余焔【後篇】 | 2015 summer request・残暑

 

 

「お茶を飲みにいらっしゃいませんか」
問い掛ける男の長い髪が、余焔の熱い風に舞い上がる。
否とも応とも答えずに、無言で横を擦り抜ける。

鬱陶しく纏わりつくのは、迂達赤の奴らだけで十分だ。
これ以上は要らない。関われば関わる程厄介が増して行く。
捨て去るならば持たない事だ。顔を知られず息を潜める事だ。

飄々とした姿。読めそうで読めぬ肚。高麗一と評判の医術の腕。
何を好んで俺になど絡む。接点などまるでない。

それでもあの侍医は懲りずに誘う。

余焔の頃を過ぎても。
煙る秋霖の滴の落ちる軒先で。
膚を切る凜冽たる雪中で。
春浅い料峭の風に吹かれて。

そして再び巡る余焔の頃。
顔を合わせるあの男は、穏やかな声で誘う。
「お茶を飲みにいらっしゃいませんか、隊長」

お前に隊長と呼ばれる覚えはない。

無言で横を擦り抜け、そして足を止める。
通り過ぎざま、この腕に掛けられた奴の指に動きを封じられて。
「如何でしょう」
物腰はあくまで柔らかいが、それでも掛けた腕は解かない。
武人の腕に手を掛けるとは良い度胸だ。
「死にたいか」
「・・・隊長」

この男にも、夏の余焔は似合わない。
終の熱さの中、向き合いながらそう思う。
「しつこいな」

俺の唸り声に微笑みを浮かべ、奴が小さく頷いた。

 

敬う気も無く、守る気も無い。
ただ挿げ替えられる首に従うだけの日々。
したい事も無く、すべき事も無い。
ただ過ぎ行くのを待ち侘びるだけの日々。

戦場に行けと言われれば行き、殺せと言われれば殺し、戻れと言われれば戻る。
唯ひたすらに、隊長に遺された最期の声を聴きながら。

まるで忠実な猟犬だ。
飼い主の声だけ聞くよう躾けられ、意思も無く唯々諾々とそれに従う。

そして残りの刻を眠りながら待つ。
朝も夜も無く、季節も空気も色を喪い、長過ぎる刻を潰し、早く来いと祈り続ける。

早く。早く。早く来い。
もう一度その熱さを思い出させてくれ。

髪を汗で濡らし、息を弾ませ、行きたい場所に真直ぐ走る。
あの気持ちはどんなものだったか、思い出させてくれ。

昏い闇の中、夢で逢うだけでなく。
目が醒めて、絶望の中で振り返るのではなく。

連れて行ってくれ。離れないでくれ。
もう一度、あの声で俺を呼んでくれ。
義務だからと聞くのではなく、心から聞きたいと思う声で呼んでくれ。
役目だからと走るのではなく、心から駆けつけたい処へ走らせてくれ。

早く来てくれ。俺は此処にいる。お前を待ってる。
夢の中でだけ追い駆けながら待つのには草臥れた。

 

新たに挿げ替える首を迎えに、元まで行けと言う。

新王を迎えるには余りに少な過ぎる二十四の頭数で。
宗主国に大人数で踏み込めば謀反の意ありと、勘繰られるのを懼れてでもいるような小隊で。
攻められれば、相当に面倒だ。何があるか判らない。
それとも次にも替える首はあるから有事も構わんという事か。

新しい首がどうなろうと興味がないのは俺も同じだ。
但し迂達赤の奴らだけはそうはいかん。
そんな政の煽りを受けて、犬死させる事は出来ない。
此処を去る、最後の日まで俺の部下だ。
命を守ってやるのだけが、今の俺に出来る事だ。
全員が無事に戻るよう、どれだけ使える奴らを選んでも、決して選び過ぎという事はない。
「副隊長」
「は」
「矢の数を今一度確認しておけ」
「は」
兵舎の中、飛ばす声に副隊長が返す。

「チュソカ」
「は!」
「剣の支度は怠るな。接近すれば剣が頼りだ」
「は!」
その声にこの眸を見つめ、奴が頷く。

「トルベ」
「は!」
「念の為、大槍だけでなく小刀も身につけろ」
「はい!」
肩横から奴が深く確り頭を下げる。

「テマナ」
「はい隊長!」
「走らせることが多くなる。離れるな」
「はい隊長!」
忠実に守ろうと、奴が一歩寄る。

七年で四つ目の首。
行けと言われれば行く。戻れと言われれば戻る。
守れと言われれば守って連れ帰るしか道はない。

あの若い王様は、どうなるのだろう。
最後に俺に自由をくれたあの若い王様は。

始まったばかりの夏の熱さの中、ふと思う。

最後まで守り切る事が出来なかった、あの小さな王様。
幼い声、真直ぐな目、俺を頼りに正道を歩もうとした。
ヨンアとまるで朋を呼ぶように俺を呼んでくれた王様。

慶昌君媽媽。

俺が初めて守りたいと僅かでも思った、人間らしい王様。
俺を兵ではなく、ヨンと呼んでくれた、若く立派な王様。
正面から俺と向き合い、その御心を見せて下さった王様。

玉座に居るべき王様を排し、居るべきでない奴が蔓延る。
そして居たくも無い俺も結局、まだこうして此処にいる。

そして次に玉座に居るべきかどうか判らぬ新王を迎えに行く。
この始まったばかりの今夏の終わりの、終いの余焔の頃には。
その頃には判るのか。新たな首が玉座を飾るに相応しいかが。

始まったばかりの夏の空が、窓の外に広がっている。
久し振りに見た。空の色を。この明るさその青さを。

元への長旅の出立の準備、兵舎に慌ただし気に飛び交う
声の中、私室を片付けながら暫し手を止めて夢想する。

その頃にきっと俺は自由だ。余焔の熱の中、自由になれる。
最後に頂いた媽媽からの褒美を手に、堂々と自由になれる。

流れて行ける。何もなかったように消える。
何も残さず、誰にも傷も恨も残さず、消えて行ける。
始まった今夏が終わる頃には。今年の余焔の頃には。

きっとそれは、生涯忘れられない熱さになるだろう。

 

 

【 余焔 | 2015 summer request・残暑 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    さらんさん、辛い時期の哀しいヨンの心情を描いて頂き、さらんさんも重い気持ちだったのではないでしょうか。
    真夏でも、冷え冷えとしたこの時期に、ウンスと運命的な出逢いをして、次第に変わっていくヨン。
    目力や瞳の輝きまで、変化してきましたよね❤︎
    どのヨンも素敵ですが、冬の時代を乗り越えだからこそ、余計に頼もしく魅力的なのかも(#^.^#)。
    さらんさん、今日明日とまたまた休日出勤の、仕事人間の私に、毎日素敵なお話を楽しませて頂き、ありがとうございます❤︎
    味覚の秋、しっかり召し上がってくださいねσ(^_^;)

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