夏暁【拾伍】 | 2015 summer request Finale

 

 

「ソヨン」
文を読んだ後、ふらりと出掛けたソンジンの声がする。
相変らずおかしな男だ。何処でも好きな処へ行けば良いのに。私の事なんて構う事もないのに。
結局こうして戻って来ては、律儀に声を掛ける。
「何」

部屋の中から声だけを返す。此処で変わらずに。此処から動かずに。
こうして暇を潰し貯めた財を食い潰して生きれば、呼び出しなど掛からなくてもしばらくはどうにかなるだろう。
ソンジンが居なくなったと分かれば、また遠からず男からの呼び出しが掛かるようになる。
診察という名目の、下劣な欲を満たしたいだけの呼び出しが。

観察使は此処を去り、ソンジンは都へ上がり。男たちはそうして役目に邁進し、己の信じる道を生きて行けばいい。
それに比べて女とは、どうしてこんなに不自由なんだろう。
己の行く道を貫こうとすれば生意気だと叩かれる。そして流されれば女を売りにしていると言われる。
何故男のように生きていく事を許されないのだろう。

両班は何故、人を踏みつけて許されるのだろう。
賤民は何故、命を懸け税を納め続けるのだろう。
妓女は何故、男への隷属を強いられるのだろう。
妓客は何故、金を払ってまで女を抱くのだろう。

そしてソンジンは何故、金を払ってまで抱きたがる男がいる私に触れようとしないのだろう。
私は何故、あれ程慕っている女を心の中に抱くソンジンの事がこんなに気に掛かるのだろう。

「何よ」
ソンジンの声は返らない。扉越しの影は背を伸ばして立っている。
「何なのよ」
重ねて尋ねる私の声に、扉向うの影からようやく声が返る。

「都へ行く」
「・・・そう」
扉の内側で少しの沈黙の後、どうにか声を絞り出す。
そう言うと思っていた。思っていたから驚かない。
行けば良い、此処へ来た時みたいに。
あんたは自由だから。誰にも何にも縛られずに、ウンスを捜して好きな処へ行ってしまえばいい。
「お前もだ」
「・・・はあ?」
「開けろ」

ソンジンの声に、部屋の中から慌てて扉を開ける。
扉の開いた勢いに驚いたのか目を眇めて私を見詰め、ソンジンは深く息を吐いた。
「静かに開けろ。ぶつかる」
「だって」
言い訳するような声を遮り、ソンジンが言葉を続ける。
「付き合え」

それだけ言って踵を返し、振り向かないまま歩き始めたソンジンの背中を追うために、私は慌てて沓を突っかけた。

 

*****

 

「何処まで行くの」
ソンジンは初めて出逢った丘へ向かって、迷うことなく真直ぐに歩き続けている。
「ソンジン!」
息を切らしながら道を上り、大きな木を横目にその草原を過ぎまた上って、そして降りて。

ソンジンは石造りの祠跡の見える道の行き止まりで足を止めた。
背しか見えない。けれどその背が落胆するように息をしたのが分かる。

振り返らずに、ソンジンは黙ってそこに立っている。
石造りの祠跡。崩れそうな祠跡を、じっと見つめて。

空からは傾きかけた夏の陽が射している。
地面には私達の影だけが焼き付いている。
「何なの」
私が小さく問うと、ソンジンはこっちを振り返らずに呟いた。
「天門だ」
「え?」
「俺が出てきた門だ」
「・・・あんた、一体何を言ってるの?」

ソンジンは振り返らない。振り返らないままただ言葉を紡ぐ。
「察しはついていたか」
「・・・何が?」
「俺がこの世の者ではないと」
「ねえ待ってよ、ソンジン。一体全体、何を言ってるのか」

崩れそうな祠跡へと近寄り、ソンジンは指先で石枠に触れる。
「この世の者ではないって、じゃあここに居るあんたは何なの」
「俺はこれをくぐって来た」
「祠を?」
「ああ」
「だって、見てよ!」

私はそう言ってソンジンの脇へと歩み寄り、祠跡を指で示す。
「分かる?ただの祠跡よ、すぐそこには壁もある。どうやってここをくぐるって言うの」
「くぐれるんだ」
「だから、どうやって!」
「この祠跡が光った時。強い風と、眩い光に包まれた時。
観察使が言ったろう。奉恩寺の本尊の祠が光る事があると」
「あの男の斑気には散々悩まされてきたわ。言ってる事もどこまで信じられるか分からない」

観察使の呼び出しで、意に染まないと手をあげられたこともある。
良い話だからと鵜呑みにするわけにもいかない。
誰も信用できない。両班なんて。男なんて誰もが同じだ、一皮剥けば。

「しかし言っている事が一致している。知らずに言っているなら尚の事。
風、光、消える者、飛び出してくる者」
「知ってて利用しようとしてるのかもしれないじゃない!」
「だとしても、利害は一致している」

ソンジンはゆっくりと、祠跡の石枠から指を離した。
「あの男は俺達を宮中へ引き入れたい。俺は奉恩寺へ行きたい。
お前とて、此処に居るよりは安心だろう。幾ら何でも宮中でお前に手を掛けるような愚かな男は居るまい」
「でも、王様の目に留まるかもって」
「それならば王を見張る。敵が少ないに越した事は無い」
「だけど」
「行くか、行かぬか」
「だって、そんなに急にいろいろ言われたって」
「たとえ宮中でお前と目を合わせずとも、守る」
「・・・ソンジン」

ソンジンの真直ぐな目を、私は見つめ返した。
「お前のやり方は好かん。しかし助けられた恩はある。
最後にお前を自由にしてやる。医官として生きられるように」
「国法があるのよ。医女は妓女でもあるの。どうやってそんな」
「最良の策は、常に単純なものだ」
「ソンジン!」
「ソヨン」
ソンジンはその低い声で、私の怒鳴り声を止めた。

「信じるか、信じぬか」

扉から、伝説の天門から出てきた。そう考えれば今迄の全ての辻褄が合う。
遥か昔の恭愍王様の時代の医仙、ユ・ウンスを知っている事。
そのウンスを恋い焦がれて追い駆けて、必死になっている事。
見た事もない着物を着ていた事。この先の丘に倒れていた事。

信じるか、信じぬか。

目の前のソンジンだって男だ。一皮剥けば、皆同じ。

信じるか、信じぬか。

だけど、私は。私は。
「・・・信じる」

あんたの脈を取った瞬間に、理由もなく突然溢れた涙を信じる。
あんたの手を握って立ち上がった瞬間の、胸の痛みを信じる。

祠跡の前、私の短い答えに、ソンジンは小さく顎で頷いた。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    さらんさん
    ますます展開が楽しみです。これは、もしや長篇に⁈
    ソヨンはウンスと何か関係が?
    あ~楽しみです。

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    さらん…さん、いつも心から感動できるお話を届けてくださり、ありがとうございます。毎回、小説に、心を揺り動かされています。これ程の大作を、お仕事を持ちながら書き続けていくのは、大変なことだと思います。…でも、そう思いながらも、楽しみに待っています。私も、ヨンが大好きです!もちろんウンスも。さらん…さんの描くヨンは、ドラマのままです。益々、ヨンを忘れられなくなります。今書いているソンジン、吾亦紅・Xリクから読んでいるので、幸せになってほしいな…と思います(でも、ウンスはヨンのもの!)。この後、みんな、幸せになってほしいな!もちろん、さらん…さんも(^-^)v

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