「お茶を飲みにいらっしゃいませんか」
問い掛ける男の長い髪が、余焔の熱い風に舞い上がる。
否とも応とも答えずに、無言で横を擦り抜ける。
鬱陶しく纏わりつくのは、迂達赤の奴らだけで十分だ。
これ以上は要らない。関われば関わる程厄介が増して行く。
捨て去るならば持たない事だ。顔を知られず息を潜める事だ。
飄々とした姿。読めそうで読めぬ肚。高麗一と評判の医術の腕。
何を好んで俺になど絡む。接点などまるでない。
それでもあの侍医は懲りずに誘う。
余焔の頃を過ぎても。
煙る秋霖の滴の落ちる軒先で。
膚を切る凜冽たる雪中で。
春浅い料峭の風に吹かれて。
そして再び巡る余焔の頃。
顔を合わせるあの男は、穏やかな声で誘う。
「お茶を飲みにいらっしゃいませんか、隊長」
お前に隊長と呼ばれる覚えはない。
無言で横を擦り抜け、そして足を止める。
通り過ぎざま、この腕に掛けられた奴の指に動きを封じられて。
「如何でしょう」
物腰はあくまで柔らかいが、それでも掛けた腕は解かない。
武人の腕に手を掛けるとは良い度胸だ。
「死にたいか」
「・・・隊長」
この男にも、夏の余焔は似合わない。
終の熱さの中、向き合いながらそう思う。
「しつこいな」
俺の唸り声に微笑みを浮かべ、奴が小さく頷いた。
敬う気も無く、守る気も無い。
ただ挿げ替えられる首に従うだけの日々。
したい事も無く、すべき事も無い。
ただ過ぎ行くのを待ち侘びるだけの日々。
戦場に行けと言われれば行き、殺せと言われれば殺し、戻れと言われれば戻る。
唯ひたすらに、隊長に遺された最期の声を聴きながら。
まるで忠実な猟犬だ。
飼い主の声だけ聞くよう躾けられ、意思も無く唯々諾々とそれに従う。
そして残りの刻を眠りながら待つ。
朝も夜も無く、季節も空気も色を喪い、長過ぎる刻を潰し、早く来いと祈り続ける。
早く。早く。早く来い。
もう一度その熱さを思い出させてくれ。
髪を汗で濡らし、息を弾ませ、行きたい場所に真直ぐ走る。
あの気持ちはどんなものだったか、思い出させてくれ。
昏い闇の中、夢で逢うだけでなく。
目が醒めて、絶望の中で振り返るのではなく。
連れて行ってくれ。離れないでくれ。
もう一度、あの声で俺を呼んでくれ。
義務だからと聞くのではなく、心から聞きたいと思う声で呼んでくれ。
役目だからと走るのではなく、心から駆けつけたい処へ走らせてくれ。
早く来てくれ。俺は此処にいる。お前を待ってる。
夢の中でだけ追い駆けながら待つのには草臥れた。
新たに挿げ替える首を迎えに、元まで行けと言う。
新王を迎えるには余りに少な過ぎる二十四の頭数で。
宗主国に大人数で踏み込めば謀反の意ありと、勘繰られるのを懼れてでもいるような小隊で。
攻められれば、相当に面倒だ。何があるか判らない。
それとも次にも替える首はあるから有事も構わんという事か。
新しい首がどうなろうと興味がないのは俺も同じだ。
但し迂達赤の奴らだけはそうはいかん。
そんな政の煽りを受けて、犬死させる事は出来ない。
此処を去る、最後の日まで俺の部下だ。
命を守ってやるのだけが、今の俺に出来る事だ。
全員が無事に戻るよう、どれだけ使える奴らを選んでも、決して選び過ぎという事はない。
「副隊長」
「は」
「矢の数を今一度確認しておけ」
「は」
兵舎の中、飛ばす声に副隊長が返す。
「チュソカ」
「は!」
「剣の支度は怠るな。接近すれば剣が頼りだ」
「は!」
その声にこの眸を見つめ、奴が頷く。
「トルベ」
「は!」
「念の為、大槍だけでなく小刀も身につけろ」
「はい!」
肩横から奴が深く確り頭を下げる。
「テマナ」
「はい隊長!」
「走らせることが多くなる。離れるな」
「はい隊長!」
忠実に守ろうと、奴が一歩寄る。
七年で四つ目の首。
行けと言われれば行く。戻れと言われれば戻る。
守れと言われれば守って連れ帰るしか道はない。
あの若い王様は、どうなるのだろう。
最後に俺に自由をくれたあの若い王様は。
始まったばかりの夏の熱さの中、ふと思う。
最後まで守り切る事が出来なかった、あの小さな王様。
幼い声、真直ぐな目、俺を頼りに正道を歩もうとした。
ヨンアとまるで朋を呼ぶように俺を呼んでくれた王様。
慶昌君媽媽。
俺が初めて守りたいと僅かでも思った、人間らしい王様。
俺を兵ではなく、ヨンと呼んでくれた、若く立派な王様。
正面から俺と向き合い、その御心を見せて下さった王様。
玉座に居るべき王様を排し、居るべきでない奴が蔓延る。
そして居たくも無い俺も結局、まだこうして此処にいる。
そして次に玉座に居るべきかどうか判らぬ新王を迎えに行く。
この始まったばかりの今夏の終わりの、終いの余焔の頃には。
その頃には判るのか。新たな首が玉座を飾るに相応しいかが。
始まったばかりの夏の空が、窓の外に広がっている。
久し振りに見た。空の色を。この明るさその青さを。
元への長旅の出立の準備、兵舎に慌ただし気に飛び交う
声の中、私室を片付けながら暫し手を止めて夢想する。
その頃にきっと俺は自由だ。余焔の熱の中、自由になれる。
最後に頂いた媽媽からの褒美を手に、堂々と自由になれる。
流れて行ける。何もなかったように消える。
何も残さず、誰にも傷も恨も残さず、消えて行ける。
始まった今夏が終わる頃には。今年の余焔の頃には。
きっとそれは、生涯忘れられない熱さになるだろう。
【 余焔 | 2015 summer request・残暑 ~ Fin ~ 】

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さらんさん、辛い時期の哀しいヨンの心情を描いて頂き、さらんさんも重い気持ちだったのではないでしょうか。
真夏でも、冷え冷えとしたこの時期に、ウンスと運命的な出逢いをして、次第に変わっていくヨン。
目力や瞳の輝きまで、変化してきましたよね❤︎
どのヨンも素敵ですが、冬の時代を乗り越えだからこそ、余計に頼もしく魅力的なのかも(#^.^#)。
さらんさん、今日明日とまたまた休日出勤の、仕事人間の私に、毎日素敵なお話を楽しませて頂き、ありがとうございます❤︎
味覚の秋、しっかり召し上がってくださいねσ(^_^;)