星雨【弐】 | 2015 summer request・流星群

 

 

碧瀾渡を船で出で海の上で六日。
元へと渡り、その後大陸を十日。
地平線しか見えない地を馬で駆け続けに駆け、夜は野営を張り。
元の大都へ到着した二千騎の顔には、疲労が色濃く滲んでいる。

チェ・ヨンだけが常と変わらない涼しげな顔で大都の入口、出迎えた元の官軍の列を馬上から睥睨する。

「王命にて高麗より参った。
総指揮官高麗迂達赤大護軍チェ・ヨン、元官軍長との対面を願う」

淡々とした声をその場の通訳が、出迎えた隊列の中、高官と思わしき先頭の胡服の男へ伝える。
馬上のチェ・ヨンを見上げる指揮官らしき男に、チェ・ヨンは続いて懐より取り出した王の勅書を広げて見せる。

全く、役人という奴は。
遅々として進まぬ遣り取りにチェ・ヨンは太く息を吐く。
戦に来たのだ。さっさと反乱軍を鎮圧して帰らせろ。
その文書を手に取り高麗王の玉璽を改めた元の高官が頷くと、大都の宮殿への門を守っていた官軍が左右に割れる。

ようやくか。
痺れを切らしたチェ・ヨンが、馬上で後ろを振り向き声を張る。
「行くぞ」
「は!」

頷いた二千騎はチェ・ヨンを先頭に、元の官軍の作る道を真直ぐ宮殿へと向かい駆け抜ける。

 

大都で宛がわれた兵舎へ入ってすぐに、元側がチェ・ヨンを始め高麗軍の上官を呼びつけた軍議室。

室内の華美な色遣い、届く天上に至るまで細工を施した円柱。
胡風の丸い飾り窓。象牙や玉をふんだんにあしらった調度品。
見れば見る程うんざりする。
丸い飾り窓から射し込む光の中、チェ・ヨンは半眸で腕を組む。

元の力を誇張するような虚仮脅しなどいらない。
これからの作戦だけが知りたい。許す限り元側の戦力を見たい。
しかし此方をこれだけ待たせる、それだけで元の内部がどれ程揺れているのかが見て取れる。
本来であれば属国と蔑む此方に弱みなど見せたくなかろうに。
チェ・ヨンは口端で薄く笑う。

右丞相、托克托。軍にも宮廷にも相当の影響力を持つという。
その実力者が兵を挙げても鎮圧できぬ程、内乱が頻発している。
こうして高麗の手を借りる程、事態は逼迫しているという事か。

腕を組んだまま半ば眠ったように、チェ・ヨンは流れを読む。
内情すら知らされず、反乱軍を討てと此処まで来た。
自分が率いる以上は一人も欠けずに必ず戻る。それが王命だ。

部屋の扉の外から近付く気配に、チェ・ヨンが伏せた瞼を開く。
組んだ長い腕を解くと同時に、その扉が重い音で開かれた。

「高麗近衛、チェ・ヨン大護軍」

足音高く扉を抜け、入って来た十数人の列の先頭。
壮年の男が何の疑いも無い様子で上座に座ると、長卓に並んで着席した高麗軍の上官たちを見た。

チェ・ヨンは頭も下げないまま、着席した男を無表情に眺める。
作戦すら碌に知らされず、遠路を元まで旅をした。
皇帝トゴン・テムルへの謁見なら未だしも、名乗りもせずに室内へ踏み込んだ誰とも判らぬ男に名乗る名などない。
下座に着席した高麗からの各軍営上官らは上座のチェ・ヨンを気遣わし気に伺いながらも、名乗らぬままのチェ・ヨンに同調するようその場で口を閉じている。

「成程」
挨拶も無く着座した鎧の男は高麗の兵達の様子を眺めた後に言うと、その唇の両端を上げた。
「貴殿がチェ・ヨンか」
男の目が真直ぐチェ・ヨンを見る。チェ・ヨンは背を伸ばしたまま逸らさずその目を見返す。

「中書右丞相、托克托である」
ようやく名乗った男に向け、チェ・ヨンは低く名乗り返した。
「高麗迂達赤大護軍、チェ・ヨンと申す」
「遠路、ご苦労であった」
通訳を介し流れ出した空気に安堵するよう、両軍の兵達が息をつく。

「早速だが、この後の進軍路を伝えよう」
托克托の声に托克托に従っていた下座の男の一人が、長卓の上に革に張った大きな巻物を広げる。
チェ・ヨンはその図を覗き込む。どうやら近隣周辺の地図らしい。
その紙には中央に何本かの線と共に、山々の連なりのような線、都や町を表すらしき不規則な四角が点々と描かれている。

「ここが現在居る大都」
托克托は指先で、巻紙の上に描かれたの一つを指で示す。
「我々はこの大運河に沿って南下する」

大都と示した脇に描かれた線の一本をその指先が辿り始める。
これが元を支える大運河か。チェ・ヨンはその指を眸で追う。
「泰州」

指先がすぐに止まる。
「此処は参政が殺され張 士誠の手に落ちておる。まずは此処を逆賊より奪還する」
その声にチェ・ヨンは小さく頷いた。
「続いて興化」

托克托の指が次の点で再び止まる。
「そして高郵」

托克托は其処まで示して、チェ・ヨンの顔を見た。
「此処が現在逆賊の本拠地となっている。最も激しい戦となろう」
「敵の数は」
チェ・ヨンはその目を無視し、広げられた巻紙だけを追う。
「正確なところは知らぬ」

托克托はそう言って首を振った。
「分かっておるのは、逆賊の首謀者十と八名だけだ。
奴らは運河を行きながら、各地の塩丁や民らを味方に引き入れておる」
「敵は増え続けていると」
「そういう事だ」

それでは斬っても斬ってもきりがないだろう。この広い地だ。
増え続ける敵を相手に、延々と先の見えない戦に付き合うわけにはいかない。
チェ・ヨンはうんざりして、その地図をじっと見つめる。

托克托は苛立ちを隠そうともせず、吐き捨てるように言った。
「逆賊が掌握しているのは穀倉と塩。どちらも民にとっては喉から手が出るほどに欲しいものだ。
それをばら撒いて味方を増やしておる。国の動脈である大運河を、我が物顔に行きながら」
「成程」

元で続いている不作と疫病。民は疲弊している筈だ。
そんな時に朝廷に反旗を翻し豊富な物資を餌に釣れば、民心も否応なく煽られる。
紅巾族もその民心を掴み、白蓮教という一仏教からあそこまで膨れたと聞く。
そう判じながら、チェ・ヨンは頷いた。
「その逆賊の握る塩の産地は」
「ここ、淮東だ」

托克托の指した一点は、大都から下がった南にある。
「これ以上北上され、大都へ接近されれば面倒」
「物分かりが良いな」

驚いたような声を聞き流し、チェ・ヨンは巻紙に大きな掌を乗せ、その指で大運河を南より辿り始めた。
「某ならばまずは泰州、興化を討ち、高郵を無視して南下し、淮東を陥落する。
淮東を守ろうとすれば、敵も自ずと下がる」
「敵の目前をみすみす過るというのか」
「は」

塩も穀物も、いつまでも敵の手に渡るからまずいのだ。
絶てば手持ちの物資も何れは底をつく。
本隊が既に高郵へと移動済みなら、淮東は手薄になっている。
居たとしても主力ではない筈だ。主力が戻って来る処を討つ。

逆賊側もまさか元軍が自分たちを目前に素通りし、南下するとは予想していないかもしれないとチェ・ヨンは踏んだ。
此方の犠牲を最小限に、相手の大将首を討つなら誘き出せ。

チェ・ヨンの提案に托克托の目が、興味深そうにその様子を探る。
「民心を操る物資をまず絶ち、その後本隊を討つ。如何か」
托克托は頷きも首を振りもしないまま、じっとチェ・ヨンを見た。

どちらも目を逸らさないその静かな睨みあいに、再び部屋の中は風が凪いだような沈黙に覆われた。

「・・・面白い」
沈黙を先に破って托克托の発した声に、チェ・ヨンは頷き返す。

 

 

 

 

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