愍王様の頃、一人の天界の医官様が天門よりこの世に下りて来たという。
それがこの医仙様と係わりがあるかは知らぬが」
「でも、迷信でしょう」
「さあな。儂には何とも言えぬ。しかし面白い事にな」
観察使はそう言って、声をひそめて呟いた。
「王様が先年、御父王の宣陵を管理する陵寺を変えた」
「・・・はあ」

突然飛んだ脈絡のない話に、ソヨンが首を傾げる。
「見性寺を改築し、名を奉恩寺と改められた。
ところが此処に据えた御本尊の阿弥陀如来様の祠堂が、時折光ると専らの噂でな」
「祠堂が?」
「ああ。物凄い風と光を生むという」
「・・・まさか」

俺とソヨンの声が、不思議に重なる。
「ああ。まさかだ。しかし見た者が居る。おまけにその者共は揃って不思議な事を言う。
周りの者が消えただの、逆に光から人が飛び出して来ただのと。
王様が御父王を守る寺への愚弄だと酷くお怒りになり、端から斬り捨てる故、話は広まらぬがな」

天門とはこの世に一つではないのか。唯一の場所ではないのか。
ウンスはあの時、俺に何と言った。
ウンス、お前はあの時何と言った。

私のあの人は、高麗にいる。
ただし今の高麗じゃなく、天門の向こうの高麗に。
私は、この世界の人間じゃない。
でも、あの人の世界の人間でもない。
もっと先の世界から、 門をくぐってここに来たの。

もしも、その門がこの世に一か所の場所でないとしたら。
高麗、恭愍王、天からの医官。
光、風、人が消え、飛び出して来る奉恩寺。

天門しか考えられぬ。
そんな不思議な穴や扉が、彼方此方に在っては困る。
それを建てたのが現王。父王の為に、寺の名を奉恩寺と改めた王。
学問の最高府を妓女の遊興の場へと変え、女と見れば片端から強引に攫い、意に染まねば斬り捨てる暗君、暴王。
娘を匿う為に必死の親たち。官軍が力を持つ国、朝鮮。

「どれ程の頻度で光るのですか」
突然の不躾な問いに、観察使は驚いたよう此方を見た。
「そなたも興味があるか」
「はい」
俺は迷う事なく頷く。
「武人はこうした時は、鼻で笑うと思うておった」
「時と場合に依ります」
「成程」
観察使は面白そうな目で頷く。此方はそれどころではないのだ。
「奉恩寺の祠堂を、拝見できますか」
「寺の内にある」
「はい」
「何しろ王陵故、簡単には行かぬな」

観察使の当然の返答に、唇を噛み締める。
「ソンジンだったな」
「はい」
「まず光だがな。儂が聞く限り、奉恩寺と改めてからの事らしい。
改めてより四年。二度光った年もあり、まるで光らぬ年もあり」
「はい」
「もしも寺の中を見たくば、そうだな」

観察使は、僅かに考える様に言った。
「最も手取り早いのは、宮中の御営庁の武官になる事だ」
「・・・武官」
「そなたの剣の腕があれば、そう苦労はなさそうだが」

何も知らぬ観察使は、鷹揚に笑む。
あの頃瀕死で高麗の自軍に見放された俺が、朝鮮で武官になる。
味方同士の裏切りに、また巻き込まれるかも知れぬ立場に。
「何しろこの御時世だ。後ろ盾さえあり武官に志願すれば、余程の失態が無い限り直ぐに採用される。
その代りいつ斬られるとも限らぬ。それも敵ではなく味方にな。それでも、なりたいか」
「後ろ盾、ですか」
「そなたさえ良ければ、儂が成ろう」

突然の観察使の提案に、眉を顰める。
「何故」
「何と」
「何故、何処の誰とも分からぬ俺の」
「ああ」
観察使は豪放磊落を装ってはいる。しかし此方を向いていた目を明らかに僅かに逸らした。

─── ソンジン。人は嘘を吐くものだ。

劉先生は、あの頃俺に教えた。

嘘を吐くのが面倒と最初から吐かぬのは、お前くらいのものだ。
何かを守る為、壊す為、人は嘘を吐くものだ。自分の尺度で測ってはいけない。

最初に吐き始めた時には露見する。吐き慣れておらぬからだ。
そんな人間は、目が泳ぐ。汗をかく。手足の動きが縮こまる。
しかし慣れてくると、それが少なくなる。何故か。
今からの言葉は嘘でないと、先ず己を騙すようになるからだ。そうなると見分けは難しい。
しかし面白い事に、目だけは騙せぬ。
人は見た事のない物を見ようとすると、目が左上を向く。
お前と己の間に、何か物を置こうとする。話を変えようとするかもしれぬ。

ソンジン、相手をよく見なさい。そして感じなさい。
呼吸、目、汗、手足の動き。それがお前を助けるかもしれぬ。
相手が嘘を吐いていると思ったら、己の直感を信じなさい。
嘘を吐かぬお前だからこそ、分かる事がある。

目の前の観察使は、目を逸らしたまま小さく頷いた。
「そなたのような若い優秀な人材は王様にとって大切だ」
今までゆったりとしていた口調が、僅かに早くなる。
「有難うございます」
「宮中の人材は、多い程に嬉しい」
観察使は卓の上の医書を両手で持ち、手元に立てた。
俺との間を遮るように。しかしあくまでさりげなく。
「この医書に書いてあるよう、優秀な人材は時を超えて人を救う」
そう言って医書の表紙を、指で小さく叩いて見せる。
「恭愍王様の医仙が、お若い頃の太祖の腸癰を治療されたとある。素晴らしい事ではないか」
「はい」
「・・・そんな忠臣を王様にもより多く持って頂きたい」
その目が、明らかに左の空へと向く。
忠臣に囲まれた暴王の姿など、想像した事すらないように。

この男は、嘘を吐いている。

「そして、ソンジン」
「はい」
「そなたの願いも叶ってほしい。奉恩寺を見たいのであろう」
「はい」
「そこで、儂からも頼みがある」
「何ですか」

変わった風向きに眉根を寄せる。観察使は嘘を吐くだけでなく、取引も持ちかけようという事か。
「昨日ソヨンにも頼んだ。そなたもソヨンも若いが才がある。
故にこの年寄りが何か頼んだ時、聞き届けてはもらえまいか」
「頼み」
「命を差し出せとは言わん」

そこで観察使は掲げていた医書をゆっくり卓上へ戻し、この眸を真直ぐ見直した。
どうやら、それは嘘ではないらしい。
しかし命を差し出すでないなら、俺が何を成せる。
右も左も分からぬこの世で俺が持つのは刀と、この命位のものだ。
己の脇、椅子に腰掛け此方を見上げるソヨンと目を合わせる。

「ソヨンは宮中の医女扶育校へ行く。昨日も伝えたが、王様の御目に留まる機会も多くなる。
医女を国法で 薬房妓生と扱う方だ」
「はい」
「そなたが共に宮中に居ればソヨンも安全だ。そしてソンジン、そなたは武官として奉恩寺の中を見る機会にも恵まれる」

確かに観察使の言う通りだ。何処にも不審な点はない。一つだけ不審な点があるとすれば。
「観察使殿は、何を得るのか」
「儂が、何を得るかと」
「はい」

それ程此方に有利な条件を出し、目の前の観察使は何を得る。
ただの親切心で若い者の面倒を見る程、暇な隠居とは思えぬ。
「ソンジン、面白い事を言うのう」
俺の問いに観察使は笑んだ。素直に吐く者では無かろう。
思った通り、目の前の男はゆったり頷いて言った。

「儂は晴れ空を得るかな。今日の如き、新しく晴れた空を」

新しい、晴れ空。どういう意味だ。
ソヨンの脇、剣を腰に立ち、窓外の晴れ渡った夏空を眺め、観察使の言葉を胸裡で繰り返す。

新しい空・・・新しい、天。

 

 

 

 

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