錦灯籠【終章】 | 2015 summer request ・鬼灯

 

 

「やはり、死産だったそうです」
翌朝トクマンは私室を一人で訪い、言い辛そうに呟いた。

その言葉の重さには余りにそぐわぬ明るい朝。梅雨開けはもう間近だ。
長雨に洗われた空は青く、雲は白く、陽は眩しく、そして蝉声は大きくなっている。

季節は移っていく。何処で誰が泣こうと傷つこうとその流れは止められん。
ただ泣く者の、傷ついた者の胸の中でだけ刻が止まり、其処から永遠の寂しい野辺送りが始まるだけだ。

「そうか」
「ただ問題は、アラがそう信じていない事です」
「信じていない」
トクマンは苦しそうに俺から目を逸らした。
「父親が・・・分からないそうで」
「赤子のか」
「はい」

あの薬師が春を鬻ぐような類の女には見えん。
赤子の父親が分からない。それが意味する事は俺にも判る。
そうして殺しても飽き足らん悪事を犯す男がいる。それが事実だ。
マンボにでも知れれば喜んで包丁を振るうだろうに。

「産気づいた時期もおかしいと。数え月よりずっと早かったと。それが折悪しく、親から渡された薬湯を飲んで直だったので」
「親に一服盛られたと思っているか」
「・・・はい」

キム侍医は言った。
月水流しをするならば、生を享けて不幸になる事が明白な時。

本当に親がそうしたとすれば、親にとっては孫に当たる赤子の不幸が明白だったのだろうか。
しかしもしそうでなければ、親に手を下されたと信じている今の娘は不幸ではないのだろうか。

見る処により幸不幸は変わる。故に手を出さぬと侍医は言った。
本当だ。本当にその通りだ。

親が渡した薬湯は、本当に月水流しの薬だったのだろうか。
毒になる薬があり薬となる毒がある。紙一重なのだろうに。
誤ったのは薬師の親だったのか、薬師本人だったのか。
今となっては、答の探しようもない。

「庭に葬った後、そこから植えてもいないほおづきが、どんどん生えて来たそうです」
「あの場所か」
「はい」
「何かに種がついておったのだろう」
「恐らくそうだと思います。若しくは誰かが後から植えたか」
トクマンはそう言って、深く息を吐いた。

「アラは薬師は辞めたいと。薬房も閉めたいと言っていました。後は己のそして今まで流した子を弔って、静かに過ごしたいと」

薬師の所為だけではない。あの時本人は言っていた。
薬効は伝えた、その上で飲む飲まぬは本人次第だと。
あれは、自身に言っていたのだろうか。それとも相手にか。
騙し討ちの如く薬を盛られた己に比べれば選べるだけ良いと、最後は己で決めろと、訪う女人達に言いたかったのだろうか。

「好きにさせれば良い。約束だ。咎だけは及ばぬようにする」
「ありがとうございます」
トクマンは頭を下げ、部屋を出る寸前にふと足を止めた。
「来るなと言われたのに、済みませんでした」
その声に首を振る。
「昨日は正しかった」

もしも俺のところ以外に行けば、あの薬師は子の場所が判らず何を仕出かしたかも分からん。
そう考えればトクマンは珍しく、正しい時正しい場所にいたわけだ。
「アラが大護軍と医仙に、礼を言ってました」
「礼を言われることはしていない」
「ただ・・・」

言い淀むトクマンに、続きを眸で問うと
「二人とも、変わった人だと。他人の世話ばかり焼いていると・・・」
トクマンは痞え痞え言った。
「焼かずに済むなら一番だがな」
「大護軍の言う通り、壺を渡しに行きます」
「・・・そうしてやれ」
「はい」

土塊になるのが我慢ならぬ程、布で包む程愛おしいなら。
一人きりの野辺送りを続けるならせめて布だけではなく。
世話焼きと呼ばれた俺の、最後の節介だ。

頭を下げ部屋を出て行く奴の背中を眺め、息を吐いて立ち上がる。
王様に、ご報告に行かねばならん。

 

「ねえ、キム先生」
ウンス殿の声に、卓の書き物から目を上げる。

呼んだご本人は診察部屋の窓際の椅子に腰掛け脚を揺らして、窓外の薬園で盛りを迎えたほおづきを見詰めていらした。

先日の私とチェ・ヨン殿の話が耳に入った気配はなさそうだ。
ほおづきを眺めているのは、単なる偶然なのだろうか。
「ほおづきって堕胎薬だけど、他にも使い道はあるわよね?」
「勿論です。咳や痰、解熱。手足の冷えにも効きます。利尿の効果が高いので、黄疸や水腫にも用います」
「ほおづき以外にも、そういう薬草って多いわよね?」
「そういう、とは」
「妊娠中には、毒になる薬草。流産を誘発する薬草」

やはりあの折のチェ・ヨン殿と、全く同じ事を聞かれる。
私は改めて指を折り始めた。

「瘀血、気鬱、頭痛、貧血、浮腫。
どれも妊婦を悩ませる病ですが、それに効く薬草が、腹に子を宿している時は毒となる事があります」
「うん」
「月見草は、瘀血と貧血を正し気鬱に良い。子を孕んだ女人以外には老若問わず良いでしょう。
母菊も冷えにはよく効きますし、月の道を正します。
丹参は食事に使う分には構いませんが、煎じ薬はなりません。
牡荊は乳の出を良くしますが、出産までは駄目です。
苛草も貧血や気鬱、頭痛に効きます」
「・・・そんなに?」
「葛根はより厄介です。葛根の中でも秦国野葛根は白肌、豊乳、冷えや浮腫改善、肌の衰えや心身強壮。
女性が欲しがる効果が山ほど含まれますが、やはり子を宿している時にはいけません。
しかし通常の葛根ならば、妊娠中の風邪寒邪に用いますから」

次々と挙げて行く効能に、ウンス殿は首を振って息を吐いた。
「何であっても診立て次第で毒って事よね」
「ええ、おっしゃる通りです」
「中でもほおづきが、堕胎薬として有名な理由はあるの?」
「酸漿の効き目が高いのが、まず理由でしょう。根も実も堕胎に用いるのも。
ひとつの実に種が多く詰まっていますから、爆ぜれば毎年勝手に実がなり、手に入りやすいのです。
実も形ですぐに判る。薬草に詳しくない民でも、間違う事が少ないからでしょうね」
「なるほどね」
「酸漿の所為か色の所為か、輝血や鬼灯とも呼ばれますが。
元では紅姑娘、金灯、錦灯籠などとも呼ばれます」
「それ全部、ほおづきの呼び名なの?」

ウンス殿が驚いたように、窓の外を赤い実に改めて目を凝らす。

「ええ。形のせいか、提灯に見立てられることが多いのでしょう。
魂が迷わぬように、仏前などに供えるところもあるようです」
「悲しいわね」
「え」
ウンス殿の言葉に驚き、己の知識自慢の声が詰まる。

「ほおづきで命を奪ったのに、その魂が迷わないように、またほおづきを飾るなら、哀しいわ」

ウンス殿は窓の外に揺れる赤い燈籠を見ながら、淋しそうに言った。

私にはそうした考えはなかった。
ただ薬効を調べ、確実に効く毒とそうでない薬を分別する。
毒になる薬草を見ても、哀しいと思う事はない。
但し取扱いには細心の注意を。そう思うだけだった。
呉呉も無関係な者を、この手で傷つけぬように。

ほおづきは、そうか、哀しい草なのか。
この方の目には、そのように映るのか。

「媽媽に使う時には、どの薬草でも、細心の注意を払うだけ。
絶対体に悪いものは出さない。私に出来るのはそれだけよね?」

ウンス殿がそう言って、声の最後で私を振り返る。
静かに頷いて、その目をじっと見つめる。
「私も、勿論トギも居ります。いつでも聞いて下さい。毒に関しては自信がありますから」

その声に、笑って良いやら惑われたのだろうか。
小さく苦々し気に中途半端な笑みを残し、ウンス殿はまた窓の外へ目を投げかけた。

もう、夏が始まっている。
白く熱い陽射しの下、燈籠の実は日に日に濃い赤色を増す。
そこに哀しさを見る事は出来ず、私はその実を凝と眺める。

雨上がりを歓ぶ蝉の鳴き声の中、その実は輝血の名に恥じぬ毒々しいほどの赤さで、そこに静かに揺れている。
ウンス殿にはその風景が、魂が迷わぬよう灯す錦灯籠の行列に映るのだろうか。

見る者次第、その心持ちにより、目に映る景色は色すら変わる。
僅かな興味を引かれながら、窓の外の夏。
私たちは無言で並び、その景色を見詰めつづけた。

 

 

【 錦灯籠 | 2015 summer request ・鬼灯 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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1 個のコメント

  • 読めるようになり改めて錦灯籠を読み過去に経験したこと二つを思いだし言葉に成らない複雑な心境になりました。男は…女は…きりがない。強いていうならどんな理由や事情でも大小関わらず子供に罪、責任はない。それだけはいえるな…と思いました。ありがとうございますm(__)m

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