井戸底 | 2015 summer request・汗(ヒド&ウンスver.)

 

 

【 井戸底 】

 

 

額に浮かんだ粒が二つ三つ寄り、蟀谷の横を顎へ流れる。
顎から滴る水は、そのまま咽喉へと落ちる。
咽喉を滑り、鎖骨の窪みへ溜まり、其処を溢れて胸許へ真直ぐ流れていく。

「ヒドさん」
俺を見上げる女人の目が、熱で潤んでいる。
上げた髪、濡れた後れ毛を項に貼り付かせ、揺れる声で俺を呼ぶ。
「もう・・・」
「もう、何だ」
俺が繰り返すと我慢が出来ぬか、女人は瞼を閉じて息を吐いた。

「休みましょう。これじゃ脱水症状になる!」

普段ほとんど汗をかく事のない俺も、この暑さには閉口だ。
肚の息を整えても、やはり暑さには敵わん。

夕に起き出し、夜闇に慣れた眼に、昼日中の陽は痛すぎる。
女人の言葉に頷くと上衣の袷を指で僅かに開き、汗をじっとりと染み込ませ色を濃くした襟を抜く。
女人は白い顔を熱で上気させ、額にびっしりと汗の玉を浮かべておる。

「ヨンア、もういい。休もう、やっぱり無理!」
女人が声を掛けると邸の裏からあ奴が涼しい顔を覗かせ、庭の木漏れ日の中ゆっくり此方へと歩いてくる。

昼の陽射しに強い男は浮かんだ汗を手拭いで拭うと、熱で潤んだ女人の目に向かい、涼し気な眸で問うた。
「終いですか」
「きりがないのよ、どれだけやっても。典医寺の雑草と違うから、ヒドさんにばっさり切ってもらうわけにもいかないし」
「秋になれば留守が続きます。今やっておかねば」

そう言いつつこ奴は庭の隅の井戸へと向かい、釣瓶を放り込んで冷たそうな水を汲み上げる。
手に持った手拭いをそれで浸すと絞り、濡らした手拭いを持って此方へ戻って来ると、それを女人へ渡しながら、
「ヒド、大丈夫か」
汗を浮かべた己を、僅かに驚いたように見遣る。

「ああ」
「水を浴びてくれ」
そう言って顎で井戸を指すと、横の女人に
「イムジャも湯屋で湯をお使い下さい。汗が酷い」

ヨンの声に女人はぐったりと頷いて、ようやく縁側に下ろした腰を上げる。
「ヨンアにもヒドさんにも、無理させてごめん」
その声にこ奴が首を振る。
「コムでも細かな薬草の区別はつきにくい。今のうちに刈っておきたいのでしょう」

その声に女人は頷きながら
「でも、この暑さじゃ無理よ。刈って干す前にこっちが干上がっちゃう」
「まあな」

俺の声に諌めるような眸を向けた後、こ奴は首を振って女人を見た。
「明けと夕に少しずつ。俺が刈ります」
しかし女人は頑なに首を振った。
「それが困るんだってば。私がやるからいいの。あなたは」

始まった。俺は息を吐き縁側から腰を上げた。
「お主ら」
短い声に、二人の諍いが止まる。
「痴話喧嘩か」

その声に涼しい表情を浮かべていた男の顔が、初めて赤らんだ。

 

女人が湯を使うと言い残し、湯屋へと退いた後。
縁側に並んで腰掛け、タウンという女が置いて行った茶を飲みつつ、ヨンが庭を眺めて首を振った。
「小さいままなら」

何の事かと眼で問うた俺に横顔で笑うと、
「欲しがるまま、与えすぎた」
そう言ってこ奴は顎で庭を指した。
「あの薬草も、この薬木も。そうして増やし過ぎてこの体だ。
結局あの方に負担を掛ける」
その声に、緑色に埋まる目前の庭をぐるりと見渡す。
確かに女人一人だけで見ていくには荷が重かろう。

「不安なのだろう」
「・・・・・・」
縁側の横のこ奴は、黙ったままで俺を流し見た。
「あれもこれも。準備しておかねば不安なのだろう。お主に何か起きたらと」
全て薬だ。判っている。不安なのだろう。こ奴に何かあれば。
その庭の緑の多さは、そのまま女人の不安の顕れに思える。

もしこ奴が戦場で斬られれば。病を得れば。何か起きれば。
その不安と戦いながら、出来る限りの事をしたいのだろう。
例えそれが身の丈に合わぬ荷でも背負いたいのだろう。
こ奴が女人を護る為にのみ、望まぬ荷も負うと覚悟したように。

笑える程に似ておる。そっくりだ、この二人は。
俺は息を吐くと縁側から腰を上げた。
「井戸を借りる」
その声に頷くとヨンは逡巡した後、ようやく声を上げた。
「ヒド」
「何だ」
井戸へ向かう歩を止め、振り返る。
「まさかだよな」
「何が」

その不安げな声に首を傾げる。
「いや」
言いかけて止まった声に、喉で笑う。
「ヨンア」
「・・・何だ」

暑さのせいで頭が湧いたのは、俺もこ奴も同じ。
女人を助けるなどと、身の丈に合わぬ事を考えたのは俺も同じだ。
「お主が絡まねば関わらん。手裏房だろうが、あの女人だろうが」
「・・・知ってる」
「さて、どうかな」

俺の茶化すような声に顔を顰め、こ奴が首を振る。
「俺に、我慢辛抱がない」
「惚れておるな」
揶揄い声に、こ奴は心底厭そうに口許を歪める。
「認めれば楽になろうに」
それを認めるでも否定するでもなく、こ奴は首を傾げる。
「あの時もこう言えれば、変わったか」

あの時。いつを指すかは訊かなくても判る。
「ヨンア」
「いや。言ったつもりだったのに、何も変わらなかったな」
自嘲するような奴の声に、俺は首を振る。
「良いか」

俺の声音にこ奴が顔を上げ、正面から俺を見た。
「同じ声でも受け取れる奴、られぬ奴が居る」
「ヒド」
「どちらが悪いでも良いでもない。受ける器の問題だ」
「おい」
「今は聴けずとも、明日は判らん」
「・・・・・・ああ」
「待つ甲斐あると思えば待てば良い。そうでなくば行けば良い」

二度と笑う事などないと思った俺が、今笑うように。
陽の下を歩くなど思わなかった俺が、今歩くように。

明日は判らん。それは俺が、誰よりも知っている。

「受け取れなかった者を恨むな。そして受け取れる者を、絶対に喪うな」
「・・・ああ」

頷いて踵を返し井戸へと向かう俺を、後ろからヨンが見詰めている。
背に奴の視線を受けたまま、振り返る事はない。

俺を変えたのはあの女人ではない。
そこだけは若いこ奴には分からぬ。
その誤解を解く程、俺は優しくはない。
己の力を、素直に受け取れる奴になれ。
己が信じ、時間を掛けて尽くす事が、まるで池に水を落とすように波紋を広る。
その揺らぎが大きな波となり、何処かで思わぬ動きを起こすと知るのも必要だ。

こ奴にはその価値がある。
己の信じた道が結局他の者を導くと、波を起こすと知る価値がある。
いつかそれが、お主を必ず助けるはずだ。
その時に知れば良い。己がどれ程、他の者たちを揺り動かしたかを。

釣瓶を井戸に投げ込みながら、水を汲み上げようと底を覗く。

透き通る水を湛えた水底は、思うたよりもずっと上にあった。

昏いと思っていたその底には、青い夏空が映り、射す光が揺れている。

光る井戸の、明るい水底。

こんなものだ。明日は判らぬ。明るい水底を見ながら俺は微かに笑む。

 

 

【 井戸底 | 2015 summer request・汗(ヒド&ウンスver.) ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

汗、のお話を。
リクエストしたいです。

ヒドヒョンとウンスで。
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5 件のコメント

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    これはあの「草刈り」の続編になっているんですね~
    もしかしたら、ウンスの事を…ってヨンは心配してしまったのかな( ´艸`)
    ヒドはウンスと接して影響はあったと思うけど、大事な弟分の大切な人に横恋慕なんてしないよね^^
    次のお話も又楽しみにしています♪

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    さらんさん、今日も夏らしいステキなお話をありがとうございます。
    ヒドヒョン、すっかりウンスのファンになっていますね(#^.^#)。
    ヨンの心中は穏やかではないみたいですが…f^_^;)。
    井戸水も冷たくて美味しそうですが、一説ではピロリ菌が生じるとか…。
    かく言う私もこの春、ピロリがいることがわかり、除去しました。
    σ(^_^;)
    さらんさんの相続者たちも、読み応えあり、臨場感あふれるお話!
    拙い感想がさらんさんのお目にとまれば嬉しいです。
    (´・_・`)

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    ヒドが加わることで、物語がさらに厚みを増していきますね。
    「受け取れなかった者を恨むな。そして受け取れる者を、絶対に喪うな 」 
    人が生きる道のりで過ぎ去った人、今共にある人。私の人生の中でも同じ。
    昏いと思っていた井戸の水底には青い夏空と光が。。それが人生。
    ちょっと人生を長く生きたからわかることなんてなくて、今も昔と変わらずジタバタしながら、時に思いがけなく見えた青い空と光に歓喜しながら生きている。こうやって人は人になっていくのだと改めて思いました。
    そして、己の思うところを信じて生きてゆくとその先へとつながるものが生まれていくこともあるんだということも。
    さらんさん、ありがとうございました。
    とっても深い作品でした。。

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    さらんさん、「汗」をこんなに素敵に描いていただけるとは・・・ありがとうございました。
    真夏の陽の光のなか、額に汗するヒドヒョン❤生きてる自分をきっと感じてましたよね。
    恋してる可愛い弟ヨンを大切に思っている気持ちが、その存在を尊んでいる気持ちが伝わりました。
    結局、みぃんなヨンァのことが大好きなのよ、と言ったウンスの声が聞こえる気がします。
    ヨンとウンスの痴話喧嘩もあり、それを指摘されて照れる可愛いヨンにも会えて・・・とっても幸せでした。
    本当にありがとうございました!

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    井戸底で思い出した漫画。
    他の話を持ってくるのはナンセンスかもですが、「からくりサーカス」
    井戸底で満天の星空を見上げながら人形から「何か」になれたフランシーヌ人形。
    ヒドも少しずつ変わっていけたらな~
    誰かの何かになれたらなぁ。

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