連虹【終章】 | 2015 summer request・二重虹

 

 

罪人の在所を示す、枸橘に囲われた柴荊。
小さな草庵の隣には其方の方が余程立派な、木の見張り小屋が建っている。
思い出させる。横のこの方と訪れた、慶昌君媽媽の江華島の草庵を。
媽媽の時と違うのはその見張り小屋に官軍の兵が二名立ち、此方に向かって深く頭を下げる事だ。

庵の前、見張り小屋の入口に馬を繋ぎ、そこに立つ兵へ問う。
「どうだ」
己の問い掛けに兵達が姿勢を正す。
「怪しい動きはありません」
「出入りは」
「今のところ、全く報告はなく」

元にも見放されたか。もしくは彼方も今は徳興君どころではないか。
「絶対に目を離すな」
「は!」

頭を下げる兵の脇を抜けて典医寺の面々と共に草庵へ踏み込む。
庵を包むように降り続く昨日からの雨が足元を泥濘へ変え、近づくたびに一歩ずつ厭な水音をたてる。

まだ建てたばかりの庵の入口は白い木肌を剥き出している。
頭から被る外套を毟るように脱ぎながらその木戸を押し開く。
軋みながら開く扉の向こう。
窓の形に切り取られた雨景の中、灰色の濃淡の影が浮かぶ。
横の医官が頭を下げる寝台に横たわる、濃い灰色の影が微かに蠢く。

反射的に鬼剣の柄を握り、大股でその影へと近づく。
息遣いを耳にするだけで、今すぐその咽喉を突いてやりたい。
赦せぬと今でも思う。こうして腕を一本捥いだ後でも。
眸を逸らし大きく深く息を整え、半歩後ろのキム侍医と逆脇のこの方へそれぞれ視線を投げる。

キム侍医はいつも通りの薄い笑みを浮かべている。
まるで仮面を張り付けたように、何の感情も読み取れん。
この方は明らさまな嫌悪の表情を浮かべた後に息を吐き、どうにか平静を保とうと、小さな手を握りしめる。

其々の様子を確かめて、己は奴の残った左腕側の脇へ立つ。
敢えて音を立て鬼剣の柄を握りしめ直すと、鼠が濁った眼を半分見開き、横たわったまま俺の顔を見上げた。

「今更何もせぬ。いや、出来ぬ」
自嘲するような引き攣った笑い声に、その面へ眸だけ落とす。
「信用成りません」
「しろなどとは言わぬ。事実を告げた迄」

これ以上話す事など無い。
唇を結び、ただその左手の動きのみに全て注ぐ。耳も。眸も。

俺の脇、奴の左腕を上げたこの方が脈を取り、手首を肘を曲げては伸ばし持ち上げ、落し、肩を回す間も。
「キム先生」
小さな声で呼ばれた侍医が、この方と共に寝台を離れる。
付いていた医官も交え、低い声で交わす言葉を聞き取れぬまま、ただ残った左腕を睨みつける。

「・・・チェ・ヨン」
徳興君が小さく呟く。
「私は、いつまで生かされる」
「さて」
「お前が知らぬわけがなかろう。せめて教えろ」
「存じません」
「それが判れば、その日を待って生きられる」

甘えるなと胸倉を掴み上げ怒鳴りつけたい。
貴様は己が何をしたのか、この期に及んで判らんかと。
あの方に与えたのだ、それ以上の恐怖を。
じわじわと体を蝕む毒、いつ発熱するか判らぬ恐怖を。

「明日か、十年後か、それすらも教えてもらえぬのか」
「存じません」
「お前も武士であろう。殺す相手に情けはないのか」
「御座いません」
死に行く蝉や白い腹を見せ瀬に浮かぶ魚に懸ける情はあろうと、お前に懸ける情などあるものか。
動かぬのか動かさぬのか、それすら判らん左腕だけを注視し、寝台の脇に立ち尽くす。

雨がようよう上がったか、窓の外が明るくなって来る。
雲の切れ間から射す陽に目を細め、光の中一層侘しさを増す粗末な庵の中。
奴の一回りも細くなった左腕だけを見詰めて立つ。

「・・・じゃあ、それで。典医寺で詳しく書いて来るわね」
あの方の声に頷いたキム侍医と医官らが其々頷き、付き添いの医官が徳興君の脇へと戻って来る。
最後にキム侍医とあの方が、奴の脇に立つ。
「徳興君」

気持ちの揺れを抑えるようにあの方が低く告げる。
「あんた真剣に訓練しないと、本当に左腕まで動かなくなるわよ。
傷が完全に治れば医官もつかなくなるわ。その後で飢え死にしたくなければ、せいぜい頑張るのね」
キム侍医がその声に頷き、無言で踵を返す。
庵の木戸を出るその瞬間に、それまで無言だった徳興君が叫ぶ。

「医仙!」

前を行くこの方の、そしてキム侍医の歩が止まる。
後を守る俺の向こう、徳興君は寝台の上で半身を起こし、扉前の此方に叫び続ける。

「お前の天界のその技で、どうにかならぬのか!」

前のこの方が亜麻色の髪の隙間、肩越しに目だけを流し言い放つ。
「ならない」
「ならないのではなく、しないのだろう!」
「馬鹿にするんじゃないわよ。苦しむ患者を放置なんてしない。
でも私は万能の神じゃない。どうにもならない。訓練で機能を回復するので精一杯よ」

最後にそう言って、この方は扉を抜ける。
「待て、医仙!チェ・ヨン!待たぬか!!」

叫び声を上げる徳興君を背に、俺は後手に軋む木戸を閉める。

 

*****

 

官軍の兵に見送られた皇宮への帰路。
無言で駆る三頭の馬蹄が泥濘んだ道の泥を遠慮なく撥ね散らす。

前を行くキム侍医が、ふと騎乗の馬の手綱を絞る。
「虹が」
その声に俺も頷き、愛馬チュホンの脚を止める。
俯いて俺の横の馬を駆っていたこの方が、瞳を上げて息を呑む。
「何、あれ」

誰にともなく上がるその声に静かに教える。
「・・・連虹です」
己も初めて見た。話にしか聞いた事が無い。
「すごい!!」
この方は目を丸くして、露を含んだ木々の合間から覗く澄んだ空へ叫ぶ。

雨上がりの空に大きく弧を描く、七色の半円。
その上に淡く寄り添う、もう一つの七色の虹。

キム侍医がその空を見上げ、楽しそうに前の馬から振り返る。
「まるで、お二人のようだ」
「あんなにきれいって事?」

この方の嬉しそうな声に小首を傾げつつ侍医が呟く。
「美しく珍しく、おまけに離そうにも離れない。見ている此方が照れてしまうほどです」
最後の最後に毒を吐く男だ。
「・・・侍医」

俺の低い声に笑んだ侍医の顔には、あの仮面の様相はない。
それが証拠に奴の笑みはいつもより不器用で、そして皮肉気だ。

徳興君との対面後にこれ程良い顔で笑えるなら、こいつの雨もいつかは上がる。
晴れた陽が射す時がいつかは来る。

「戻りましょう。王様にもご報告を」
鮮やかな弧を描く二本の虹の下。
再び馬を駆るこの方の、長い亜麻色の髪が大きく後ろへ靡く。
あの男に会った帰途であって良かった。
これ程美しい光景に少しでも癒されるなら。
出来ぬ事は出来ぬと言い放った重い心が、僅かでも晴れるなら。

忘れるな。俺は必ずあなたに添う。天に並ぶあの連虹のように。
あなたが一人で苦しむ事など二度と無い。
虹を見る度に思い出せ。そんな風に俺が添っている事を。
その瞳に映ろうと映るまいと、いつも二本目の虹のある事を。

「ヨンア!」

横の馬上から掛かる声に眸を流す。
俺のこの方が髪を乱して叫ぶ。
「虹を見たら、思い出してね!」

だからこの方には敵わん。
鞍上から天を見上げ、浮かぶ七色の二本の弧を目に焼き付ける。
忘れない。どれ程珍しい景色でも、あれが俺達の姿だ。
寄り添い離れずに、そして一本目が生まれねば二本目は無い。

忘れない。必ず思い出す。俺に添う二本目の虹を。
そして俺が、あなたの二本目の虹であることを。

晴れ間を増す明るい空の下、皇宮を目指す。
「ねえ、王様と媽媽も見てるといいわね!」

そんな風に隣の馬上から響く、明るい声を聴きながら。

 

 

【 連虹 | 2015 summer request・二重虹 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    さらんさま
    いつも素敵なお話をありがとうございます。
    どのお話も好きですが、今回は特に大好き!
    前篇から引き込まれました。
    我が家のリビングから、たまに二重虹が見えるときがあります。
    これからは「ヨンとウンスだわ~♪」と思ってみます。

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    さらんさん、久々にスポーツジムに来ております❤︎
    エアロバイクこぎながら、コメさせて頂きますσ(^_^;)。久しぶりだから、ちょっとしんどいです(´Д` )
    「1本目が生まれなければ、2本目は無い」!
    またまた名言です、さらんさん❤︎
    辛い別れがあったから、再会し、誰より強固な絆が生まれ、2度と手放なさないと決心したのかも…。
    ドラマや映画が盛り上がるのは、名脇役や悪役の力と、手強い事件や哀しい出来事だともいえるのでしょうが、さらんさんのお話は、辛い出来事の上にも、救いがあり…、だから落ち込まず、傷つかず拝読できるのだと思います。
    あ、プレッシャーに感じないでくださいねσ(^_^;)
    夏リク話、後半にきてしまいましたね。
    なんだか、さみしい…(´Д` )

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