海路【後篇】 | 2015 summer request・海路

※ 2014Xmas request:藤浪 外伝です。
先に其方を読んでからお読みくださいませ。

 

*****

 

「いやっちゃ、瑩!!」

この人は本当に相変わらず神出鬼没だ。
船から降り立った港、物陰から飛び出して来た黒い影。
己の前に大望が立ちはだかり、己は横のこの方を護る。

二つの手がそれぞれの柄へと掛かったところで聞こえた懐かしい声に、ようやく抜刀の勢いを殺しその影を見る。
「龍・・・梅、太郎さん」
「よぉ無事でもんてきたのぅ!こじゃんとだれたろう、まずはいぬろうやか」
「何故こんな処まで。京は、お龍殿は」
「めったにゃあ、のとろ聞くかよ。そんないられやったがか」
龍馬さんは懐手で困ったように笑うと、ふと俺の横へと視線を投げた。

「・・・おい、瑩よ」
「はい」
「そっちのけんまいのは、おんし、まさか」
「・・・恩綏です」
「こんにちは、お久しぶりです」
この方が己の横、笑み声で頭を下げる。
「おいおいおいおい、こりゃめったのぉ」
龍馬さんも二の句が継げない様子で、わざわざこの身の横、俺の護るこの方を覗き込む。
人たらしなのは分かってはいるが、そう凝視されれば、此方も気分の良いものではない。
何気ない素振りでこの方の前に回り込み、無遠慮な龍馬さんの視線から背で庇う。
「あまりじろじろと」
「すまん、ついついな」
そう言って、龍馬さんは大きく笑った。
「お龍もせっばいはちきんと思うちょったが、いやぁ」
そして己の肩をそのでかい掌で叩くと
「瑩、おんしゃあも手ぇ焼くねや」

まさにその通りだ。龍馬さんの実感の籠った言葉に俺は頷いた。

 

港から少し歩いた裏道に、龍馬さんは迷う事なく踏み込んでいく。
「龍馬さん」
「ああ、何ちゃないぜよ。勝手知ったるじゃ」
足を止めぬまま奥へ奥へと入り込む龍馬さんに先導され、その大きな背中につくのみだ。

京ならば周囲の景色から見当もつくが、初めての港町では己らが今何処を歩いているのか全く判らない。
龍馬さんはそんな戸惑った此方の様子に横顔で笑むとふと裏道の角を曲がり、一軒の目立たない邸の門へ吸い込まれて行く。

門の中で数人の男たちが静かに頭を下げ、無言のまま奥へと進む道を目で示す。
龍馬さんも言葉を発する事はなくただ頷き、そのまま彼らの前を奥へと進んで行った。

門人たちは続く此方には顔すら上げず、黙って頭を下げ続ける。
互いに人相は知らぬに越したことはないという事か。
その様子を横目で確かめつつ、敢えて声を出す事も無く、この方を間に挟んで隠し己と大望はその前を通り過ぎる。

「さて、瑩よ」
奥座敷に腰を据え、ようやく龍馬さんと卓越しに向き合う。
龍馬さんは胡坐座の両膝にその両掌をばんと打ち付け、前屈みに卓越しの此方へと身を乗り出した。

「どやったがか、異国の様子は」
「・・・凄かったです」
「ほうか」
「あれでは今の俺達は勝てない。学ぶことは学び、捨てるものは捨てないと」
「ほうながか」
「手に入る限りの書物を担いできました。典医殿には、医学所や醸造所をご覧頂きました」
「ほうながか、恩綏、どやったかえ」

龍馬さんが興味深げにこの方を見つめて問うた。
この方は手にしていた包みの中から大切そうに書物の写しを取り出し、卓の上で龍馬さんへ向けて開いて置く。
「これを写してきました。人体の中まで書いてあって。打係縷亜那都米とはこんなものなのかと」
「やけど今上様は、西洋の医学は受け入れてくれんじゃろ」
「そうでしょうね。聖上様のお考えなら従います。それでも自分が知らないより、知っていれば得です。
誰かをお助けする時、それが役に立てば嬉しいなあと思います」

龍馬さんは満足げに頷くと、その優しい眼をふと此方へ向けた。
「で、おまさんらぁは、夫婦の契りは結んできたか」
「そ、れは」

詰まった己の声に、龍馬さんがぐるりと眼を回す。
「瑩、おんしゃまさか」
「いや、此方にも理由が」

龍馬さんはその言い分を聞く事も無く膝に置いていた片掌で、総髪を上げたその額をぴしゃりと打った。
「ほんにこじゃんとずつない話、初耳じゃ。惚れた女をほたくって一年も何しゆうがか。
ええか、後んなって余所の男に盗られてほえたるなよ。わしゃこじゃんと言うて聞かせたきに」
「良いんですよ、龍馬さん、そんな事絶対」

その龍馬さんに、慌てたようにこの方が取り成しの声を上げる。
「恩綏、おんしもそげないちがいな事言うたらいかんちや。
こげな事ほどしゃんしゃん進めんと、このいごっそうはいつまでもこんにゃくばあのらくら躱しよる。たかぁいかん!」

何故俺達の婚儀にこの人がこれほど腹を立てるのかが分からず、卓の此方で俺達は思わず顔を見合わせた。

 

*****

 

出された茶を飲み、久々の米の飯を頂き、布団に安心したか。
俺のこの方は風呂を使い終え、布団へ横たわるとすぐにほっと安心したかのように、すうすうと寝息を立て始めた。

目許に落ちるその髪を上げ白い額に唇を寄せて掠めると、眠ったままこの方の唇端が嬉しそうに上がる。
起きているのかと行燈の灯の中息を詰めて様子を見ても、静かで安らかな寝息の調子が変わる事はない。

夢だと思ってくれるのか。それとも夢で逢ってくれているのか。
どちらにしても愛おしいのに変わりはない。
布団の脇で静かに腰を上げ、居間との境の障子を細く開け、その隙間から擦り抜ける。
灯を落とした居間の中。
縁側の外の庭に立つ龍馬さんの背を見つけ、そのまま静かに寄る。

「恩綏は寝やったか」
「疲れたのでしょう」
「あの髪は、なんしたなが」
「女の成りでは学ぶのに差障りがあると、突然ばっさり」
「自分でか」
「ええ。その前に、俺に嫌かと聞かれましたが」
「ほうなが」
「困った人です」
「惚れちゅうな」
「・・・ええ」

素直に頷くと、庭の暗がりで龍馬さんが振り返る。
「えろう素直やいか」
「・・・龍馬さん」
「ん」
「俺が恩綏に踏み込めぬのは、怖いからです」
「・・・ほうながか」
「万一俺の出自が何処からか露見すれば。その時、もしもあの方に子でもあれば。
あの方もその子も、何に使われるか判ったものではない」

さだめに翻弄されるのは、己だけで十分だ。
そしてあの方に母になる喜びを与えてやれぬ俺が、いつまでも傍に居てはいけないのだろう。
それでも手を離す事など出来ない。大切過ぎて、愛おし過ぎて。

「瑩」
「はい」
「慶喜公が、会津らと結託して参預会議を崩した」
「・・・禁裏御守衛総督が、ですか」
「薩摩封じじゃ」
「どういうことです」
「長州は既に蛤御門の一件で求心力を失うた。土佐も今は日和見に転じるしかのうなった。
後は薩摩さえ抑えちょって、幕府に有利なように公武合体を進めたいんじゃろ」
「主上は」
「慶喜公を頭に会津や桑名が幅利かせとるきに、主上様のお力もだいぶ弱ぁなってしもたぞね」
「どういう事ですか。和宮様、いや、親子様はどうなっておられる」

公武合体を旗頭に、厭々関東武士へ嫁された宮様は。
己の実の妹宮は。そして母上、観行院様は。

「宮様はご無事じゃ。家茂殿が、功山寺挙兵の長州を討ちに出る」
「長州の挙兵」
「ああ。おんしゃに文送るより、口伝えのが早いち思ぉてな」
「一体何が起こっているんだ」
「幕内の覇権争いじゃ。どの藩が一番強いか、争っとる」
「どういう事なんだ。敵は異国ではないのですか」
「外も、内も、敵だらけなんじゃ。瑩」
「・・・そんな」

異国の無礼者を手討にして詫びをさせられ、その悔しさに皆が臍を噛むかと思えばそれもなく。
詫びをしたうえ尾を振ってその異国に追従する者があり、その中で誰が一番強い犬かと下らぬ事を競っているのか。
「龍馬さん」
「・・・何じゃ」
「俺達は」

俺達は、一体何の為に、誰の為に戦っているんだ。
朝を迎えるためではないのか。自分自身で立つ朝を、胸を張って迎えるためではないのか。
「瑩」
「はい」
「おんしゃは、恩綏の為に戦ってやれ」
「・・・龍馬さん」
「惚れた女が笑って朝を迎えられるように」
「しかし」
「京に戻らんでもえいやが。ほいでも恩綏から離れたらいかん」
「京には・・・」

主上のおわす京には、戻らずとも。それでも俺のあの方からは。
あの時橋本公が、そして畏れ多くも主上が下さったこの自由を、俺だけが甘受しろと言うのか。

「新選組は」
「あの中も荒れとるようじゃ。近藤に腹立てる隊士ものとろおる。
何処もでかくなれば、一枚岩ちゅう訳にはいかんがよ。見てみ、その一番の見本がこの国やか」

龍馬さんは淋しそうな顔でそう言って笑った。
「心合わせればしよい事も、互いにねんごうしおうてぐじばかし。
およけない事ばあとっと言いおうて、へごな事ばあひこずってから。
ほいでもな、瑩」
「はい」
「わしゃ、次の目標はもう決めちゅう」
「・・・何ですか」
「薩摩と長州の橋渡しじゃ」
「龍馬さん、それは」

それは無茶だ。いや、起きるはずがない。不可能だ。
長州は、自分たちを中央勢力から退けたのは、誰あろう薩摩と会津だと思っている。
長州の中には草履裏に薩賊會奸の札を張り、踏みつけにしている藩士がいる程なのだ。

「出来んち思うとうが」
「無謀です」
「ほいでええんじゃ、瑩」

龍馬さんは子供のように笑う。
「謀りが無い、で無謀じゃ。無策と違う。わしゃ謀ったりせん。誰の事もな」
「しかし」
「中岡も土方もおる。わしゃ今、大村藩の渡辺ちゅう男と会うとる。
こいつが長州の桂と懇意やき、そっから渡りをつけるつもりじゃ」
「龍馬さん」
「うんとでっかい力が必要じゃ。日本ちゅう船を動かすならな。
おんしゃの力も、どうしても要るんじゃ。ましてこうして異国をその目で見て来てくれた男じゃいか」
「はい」
「何の志も無いとこに腐っていたくないんじゃ。そんなんで日を送る奴は、大馬鹿者やき」

この人は、まるで大きな鱶のようだ。
止まれば死ぬとでも言うように、この国という海の中を泳ぎ、常にその動きを止めようとしない。

目の前で真直ぐに夢を語る龍馬さんに一抹の不安を抱きながら、その子供のような姿をじっと見る。
全ての人間がこの人のように夢を抱き、志を胸に突き進めれば、この国の夜明けは早く太陽は明るいだろう。

けれど公武合体の名の許に次の徳川宗家慶喜公が、既に主上を謀っている。
異国と手を結ぼうとする佐幕派がうようよしているその海の中。
如何に坂本龍馬という鱶であれ、無事に泳ぎ切る事が出来るのか。

湧き上がる不安。
俺にとっては支えたい人、皆にとって守りたい人でも、この人を目の敵と狙う奴らがいる。
日の出前こそが最も昏い。

目の前の龍馬さんから目を逸らさず、俺はゆっくりと頷いた。

 

 

 

 

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