「ソンジン」
開けた扉から声を掛け、遠慮なく中を覗き込む。
ソンジンは医書を捲っていた手を止めて、入口の私に眸を流した。
「何だ」
「・・・都に、行くの?」
観察使との話を終えて、もうそろそろ七日が経つ。
詳しく分かれば教える。そう言われて七日。
ソンジンが、もしかしたら共に来てくれるかもしれない。
その期待を持ってから七日。
「色よい返事が返ってきたら、一緒に行ってくれるの?」
あの夜浅く斬られたソンジンの胸の傷は、殆ど癒えている。
そして七日の間、治療の呼び出しはかからなかった。
これ以上何もせず、無為に刻を過ごすなんて真平。
ウンスのように、とは言わない。でも自分が出来る事をしたい。少なくともそれを見つけに行きたい。
ソンジンは迷っている。私だって迷うだろう。
逢いたい人と逢えるかもしれない場所を離れて、新しい場所に行く。
もっと有力な手掛かりが見つかるかもしれない。
もしかしたら全くの徒労で終わるかもしれない。大きな賭けだ。
ソンジンは私の問い掛けに答える事はなく、医書を手に息を吐いた。
「分からぬ」
「・・・そう」
「決めねばとは思う」
「そうね。観察使の口振りでは、纏まり次第すぐに都へ発った方が良いみたいだったし」
「ああ」
ソヨンの問い掛けに即答は出来ない。
あの時ウンス、お前は言った。
逃せば次にいつ開くか分からない。だから離れる訳にはいかないと。
此処に居れば、どれ程待とうとこの天門の近くに居れば、いつかは再び開くかもしれぬ。
天門をくぐれば、劉先生かウンスかに会える世に戻れるかもしれぬ。
都の奉恩寺の光が、天門なのかどうかすら分からない。
行ってみて、もし違っていれば。
そして戻った時に、此処の天門が閉じていれば。
ウンス。賭けだ。お前に逢えるか、逢えぬか。
どの扉が開くのか。 観察使の言葉が全て真実とは思えない。
しかし全て嘘とも思えない。
劉先生が居らぬ今、俺が信じるのはウンス、お前の声だけだ。
─── 私を信じて、門をくぐって。
その言葉を、俺は信じる。
自分の勘を、俺は信じる。
此処で立ち止まる訳にはいかぬ。お前に逢うまで死ぬ訳にもいかぬ。
「観察使からの返答までには決める」
最後の惑いを断ち切るための大鉈を振るう、その勇気だけが必要だ。
*****
「ソヨン様」
昼過ぎの部屋の扉外、回廊からの呼び出しが嬉しかったのは初めて。
「観察使様よりの御文が」
私は部屋の中で弾かれるように腰を上げ、急いで扉を開けた。
恭しく差し出された文を開く手が焦っている。
私の宮中の医女扶育校への口利き。
ソンジンの御営庁入隊の武科挙は中人以下では受けられないから、特別な計らいをした。
身元は自身の遠縁になっていると書き添えてある。
文を読む目を上げ、首を傾げる。
ソンジンは観察使に尋ねた。何を得るのか。
本当だ。其処まで手を尽くし、観察使は何を得たいのだろう。
なぜそこまでして、ソンジンを宮中へ送りたいのか。
観察使まで昇れば、優秀な軍官の一人二人を推薦したところで取り立てて手柄と言う程でもないだろう。
何かを頼むと言うにしても、観察使に忠実な者は他にも大勢いそうなものだ。
そして続く但し書きを読んで、息を呑む。
王様が妓女の男関係を調べ上げ、相手をことごとく斬殺している事。
私とソンジンが知人と、宮中は疎か誰にも露呈しないようにする事。
宮中へ上がって私が扶育校に入り、ソンジンが御営庁に入れれば、それ以降は一切共に過ごす事はない。
たとえ宮中の扶育校であろうと、私の薬房妓生の立場は変わらない。
二人が知り合いと、ソンジンが私にとって大切な人と分かれば、王様の調べで分かってしまえば、ソンジンは斬り殺されるのか。
余りに皮肉だと、思わず口端に笑みが浮かぶ。
どこまでも、何があっても、私が何を望んでも、宮中へ上がった後あの男とは共に過ごす事は出来ない。
大切ならば隠しておくしかないという事だ。
あの男を守る為に、あの男を知らない振りをする。
卓の上に肘をつき、両手で頭を抱え込む。そういう事だったのか。
きっとあの男は清々するに違いない。これでウンスへの手掛かり、奉恩寺に日参する事が出来る。
私に守ってだの付き添ってだのと、無理強いされる事もなくなる。
私は医を学んで、あの男は衛について、そして、もしも奉恩寺でウンスへ戻る手掛かりが見つかれば、そのまま消えるのだろう。
もしかすれば、二度と言葉を交わす事も無く。
やっぱり昼過ぎの呼び出しが運ぶ報せに、碌な事はない。

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さらんさん
さらんさんのストーリーテラーとしての、お力は素晴らしいです!
私には到底考えつかなかった物語の広がりに毎日わくわくします。あれこれ妄想しながら、ソンジンは、はたしてどうなるのか?次はどの時代に行くのか?ヨンの様に現代?とか、果てしなく思いを巡らせるのが楽しいです。
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さらんさん❤︎、今日は朝から上司の随行業務で、先ほどようやく帰宅し、待ちに待ったお話を拝読することができました。
ソヨン…大好きなソンジンとともに宮中に、と喜んだのも束の間、他人のふりをしなければならないなんて…。
皮肉な運命ですね。
さらんさん❤︎、これからすぐに続きを読ませて頂きますね!
いつも楽しみな時間を、ありがとうございます(#^.^#)