海路【終章】 | 2015 summer request・海路


※ 2014Xmas request:藤浪 外伝です。
先に其方を読んでからお読みくださいませ。

 

*****

 

「助けます、必ずだ」
「おんしゃあまずは、恩綏との事を考えにゃあいかん」
「余計な世話です」

ふてくされたように呟いた声に、龍馬さんが噴き出す。
「おんしゃらのやや子が、道具に使われんような世」
「龍馬さん」
「そいもわしが作りたい夜明けの一つじゃ」

この人ならば、必ず作ってくれる。
どれ程痛みが伴おうと、どれ程夜明け前が昏かろうと。
そして誰より、父親の己が頑張らねばならん。
我が子が道具に使われるような世など、決して在ってはならん。

倖せにしたい。明日の事など何も約束できなくても。
毎日ああして眠る姿を見つめていたい。二度と離したくない。
何故だ。離した事などない筈なのに、これ程に離れるのが怖い。
離れたのは数回、龍馬さんの供連れの時だけなのに。
「考え過ぎなや、瑩」

己の無言をどう捉えたか、龍馬さんが気遣わし気に言ってくれる。
曖昧に頷きながら俺は上がった月を、そして庭の木々の先に垣間見える、月を映した海をじっと見つめた。

 

誰かを探している。
焦りと憎しみに震えながら、決して逃すものかと。
扉を開ける。見た事のない古い扉を。
そして見つける。ずっと探して来たその方を。
共に居らねば生きて行けない、この命より大切な方を。
「大丈夫なのですか」

その方に問いかける。
夢のようだ、目の前にこの方が立っているのが。
鳶色の瞳に涙を湛えて、此方を見つめてくれるのが。

頷くこの方に、恐る恐る尋ねる。
「痛みなどは」

この方が静かに首を振る。
誰なのだろう。顔だけが見えない。
ただ振られた拍子にその髪から香る花の香を、よく知っている。
「では、本当に大丈夫なのですね」
「ええ」

夢のようだ、震える声でそう言ってくれるのが。
「では、これから共に居られるのですね」
信じられずに、もう一度問いかける。
「ええ」

この方の変わらぬ答に、抑えようも無く体が震える。
愛おしさと安堵の余り、その小さな体を抱き締める。
小さな嗚咽を耳元に聞きながら、胸の中で幾度も繰り返す。

泣くな。
泣くな、これからは共に。
この命が尽きるまで共に。

誰なのだろう、この腕の中で小さな声で泣いているのは。
その声を聞くだけで、胸が千切れる程に痛い。
けれど思っている。もう泣かせることは決してない。
これからはずっと共に。

宿屋で横になって、この方に告げる。
「明日、天門が開きます」

油灯の灯に照らされる、横のこの方を見つめながら。
丁度今の己のようだ。横にいるこの方にそう言う。

何の事だ。天門が開くとは。
それなのに夢の中の俺は、そう言って当然だと判っている。

横にいる方が静かに言う。
「ええ」

顔が見えない。揺れる油灯の所為なのか。
声だけだ。
懐かしすぎるその声、そして感じる花の香。
「良いのですか。逢いたい方々が、いらっしゃるのでは」

言うな。言うな。湧き上がる不安感に、己の口を塞ぎたくなる。
言ってはいけない、言えば後で取り返しがつかぬ。
また遥かな遠回りをする事になる。この方を泣かせる事になる。

「会って来ても、いいの?」
言ってはならぬ。それなのに、己の口が止まる事はない。
「天門までお送りします」
「府院君が、来るかも」
「分かっています」
「戦ったら、勝てる?」
「恐らく、勝てます」

勝てるだろう、勝てるだろうがこの方を泣かせる。
その男に勝ったとしても、この方を泣かせては意味などない。
止めろ、その口を今すぐ閉じろ。

それなのに俺はただ横のこの方を見詰めるだけで幸せすぎて。
その願いを、出来る事ならば何でも叶えてやりたくて。
久々に訪れた、目が眩むほどの安堵と幸福の中で呟くのだ。
「ずっと、見ていたい。目を閉じても記憶が蘇るほど。
けれどもうあなたを忘れなくて、良いのですね」

細い指が俺の頬を、鼻を、唇を辿る。
その指を、俺は良く知っている。
知っているのは夢の中の俺なのか、それとも声を止めようと今こうして踠いている俺なのか。

俺は良く知るこの小さな手を握り、その指先に口づける。
そして囁く。
「眠って」

 

「共に行こう」
男の声が言う。体が冷たい。あの方が泣いている。
俺を覗き込み哀しい声を上げている。
それなのに顔が見えない。

あの方が連れ去られる。
動かない体のままその後姿を、幾度も振り返るその涙を溜めた鳶色の瞳を、ただ見送るしかない。

だから言ったろう。駄目だと、口を閉じろと言ったろう。
冷たい頭の中知らぬ光景の断片がいくつもいくつも過る。

怒るあの方。笑うあの方。涙するあの方。
交わした口づけ、見つめ合った目と目、握った温かい手。
抱いた細い肩、無言で見上げた月、明るい笑顔、花の香。

恩綏なのか。俺のあの方なのか。
俺の為に異国まで共に来て、髪まで切り落とした、俺の命よりも大切な方なのか。
誰なんだ。あの連れ去られる方は誰なんだ。

離れてはいけない、決して離してはいけない。
離せばあの方は、次に出会うまで、俺を呼ぶ。
胸が潰れる程に、哀しい声で呼び続けるのだ。

此処に居ります。
俺は、此処に居ります。

 

「──── っ!!!」

布団の中、汗に塗れて跳び起きる。
急いで振り返れば恩綏は横で目を閉じ、安らかに眠っている。

本当か、本当に其処にいるのか。
震える手で、その頬に触れる。細い肩を布団ごと抱き締める。
温かい寝息を耳元に感じ、そしてその体温を腕に感じても、心の何処かが冷え冷えと凍り固まってしまったようだ。
「・・・恩綏」
囁いたその声は、部屋の明闇に溶けて行く。

障子窓の向こうはまだ薄暗い。
滴る汗を拭い大きく息を吐く。

昨日の龍馬さんとのあの後味の悪い話合いの所為か。
それとも長旅の後ようやく祖国へ戻ってきた所為か。

昨日は穏やかだった天候が今日は随分と荒れている。
外を吹き抜ける風が耳障りな音を立て、窓を揺らす。

眠り込むこの方をもう一度見つめ、その髪をそっと撫でて布団から抜け出す。

庭に面した障子窓を静かに開ければ、やはり雨降り。
天気は悪いが海とは逆側、宿の背側の空だけが紅い。
朝焼けなのか。となれば、この後雨が酷くなるのか。

庭へ出て宿の奥を振り返れば、背後に迫る山の稜線は今まで一度も見た事もない程に赤い。
「瑩」

気配に気づいたか障子を開け、龍馬さんの顔が覗く。
「いやっちゃ、しょうへごな空やいか」
「・・・火事という事はないですか」

後ろの山を目で指すと龍馬さんが庭へ出て来て、赤い山の稜線を確かめるように振り返る。
「きりめくさい事もなし、火事とは思えんがのぉ」
「念の為、後で見てきます」
「そうしとうせ、恩綏と一緒にな」
「ええ」

何処でも良い。少し歩いて、この気分を変えたい。
おかしな夢の所為でも、昨日の話の所為でも。
じっとしているよりは、あの方と山に登った方がましだろう。

離したくない。離してはいけない。
足許にだけ気をつければ、登れぬほど険しい山ではなさそうだ。
離さない、何が起きようと何処へ行こうと、あの方を我が身から
離す事だけは、絶対にしてはいけない。

龍馬さんの言葉に頷きながら、赤い山並を俺は見詰めた。

 

 

【海路 | 2015 summer request ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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