錦灯籠【肆】 | 2015 summer request ・鬼灯

 

 

「ヨンア」
夕餉が終わり、タウンとコムが離れに下がった後。
久々の晴れ間でさらりと乾いた風が、縁側から居間へと流れる。
縁側に腰を下ろした俺を呼び、この方が縁床を膝でにじり寄る。
「・・・どうしました」

帰宅してより様子を見てはいたが。
夕餉を取る間も、言葉少なではあるが美味そうに召し上がる。
悩み深げな様子を見せるものの、何が起きたとも判じられん。
取り立てて変わりのない以上、この方ご自身の事ではないか。
未だに打ち明け話がないなら、王様や媽媽の御体に関する重大な事でもないのか。
「何か」
返す声に首を振りながら、この方が細い腕を俺の頸に回す。

胡坐の膝の間に入り込み心地良い場所を探すと、この両の手を握り締める。
御自身を抱き締めるようぐるりと回し、この胸に細い背を預ける仕草。

後ろからこの方を抱き締めた格好で、俺は息を吐く。
側に寄るだけで黙っておってもそうして差し上げるものを、何故ねだりもせずよじ登って来てこんな風に。
「ああ、気持ちいいな」
腕の中へと収まったこの方の小さな声がする。
雨音に掻き消されない今宵、その声はよく響く。

温かな小さな手がこの両掌を持ち上げる。
指先にこの方の唇が当たる。
風の中、この世で一番耳に心地良い、弾けるような音がする。

笑顔よりも涙を心に抱えた方だ。だからこそいつも笑う方だ。
どれ程強くあろうと願っているか。それがどれ程重い決意か。
知らぬ奴らは、黙って引込んで遠巻きにしていれば良い。

俺がつけたなら傷も痛みも、全て癒してやる。他の奴のつけた傷なら、同等の傷で購わせてやる。
元であろうと、奇皇后であろうと、何処ぞの大監であろうと。
たとえ身内のトクマンであろうと変わらん。
この方の身であろうと心であろうと傷つけ無傷で居られると高を括っておるならば、愚の骨頂だ。

「・・・ヨーンア」
謳うように、この方が膝の中で体を揺らす。
「・・・はい」
調子外れの合いの手のよう、低い声で返す。
「ヨーンア」
「はい」
この方はようやく楽しそうに、小さな声で笑い出した。

「ヨーンア?」
「・・・はい」
「ちがーう!」
そう言って膝の間、この方は胸につけた頭を厭厭と振る。
亜麻色の髪がこの顎先を掠めて触れる。
「は~あい、って言ってみて」
「・・・は」
「ヨーンア」
「・・・はい」

流石に言えぬ。ねだられても俺に謳の才能は無い。
この方も端から期待はしておらぬのだろう。
それでも楽し気に節をつけこの手を握ったまま、何度も繰り返す。
「ヨーンア」
「はい」

俺は此処にいる。何度でも呼べば良い。何度でも返してやる。
独りではない。瞳が彷徨う事も、返らぬ声に怯える事も無い。
「ヨンア」
「はい」
「愛してる」
「・・・はい」
「あなただけ。あなたしかいない」
「はい」
「あなたに逢えて、ほんとに倖せ」

腕の中の細い肩が、小さく固くなる。
「みんな、そうならいいのにって思う。でもね」

この方は息を継ぎ膝の間で向きを変え、背だけ預けていた胸に体を預けて丸まった。
「それは無理ってことも分かる。仕方ないのよね。人間は欲張りだし。
私だってあなたに逢えなきゃ、どうなってたか判んない」
「欲張り、ですか」
「うん。1人じゃ満足できない、1つじゃ足りない、そんな人がいる。
ほら、キチョルがいい例じゃない」
「・・・奇轍」

己の黒い慾に呑まれたあの男。
飢えに苦しみこの方を苦しめ、その罪にすら気付かぬまま、己の氷功に喰われた徳成府院君。
「あそこまで行けば精神病質だけど、似た人はいっぱいいる」
「・・・ええ」

そうだ。そんな奴らは山ほど居る。理解できぬ己が頑迷なだけだ。
一人だけしか想えず、一つ事しか見えず、二心など抱けぬ己がそんな奴らの心情を慮るなど、出来ぬ相談だ。

この腕は二本しか無い。
一本で剣を握り一本でこの方の手を掴み、王様を背で守れば手一杯。
王妃媽媽は申し訳ないが、チュンソクに頼むしかない。
この心は一つしか無い。
一つしか持たぬその心で、二人の女人をどう想い慕えるというのだ。
愛していると告げるのは、この生涯でこの方にだけだ。

「犠牲になるのは、いつも無実の人たち」
この方は呟いて、俺の上衣の袷の喉元に小さな鼻先を摺り寄せる。
そこで小さく甘く静かな息を繰り返し、この肌を粟立てる。

「あなたに抱かれたいって思うのは自然な気持ち。
でもあなたが婚儀まで待つって言ってくれるのも、理解できる」
「・・・イムジャ」
己の誓いに背く事はせん。誓った以上は必ず守る。
ただ肚の中言葉を尽して、己自身を罵倒しながら。

「みんながあなたみたいなら、この世の女は泣くことなんてないわ。でも違う。それが現実」

今宵のこの方は、やはり何処か変だ。
甘える猫のよう擦り寄る体に、この腕を回し直しながら息を吐く。
小さく丸まる体を抱く腕の中、花の香の長い髪の頂に唇を寄せる。

月の光る庭に眸を投げ、木々の影が切り取る闇を睨む。
トクマン。
明日朝の返答に由っては、お前でも容赦せん。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    さらんさん❤︎、さらんさんのところのヨンの声を聴くと、すごく嬉しくなります。
    実際には、非常に無口で、「はあ~い」も「は~あい」も言わない、言えない堅物だからこそ、その胸のうちの声は素直で可愛くて、かっこよくて、たまらないのですよね。
    例え怒っていようと、拗ねていようと…σ(^_^;)。
    現代社会と異なる高麗のおいて、特別な意味を持つ「ほおずき」…。
    風情あるこの夏リクワードを、このような深いお話に組み立てられるとは!
    ああ、どうなる?トクマン! ウンス!
    そして、我らがヨン!
    少なからず、トクマンは無事ではいられないでしょうけれどσ(^_^;)
    さらんさん、今日は休日出勤ですが、さらんさんのお話を楽しみに頑張りますね。
    いつも癒して頂き、ありがとうございます❤︎

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