錦灯籠【漆】 | 2015 summer request ・鬼灯

 

 

酒楼を後に、細雨の中を川沿いに行く。

マンボの言う通り酒楼を出てほんのわずか歩いた処
白く霞む雨景の中、眸を奪うような赤い一角が見えて来た。

低い垣の向こう、大きく頭を伸ばした枝。
雨に揺れる、色づき始めた赤いほおづき。

恐らく此処だろう。目星をつけ川沿いの表道を曲がる。
万一にも治療中なら面倒な事になり兼ねん。
まずは様子を探ろうと、 一本裏路地に入る。
小さい敷地だ。二度曲がると裏口と思しき戸が見える。
誰何されれば薬を求めに来たとでも言うか。

戸口へ踏み込もうとした途端、中から聞こえてきた罵声に足を止めた。
「勝手に薬を出しおって!!」

続いて何かをひっくり返すような大きな音。
俺はそのまま戸内へ迷いなく進む。

開いた扉の中から聞こえてくる男の怒鳴り声。
「どうしてくれる、子は二度と戻らんのだぞ!!金を払え!!」
「お前の女に頼まれただけだ。此方の与り知る事ではない」

覗いた扉の中、典医寺の薬員の着るような白麻の上下衣に白い髪隠しを被った、丈高い女が一人。
部屋の中にはひっくり返された卓、周囲に飛び散った鉄瓶。結構な暴れぶりだ。
大きく割れた物はない。怪我の心配もなかろう。
先程の音は卓がひっくり返された音だったようだ。

その卓前で男が激昂している。いや、激昂した振りか。
それが証拠に次に何を振り回してやろうかと、その目が室内を物色している。
出来るだけ派手に、壊れやすいものを振り回せば、効果があるとでも思っているのだろう。

女の薬師を怖がらせ、怯えさせて金を毟り取ろうという事か。
反吐が出る。
「金を払うか、子を元に戻すか、どちらかだ!!」
「お前の女に言うんだな。攫ってきたでも、無理に流したでもない。
高い金を払い薬を求めに、わざわざやって来たのはお前の女の方だ」
「それならば役所に申し出てやる。お前が法度に背いて、こうして裏金を稼いでいる事をな!!」
「ああ、構わない」

女は顔色も変えぬまま、低い声で言った。
「私は咳や痰、解熱に用いる酸漿を妊婦に与えた。それは事実だ。
ただし高価だと言った。飲めば子が流れるとも。
それが全て判っていても欲しいと言われれば、薬師をしては出さぬわけにはいかない。
必要な薬を、作用を伝えて処方して、飲んだのは其方だ。それを責められて薬師は如何すれば良いやら」

大した根性だ。踏み入った戸口の前、懐手に俺は喉で笑う。
目の前で暴れる男より、この薬師の方が余程肝が据わっている。
しかしそんな呑気な笑みも、男が薬師に手を伸ばした瞬間に消える。
男が女に手を上げるのだけは看過できん。
「貴様!」

伸ばしかけた男の手首を女の白衣の胸元寸前で捉え、捻り上げながら低く告げる。
「まあ落ち着け」
「誰だ!」
「皇宮迂達赤、チェ・ヨン。王命によりこの薬房を内偵していた。
お前の身元を教えろ。お前の子が流されたのだろう。詮議に呼ぶ。
その詮議の場で証人として、薬師への恨み辛み、晴らせば良い」

俺の言葉、そして捻られた腕の痛み。
何方にも仰天するよう男が顔色を失くす。
端から金の欲しいだけの男だ。面倒は避けたがろう。

「悔しいのだろう、子を喪って。
月水流しが禁じられていると分かっているのに、お前の女房がそんな目に合わされて。
それならばお前達に咎は及ばぬ。望んだわけではなかったと判れば。
だから素直に教えろ。全てじっくりと、調べてやるから」
俺の低く穏やかな甘言に、男は脂汗を流し始める。

犬にも劣る。
子を要らぬと言ったのも、女に月水流しを命じたのも、金を集りに来ているのも大方この男の浅知恵だ。
相手が伴侶かどうかもこの調子では分かったものではない。
赤の他人ではないにしろ、妾あたりなのかもしれん。

そうでなくば女を連れて来ているはずだ。
子を喪って一番悲しむのは恐らく、母であるその女のはずだ。
あの方もマンボも。見ているだけで判る。
実際に子を産んだか産まぬかではない。女人の心は男には計り知れん。
未だ子を持たぬあの方も、今まで子を持たぬマンボも。
女人とはそんなものかもしれん。
だからこそそれを逆手に利用するこの手合いは男の屑だ。

「どうした。早く教えてくれ。
さもなくば証拠がある薬房をこれ以上荒らされる訳にいかん。手を離してやれん」
男の耳許で低く伝え、握った手首に骨を傷めぬ程度の力を籠める。
「このままでは、折れてしまう」

正しくは、折ってしまう。その胸糞悪い言葉を聞き続ければ。
脅しではない俺の声と力加減に、男は蒼い唇から呻き声を上げた。
「証人には、なってもらえんのか」
その問いに男は唸る。
「残念だ。ならばこの先この薬房には二度と立ち入るな。良いか」
脂汗を流しながら横目で俺を見て、男はどうにか頷いた。

「これより先は迂達赤の目が光っている。安心しろ。
お前のような “被害者”は、もう二度と出さん」
そう言って握っていた手首ごと、男を思い切り突き放す。
男はひっくり返っていた卓に足を取られ、その卓で体を強か打って床へ倒れ込んだ。

「二度と来るな。此処には迂達赤がいる。薬房は開京中に在る」
最後に声を掛ける。
男は掴まれていた手首を庇いながら頷き、ようよう立ち上がると扉から駆け出て行った。

倒れていた卓を片手で起こし部屋の隅へと立て掛ける。
振り向くと薬師の女が、流石に驚いたような目で此方を見ていた。
その女薬師に向かい小さく顎を下げる。
「迂達赤、チェ・ヨンだ」
「・・・本当だったのか」
「何がだ」
「本当に、迂達赤だったとはな」
何処まで肝が据わっているのか。
鉄瓶が放り出された床に座り、髪隠しの帽子の上、額に手を当てて女は低い声で笑い始めた。

 

*****

 

「トクマニの幼馴染だそうだな」
「・・・ああ、あなたがそれでは、噂の大護軍か」
部屋の中、床に散らかった鉄瓶を片付けながら、薬師が低く言う。
「あの典医寺から来た女人も言っていた。怒らせると困る方だとな」
「・・・そうか」

俺の居らぬ処でそんな事をおっしゃるか。
あちらこそが困った方だと、浮かぶ苦笑いで首を振る。
「あの典医寺の女人は許嫁だと、トクマニが言っていたが」
「そうだ」
返答に驚いたように、薬師は目を見開く。
「何だ」
「・・・いや、驚いただけだ」

最後の鉄瓶を取り上げ棚に戻しながら、薬師はふと薄らと笑んだ。
「此処へやって来て、女人の許嫁と呼ばれて、そんな即答する男を見たことが無かったからな。
たいがいの男は、皆口籠る。夫君などまず来ない。来る男は許嫁と名乗るのが定番だ」
「真偽の程は怪しいな」
「まさにその通り。妾では通りが悪いからな。それでも相手と来ればまだましな方だ」

薬師は座り込んでいた床から腰を上げ、俺に首を振る。
「ほとんどの女は一人でやって来る」
「・・・女人一人で子は成せん」
「それでも一人で来る。仔細は訊かない。きりがない」

薬師はそう言うと、俺に向かって頭を下げた。
「何れにしろ男の腕力には敵わない。助かった。感謝します」
「王様よりの内偵の命が下ったと言ったのは、言葉の綾ではない」
「判っている。トクマニにも散々言われた」
「いつから月水流しをしている」
「もう、二年になる」
「禁止の王命は知っておろうな」
「ええ、知っている」
「理由は何だ」
「理由か」

薬師は繰り返すと、僅かに首を傾げた。
「・・・敢えて言うなら、私が女だから、かな」
「どういう意味だ」
薬師はそれ以上は答える事無く、そのまま扉を出て行った。
これで終い、という事なのだろう。
深追いはせず、そのまま扉から表へと出る。

表では先程までの細雨が、いつの間にか本降りになっている。
それでも初夏の雨だ。骨身に滲みるような冷たさはない。
入って来た裏口を抜ける刹那、肩越しに振り返る。

薬師は、赤いほおづきの前。
足許の泥濘を気にするでもなければ傘をさすでもなく、庭にしゃがみ込んでいた。
白い薬師の上下衣が、雨景に溶ける。
そのまま顔を戻し、俺は裏口を出る。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    さらんさん、まるで本編かのように中味のの濃い夏リクの「ほおづき」、更新頂きありがとうございます❤︎
    やはり、ヨンが動くと周囲の空気が変わりますね(#^.^#)。
    お話が進むごとに、ほおづきが放つ橙色のイメージも微妙に変化しているような気がします。
    怒りと哀しみを抱え、あえて禁止されている堕胎に携わるアラの過去と真実が、いよいよ明かされるのでしょうか⁇
    医師であるウンスなら、彼女の傷ついた心に少しは沿えるのかも…などと、ハラハラしながら次作をお待ちしています。
    さて、さらんさん、新しい一週間が始まりますね。
    お互いに頑張りましょうね(#^.^#)

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