星雨【参】 | 2015 summer request・流星群

 

 

焚かれた赤い篝火の中、兵舎の中を行き交う兵達を窓の下に眺め、チェ・ヨンは窓からゆっくりと離れた。

軍議の終わった夕刻。見慣れない夕空の下。
見慣れない兵舎の庭を、見慣れない鎧姿の異国の兵が行き交う。

頭に白布を巻く西域人は胸と背を覆う鎧の下、白長衣の裾を夕風に靡かせている。
見た事も無い毛色の馬。大きく反った半月刀。

かと思うと編んだ髪を長く垂らし獣毛を使った帽子を被り、皮の腕貫や脛当を纏い、見た事も無い程に長い弓を負う兵。

意味の分からない言葉でその兵たちが互いに交わし合う声。
チェ・ヨンの耳にはまるで異国の楽器の音色のように響く。
それを耳に設えられた兵舎の部屋の寝台に寝転び、チェ・ヨンは眸を閉じた。

目が醒めれば戦場だ。

 

死なないで。

その声が聞き慣れない異国の簫の音の中で唯一つ意味を持ち、チェ・ヨンの鼓膜を震わせる。

死なないで。

チェ・ヨンは立ち止まり、辺りに目を走らせて声の主を探す。

そこにいる?

この声を知っている。覚えている。待って来た唯一人の女人。
何処にいる。

行かないで。

何処にも行ったりしない。あなたを待って来た。
待って待って、こうしてようやく逢えた。
あなたこそ何処にいるんだ。戻って来てくれたのではないのか

「イムジャ」

 

寝台の上、見慣れない天井に向かい眸を開ける。

丸窓の切り取る空は昏い。月の姿は無く星だけが瞬いている。
月に比べて淡過ぎるその光は、部屋に影を落とすには程遠い。

あの方が元にいるはずなど無い。声が聞こえる訳が無い。
耳元で聞こえた余りに生々しい声、温かい息遣いさえ残るような感触を追い駆けるように、チェ・ヨンはもう一度眸を閉じてみる。

せめて夢でも、もう一度。

身動ぎもせず深く息を整え、再び襲ってくる眠気を待ってみる。
けれど一向に戻らないそれを待つのに飽き、諦めて身を起こす。

窓に近寄り外を眺める。星の下、何処からか簫の音が聞こえる。

戦を前に何処の風流人が奏でているのだ。
眠りを妨げられた苛立ちを抱え窓を離れると、チェ・ヨンは部屋の扉から表へ飛び出した。

 

音を頼りに星の下を歩く。
幾ら敵が大都から離れているとはいえ、出征の前夜に筝を奏でるゆとりがあるなら面を覚えておいてやる。

表庭を抜けたチェ・ヨンが裏の木立へと回る。
鬱蒼と茂った木々は淡い星明りの下、伏せた巨大な熊のように重く迫って来る。

その木立の前で洞簫を手にした人影を見つけ歩を止めた。

簫の音が止む。
洞簫の吹口に伏せていた顔が、ふと上がる。
星の光の中に浮かぶ軍議で見かけた顔に、チェ・ヨンが呼んだ。
「・・・托克托殿」
托克托は気まずい姿を見られたとでもいうように、苦く笑って小さく頷いた。
「チェ・ヨン殿か」

手にしていた簫を下し、托克托は腰の革袋に簫を仕舞いこみながら首を傾げた。
そして元の言葉で何か言ったが、言葉に不慣れなチェ・ヨンには聞き取れない。

チェ・ヨンは黒い森を背負い、その場に立つ托克托を見る。
肚が読めないのはお互い様だ。言葉も通じない。
しかし此方に顔を向けている間は、背を見せる事は出来ない。
元の有力者という目前の男は、チェ・ヨンにとって元の象徴。
元の為に退く気も、死ぬ気も、己の兵を死なせる気も無い。

「起きていたか、と」
後ろから小さくかかった声に、チェ・ヨンが頷く。
チェ・ヨンが部屋を飛び出す気配にその背を追って控えていたテマンが、托克托の声を訳したのだ。
「簫に起こされた」
昏い空の下、チェ・ヨンの声を伝えるテマンの声が小さく響く。
「風流な目覚めだな、と」
それでも動こうとしない托克托に、チェ・ヨンは眸を向け続ける。
その時
「高麗の王には、お変わりないか」
急に高麗の言葉で托克托が訊いた。
「話せるのか」
「私は宋史を編纂した。倭国の事も、高麗の事も載せている。
多少とはいえ話せねば、その背景も知る事は出来ないだろう」

托克托はチェ・ヨンを見ながら、ゆっくりと頷いた。
「そなたの王、王祺殿が禿魯花として元にいらした当時には、幾度か直接お目にかかっている」
「王様と」
「当時私は都総裁官だった。宋史の編纂に関わり、王祺殿の周辺の者からも話を聞いた事があるのでな」

成程とチェ・ヨンは無言で頷いた。
禿魯花とは体裁の良い人質ではあるが、こうして元の高官と顔繋ぎをする意味もあるという事か。
禿魯花に出されることも無かった。
自分にそう不安げに小さく呟いた若き君主もいらした。
禿魯花の頃を屈辱の時と捉える王様。
禿魯花の時代の無い事に怯えた媽媽。
慶昌君媽媽の果たせなかった分まで王様の理想を、望みを、必ず果たして戻る。
それこそが王命。自分が今こうして敵国の高官と向かい合う唯一の理由なのだ。

「その直後、父の冤罪で職を辞したので、尚更覚えておる。
流浪の身になったのはそなたの王と同じだなと」

王を流浪の民扱いする声に、無表情に托克托の声を聞いていたチェ・ヨンの黒い眉がぴくりと動いた。
「悪気はないぞ」
托克托は弁解するように言って、首を振る。
「ただその後に王祺殿が王として即位され、高麗へ戻られて安堵したのは確かだ」

話し過ぎたのを省みたか、それとも明日の出立が早いのを思い出したのか。
托克托は簫を仕舞った革袋を握り直し、薄闇の中で言った。

「明日から暫し呉越同舟だ。たとえそなたがどれ程にその船に乗り合いたくなかろうとな」

 

 

 

 

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