錦灯籠【拾壱】 | 2015 summer request ・鬼灯

 

 

離れに向かう小雨の中。
庭を急ぎながら、私は横のタウンさんへそっと声を掛けてみる。
「タウンさん、離れに誰がいるの?」
「ウンス様」
「あんな風に不自然に呼び出されたら、さすがに分かるわよ?」
「・・・謀るつもりは、決して」
タウンさんは雨の中、足を止めて頭を下げる。
私は首を振って、タウンさんの袖をそっと引いた。

「もちろんそんな事思ってない。不思議だったの。タウンさんならまずヨンアに言うかなあって思って」
「突然のお客様だったので、コムと相談して、無断でお屋敷に。申し訳ありません」
「謝る事なんてなんにもない。コムさんとタウンさんが決めてくれて、全然構わないの」
「あの迂達赤の方にはまだ、お伝えせぬ方が良いかと思ったので」
「トクマン君?」
「ええ」
そう言いながら、タウンさんが離れの戸を開けた。その途端
「医仙!」

そこに立つ背の高い若い女の人。
そう呼ばれても一瞬わからずに、私はきょとんと立ち尽くした。
でもこの背の高さ。意志の強そうな眉。今は雨で、びっしょり濡れた黒い髪。
雨じゃなく涙に濡れた白い頬。青い唇。泣き腫らした真っ赤な目。
「・・・アラ、さん?薬師の?」
「返して!!」

そう言って、アラさんはいきなり私に手を伸ばした。
その瞬間、タウンさんがアラさんと私の前に、踊るように立ちはだかる。
いつ抜いたのかすら気づかなかった、その細い手に私のものより一回り長い剣を構えて。

「・・・タウンさん、大丈夫」
私がタウンさんの顔を覗き込んで伝えるとタウンさんは頷いて息を吐き、もう一度アラさんをじっと見た後に、私たちの間から一歩よけた。
そして伸ばしたままのアラさんの手が、私の両手を痛いくらいに握る。

「トクマニが連れて行ってしまったはずだ。家に帰ったら、庭のほおづきが抜かれていた。あの子を返して!!」
「あ、アラさん?」
「皇宮まで行ったら迂達赤の隊長と言う人が出て来て、トクマニは大護軍のところにいるはずだと。お願い、トクマニに頼んで。
あの子を返してと頼んで、お願い!!」

叫び声を聞きながら、新しい涙が次から次へと零れるその赤い目を、私は何も返せずに覗き込む。
「アラさん、落ち着いて。トクマン君は来てる。もう大丈夫、ここにいる」
私の両手を強く握りしめる手を、そっと揺らしてみる。
力が抜けてゆっくり離れたその手を逆に握り返して、握ったままその場にゆっくり腰を下ろす。
アラさんは魂が抜けたみたいにそのまま私と一緒に、ぺたりと床に座り込んだ。
アラさんの白いパジは、膝辺りまで泥が跳ねて真っ黒に汚れている。どれだけ走ったんだろう。こんなになるまで。

「茶を、淹れて参ります」
穏やかな声に私が目で頷くと、タウンさんの姿は戸口から消えた。
「う、いそん」
「うん、アラさん」
泣きじゃくりながら、必死に言葉を続けるアラさんの背を撫でる。
「まず、ゆっくり息をして。吸って、吐いて」

けれどアラさんは、首を振って私をじっと見つめる。
「返して、下さい」
「大丈夫、トクマン君と一緒にいるなら大丈夫だから」

分からないまま、どうにか落ち着かせるためにアラさんに告げる。
トクマン君は、子供なんて連れて来てない。
だけどそう言ったら いけない気がする。
まずはアラさんを落ち着かせなきゃいけない。

「離れたことなどない。きっと淋しがっている」
「アラさん」
「すぐ帰る。あの子を連れて」
「うん、分かった」
「ウンス様」

アラさんを宥めていると、扉外からタウンさんの声がする。
「大護軍とトクマンさんが、お話したいと。どうしますか。ここでお話するか、母屋へ戻られますか」
「ここ、借りても平気?」
「勿論です。お呼びしてきます」
タウンさんの声が言って、そのまま扉の外は、また静かになった。

どうなってるの?
トクマン君がズブ濡れでうちに来て、お風呂に入ってご飯を食べて。
それで何で、アラさんがうちに来るの。あの子って誰?
トクマン君は誰も連れて来てない。少なくとも私は見てない。
ただ何か包みを抱えて来てただけ。誰か連れて来てれば絶対わかる。
お風呂もご飯も、トクマン君は 一人だった。
だけどアラさんがお芝居してるとも思えない。そんな必要もない。
第一、あの怖いほど冷静だったアラさんが、こんなに泣くなんて。

「・・・イムジャ」
その時、扉の外であの人の静かな声がした。
「どうぞ」
そう言うと、扉が静かに開いた。

薄暗い庭を背景に、霧雨の外に立ってるあの人とトクマン君。
座り込んでたアラさんがいきなり立ち上がって、戸口に立ってるトクマン君に体ごと突っ込んだ。

そしてそのままフルスウィングで、 トクマン君の顔を思いっきり平手打ちした。

離れの部屋に、ものすごい音が響いた。
余りの成り行きに私もあの人も、思わずぽかんと口を開ける。

驚いた顔のトクマン君に、次にアラさんはその胸と言わず肩と言わず滅茶苦茶に殴りながら、喉が裂けるくらいの大声で絶叫した。
「何処に連れ出した!!あの子を何処にやった!!」
「大丈夫だから」
「返して、早く、早く返せ!!」
「・・・此処にいるから落ち着け、アラ」

トクマン君は殴られた真っ赤な頬のまま、降る雨から庇うように懐にしまっていた深紫色の小さな包みをそっと出して、アラさんに見せた。
アラさんはそれを見ると、震える手で包みをトクマン君から受けて、そのままぺたんと扉口に腰を下ろした。
そして包みをぎゅうっと胸に抱いて、心からほっとしたみたいに俯いて、泣き声で呟いた。

「アギ・・・」
赤ちゃん、って。

ああ、そうか。そうだったのね。だからあんなに泣いてたのね。
だからか。だからあんなに冷徹に、患者を客と言い切ったのね。

私はそう思いながら、あの人もトクマン君もきっとそれぞれの想いで、泣きじゃくるアラさんを無言のままじっと見つめていた。

 

*****

 

「黙ってこうしたことは悪いと思ってる」
「・・・・・・」
離れの部屋の中、4人で膝を突き合わせて座る。
「済まん、アラ」
頭を下げるトクマン君に、ようやく泣き止んだアラさんは赤い目を伏せたまま、うんともすんとも返事をしない。

「ただな、お前も分かるだろう。子を喪ったらどんなにつらいか。
それを、他の女人にも味わわせてるんだぞ。それは絶対に駄目だ」
「・・・・・・」

さっきはアラさんがあんまり動揺してたから、下手に動かさない方がいいと思って、離れを借りちゃったけど。
「ヨンア」
トクマン君と、アラさんと、2人きりの方がいいのかもしれない。
私たちが聞いちゃいけない話のような気がする。
「行こう」
私の囁きにこの人は頷いて立ち上がり、トクマン君の肩に手を置き、静かに離れの扉に向かう。
私も立ち上がって、その大きな背中をそっと追いかけた。

母屋に向かって、薄暗い雨の庭を二人で歩く。
「死産なのかな・・・」
私の独り言に、ヨンアは前を向いたまま、静かに返した。
「骨は残っていました。そうかもしれん。違うかもしれん。
ひたすら詫びの言葉を並べた紙が、共に包んでありました。」
「そう・・・」

門に立っていたコムさんとその横のタウンさんが、母屋へ向かう私たちへと駆け寄って来た。
「ヨンさん」
「何だ」
「無断で勝手をしてすみません」
「何が」
「俺が通しました。あの女人を」
「コム」
「はい」
「お前の見る目は信用できる」

この人は少し笑って、コムさんに頷いた。
「通す通さぬは、お前が判じて構わん。迷った時だけ聞け」
それを聞いて頷いたコムさんに
「何しろ最近、我が家は千客万来だからな」
疲れたような溜息と一緒に呟いた声に、私は首を傾げる。
「最近って・・・今日のトクマン君と、アラさんだけじゃない」
「・・・ああ、ええ」

ふと見るとタウンさんもコムさんも、私からさりげなく目を背ける。
何?私、なんかまずい事言ったの?
みんなの顔を順番に見ても、誰も教えてくれそうもないし。

「・・・取りあえず、こんなところにいたら風邪ひいちゃう。
みんなで居間でお茶でも飲もう!コムさんももう戸締りしてくれたし」
門の内閂が掛かってるのを確かめて、私はどうにか笑って見せた。

私が落ち込む権利なんてない。私が落ち込んでもどうしようもない。
タウンさんやコムさんに心配を掛けたくない。
そしてもちろん、誰よりこの人に。

きっと誰より辛かったのは、あのアラさんだから。
笑っていれば大丈夫。私が今できるのはそれだけ。
いつかトクマン君が、もしかしてアラさんが何か話したいと思った時、ただ黙ってそこにいて聞く事だけ。

夏が近い。庭の雨も、春とは違う匂いがする。
その中を4人でゆっくり母屋へ歩きながら、一度だけ肩越しに離れを振り返る。

気付いてくれるといいな。
私も、そしてもちろん誰よりトクマン君が、アラさんの声を待ってる。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    さらんさん、小雨降る夜にじっくりと拝読させて頂きました。
    いつもながらの情景描写見事なお話をありがとうございます。
    やはり…。
    朱色のほおづきの群れの下に埋められていたのは、アラの悲しい過去だったのですね…。
    阿吽の呼吸でトクマンとアラの心に寄り添うヨンとウンスも、きっと心が痛いでしょうね。
    特にウンスは婚儀を前にしている時期だし、医師でもあるし…ですね。
    さらんさん、クリスマスに続き、夏ワードリクエスト企画はどのお話も順位がつけられぬほど素晴らしいです❤
    おっと、美容のためにも充分な睡眠をおとりくださいね。
    お互いに幸せな夢がみられますように。
    おやすみなさい❤

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